2012/12/23

楽しめる時と楽しめない時

主体的に参加したら、なんでも楽しめるかもしれないと思った。

ああ、楽しめないなと感じたとき。
これは私がするより、他の人がした方が絶対いい、

と思っていたりする。

もっと他に、いい方法があるんじゃないか、
間違ったことをしてるんじゃないか、
失敗してる気がする‥


そんなような、いろんなことが頭をよぎる。

そんな時は、主体はどっかに行ってしまっている気がする。


やると決めたんだからやるしかない、と腹をくくった時、
だったら何をどういう風にしたいかって考え始めると、
なぜだか、だんだん楽しくなってくる。

主体的に物事にかかわった方が楽しくて、お得なのかもな、と思った。

2012/12/08

時々思い出す言葉

転職して1週間がたった。
転職するたびに思いだす話がある。

10年くらい前の話。
30年もホテルで料理を作っていて、料理長までしていた人が、
体調を崩して退職して、50人くらいの昼食を作る仕事をすることになり、
一緒に調理の仕事をしながらサポートする、
という職に就いたことがあった。
30歳も年下の、しかも、料理をするのがきらいで苦手で不得意な私が。

ジョブコーチってのは、時として奇妙な制度だなと思う。
という感想は今はおいといて。
私は、この人と仕事ができたことが、今でも誰かと一緒に仕事をする時に、
特にイラッとした時に心掛けている、大切な基準になっている。
そうは、思えない時も多いのだけど。。。


当時、転職したばかりで緊張していて、
しかも慣れない厨房で働かなきゃならなくなった私に、
その人は、大量の食事を作る方法を、一つ一つ丁寧に教えてくれた。

初日、50人分のみそ汁を作った時のこと。

お湯を沸かしている間に、大根をこういう風に切って、
お湯が湧いたらダシと、青ネギの青い部分を入れてうまみを出す。
大根を入れて煮立ったら、最後にネギの白い所をいれて、
青いねぎは出して、味噌で味つけする。

その人は、私にも教えながら、テキパキとおかずも作りながら、
もたもたする私に、「お、いいね」「そうそう」「はい、今入れて」
短時間で手早く仕上げて、美味しい状態で出せるように、
声をかけてくれて、手は出さず、ダシの量から、
最後の味付けの味噌の量まで、私に任せてくれた。
ドキドキしたけど、楽しかった。

味見して、もういいだろうと思って出来上がったみそ汁は、
実際に食べてみたら、味が薄かった。

あんなに丁寧に教えてくれたのに、上手く作れなかったと思って、
がっかりした私は、「味が薄かったです、すみません」と謝った。
次回からは気をつけてと怒られるんじゃないか、と思った瞬間、
返ってきた返事は、
「少し味噌が足りなかったね。大根の切り方は、すごくいいよ。」

よし、明日も、みそ汁作るの、がんばろうと思った。

それから約1か月、週に2~3回、一緒に厨房で働いた。
みそ汁作りに慣れてきたら、今度は、ムニエルの魚の下ごしらえ、
付け合わせの味付け、盛り付けなど、少しずつ出来ることが増えて、
気が付かない間に、テキパキと動けるようになっていた。
怒られたことは一度もなく、むしろ、私は料理が得意なんじゃないか、
と勘違いするくらい、誉めてくれた。

ある時、その人に、
「私は出来ない事も多いのに、
どうしていつも私を誉めてくれるんですか?」
と、聞いてみた。

そうしたら、返ってきた返事は、
『私は、人の悪い所は探さなくてもすぐに見つかってしまう。
悪い所を10個見つけるのは簡単だけど、
人の良い所を3つ見つけるのは難しい。
だから、人のいい所を探して伝えるようにしてる。
いい所は、すぐに見えなくなっちゃうからね。』

この人が上司だったら、ずっと料理人として働ける、と思った。
今でも、決して、料理が好きというわけではないのだけど。

非難されたとか、怒られたという感覚も持たずに仕事を覚えられる。
言葉は少なくても、的確にすることを伝えてくれて、
自分で、次はこうしようと思えるような声をかけてくれて、
少しずつ仕事を身につけていくのを見守ってくれる上司でもあり、
ずっと一緒に働きたいと思える同僚。

それは、努力し続けている結果だということ。
そんな人が世の中にいるんだと、思って感動した。

その人とは、それから会うたびに、いろんな話をした。
仕事で夕食作りをしなければならない時には、
メニューや、調理方法や、買い物など、
相談にのってくれて、作りやすい料理のレシピもくれた。
父と娘のような感覚だった。

私は「スタッフ」だったので給料をもらえ、
その人は「利用者」だったので、お金を払って来ていた。
給料泥棒をしているようで心苦しく感じて仕事を辞めたのも、
当然な流れのような気がするし、
辞めないで働き続けていたら、もっと楽しいこともあったかもしれない。

世の中っていうのは無茶苦茶なことが多いなと思う。
人が作って人が使うルールに縛られて、
マヒしてしまうことも多いかもしれない。
けど、大切にしたいと思えることは、いつも筋が通っていて、
優しいにおいがする気がする。

2012/12/04

カレンダー

もう、来年のカレンダーを買う季節になった。

100円ショップでも売っているし、もらったりもするのだけど、
やっぱり、カレンダーだけは、自分のすきなものを買いたくなる。

先日、柔道2段に昇格した方から、お祝いということで、
この1年の柔道の名場面が毎月の写真になっている、
カレンダーをいただいた。

おめでたいのですけれど。

1年間、いろんな技の瞬間の写真を見ながら過ごすほど、
柔道がすきなわけではなく、でも、せっかくもらったので、
買うかどうか迷っていた。

そうしたら、うちのダンナが、カレンダーを買ってきた。
「おじさん」のカレンダー。

実写ではないです。

一時、手帳は、毎年おじさん手帳だった時期があった。
愛くるしいキャラクターのおじさんが、
いろんな失敗をしている場面が、4コママンガ風にかかれた挿絵。

これで、1年楽しく暮らせるな~。




2012/11/27

さわやかな病み上がり

どうして?と思うほど、
病み上がりって、さわやかな感じ。

胃腸の風邪にやられ、熱が丸1日下がらず、
なんなんだこれは、もう治らないんじゃないか、
と思っていた2日前が、ウソのような今朝の目覚めでした。

連続で3日休めると、こんなにいいものなんですね。

しかし、鼻水か、のどくらい痛くなってくれれば、
風邪だってわかるのに、
熱と、胃がむかつくくらいで、風邪なんて・・・
わかりにくいったら、ありゃしない。

という文句を、前にも言った気がします。


ところで。
今回具合が悪くなったのが出先で、
ありがたいな~と思うことがあった。

急に貧血のような、フラフラがあって、どうも熱があったらしく、
結構人が多い電車の中で、思わずしゃがんだ時に、
「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた女性がいた。
ささっと、はじっこの場所を譲ってくれて、
「一緒に降りますか?」と、声をかけてくれた。

私は、一刻も早く家に帰りたかったのと、
このまま、しゃがんだまま電車に乗っていけると思ったので、
『このままで、大丈夫です。』と伝えた。
一瞬、無理に電車から降ろされてしまうかな?と思った。
ここで降ろされたら、寒い中で、次の電車を待たなくてはならない。
逆に大変だ。。。

でも、その女性は何もせず、私をそっとしておいてくれた。
その女性は電車を降りる直前に、
「私は次で降りるんですけど、一緒に降りなくて平気ですか?」
と声をかけてくれた。
『大丈夫です。ありがとうございました。』
お礼を言うタイミングももらえた。

そのやりとりを見ていたらしい、後ろの若そうなカップルが、
「こんなに満員じゃ、気持ち悪くもなるよね。」
「そうだよね。」
と話をしているのが聞こえた。

ああ、都会っていいな、と思う一瞬だった。

気遣っていないわけではないけど、親切の押し売りもしない。
さりげない一言。
それだけで、ああ、がんばって家まで帰ろう、と思える。

だいぶ前に、電車の中で戻してしまった時は、
さっとティッシュをくれて降りていった人がいた。
気持ち悪くで駅に降りたら、駅員さんを呼んでくれた人もいて、
駅舎の中で寝かせてもらったこともあった。
結構、電車の中で具合が悪くなったことあったな~。

具合が悪くなった時に優しくしてもらったことを、
いろいろ思い出したりするのも、
病み上がりが、さわやかに感じる一つなのかもな、
と思ったりする。

2012/11/04

寒くなってからの楽しみ

ついに、ホットカーペットを出した。

ホットカーペットを出すと、動きがにぶるので、
早めには出さないようにしているのですが、
少し風邪気味ということもあったので、
ついに、昨日出した。

足が温まっていくのと同時に来る眠気。
ホットカーペットで居眠りするの、最高だな~。

2012/11/01

学童クラブでの思い出にひたる

昨日は、2年半働いた学童クラブでの、最終日でした。
今日はゆったり、思い出にひたろうと思います。

2年半前、配属が決まって、初めて足を踏み入れた時は、
わさわさ各自すきなことをしている、100人以上いる子どもに圧倒されて、
どこにいていいのか、さっぱりわからず、はじっこの方で、
呆然とつったってたら、突然後ろから、子どもにカンチョウされて、
なんて職場にきてしまったのだろう・・・と思ったな~。

1年目は、波長の合わないスタッフとのことを
IPS勉強会で、関係がうまくいかない、何とかしたいと、
毎回同じようなことを言って、ストレス解消していたな~。

2年目から、スタッフの半分がガラッと変わって、
職場って、こんなに楽しくていいんだ、と思った。
スタッフとのストレスがないと、仕事に集中できるんだと感じた。
子どもと話すことだけに集中できるし、何より、
楽しいことを一緒に探すってことを、いろんな人とできて楽しかった。

3年目、上から降りてきて絶対変えられない規則の息苦しさを感じ始めた。
上司に決定事項を命令する、さらに上の存在がいて、
納得がいかなくても、職場の中で話し合うだけではどうにもならない。
決して居心地が悪いわけではないけど、転職を決意した。

12月からは、児童館で働く。
学童クラブの子もいるけれど、
今度は、来たい子どもや親御さんがフラッと来れる場所でもある。
そういう場所で働けるというのは、楽しみではある。

ああ、前の方がよかった、と思うかもしれないけど、
もう辞めたので、次に行くしかない。

今回、お別れのメッセージをたくさんの人々からいただいた。
子どもからのメッセージも、いろいろで、
ぶっきらぼうに、元気でね!と書いてくれた子や、
学童クラブ内の地図と名前だけ書いてくれた子、
メッセージカードはなく、会うたびに「寂しい寂しい」と言ってくれた子、
土曜日に面倒をみてくれてありがとう、と書いてくれた男の子は、
口を開くと「おばさ~ん、あ、おばあさんか、へへへ」と意地悪を言ってきてたけど、
昨日、いよいよ最後の別れの時に、泣きながら、
ありがとう、さようならと言ってくれた。

毎日、じっくり話をするわけでもないけど、
ずっと一緒の空間にいるだけで出来る、安心感というのも、
あるんだろうなと、そんなことを思ったりもした。

そんな思い出が、明日からの支えになるな、と。
どんなことでも、やってみたら、何かしらのお土産がくるんだと、
そういうことは、確信した気がする。

2012/10/30

2012年の10月

しばらく、ブログを書いてないと、
あれも書きたい、これも書きたいと思ってしまうわけですが。
一つずつ。

しかし今月は、すごかった。

初めてのファシリテーター研修でのファシリテート、
そこでの思い出と、出会い、
2年半お世話になった学童クラブを今月末で退職するので、
それにまつわる、いろいろな出来事、
12月から、児童館で働くことに決まり、新採用の研修。

何がすごかったかというと、
ここ1カ月、感慨深い出来事が多かった。

今の職場は、決して居心地が悪いわけではなく、
次の職場が、どのような感じになるかはわからないけど、
仕事としてしてみたいこと、職場以外で次にしてみたいこと、
いつか挑戦してみたいことが、どばどば~~~っと、
たくさん湧きでるような、1か月だった。

さてこれから、何を選んでやっていくか。
楽しみでもあり、同時に2つは選べないので、
そこが悩みどころになるんだろうな。

贅沢な悩みというやつです。

2012/09/28

動くもの

ずっと動いているものを見ていると、落ち着く。
風に揺れるカーテンとか。

前に住んでいたアパートは、急な坂の上の上にあって、
竹林のすぐ隣だったので、
天気のいい日は、さらさらさらと風に揺れる竹の音と、
ササの葉の影が部屋の中に入ってきて、
すごく、心地よかった。
竹林に住んでる?ネコも、よく遊びにきた。

毎日、山に登っているみたいで、でかけるのが一仕事だったので、
もう、住みたいとは思わないけど、
あの竹のさらさらと、ネコが訪ねてくるのを、今でも時々思い出す。

おっと。
揺れるカーテンを見てたら、
今日、書こうと思ってたこととは、全く違うことを書き始めてた。
でも、まあ、いいか。
台風が近いせいか、風が強い。

そうそう。忘れないうちに、さっき思ったこと。

今まで自分の身に着いたことって、
やるしかない、と覚悟を決めた時にやってみたことだったな~と、
そんなことを思ったんだった。

2012/09/24

今日は、いい天気。
しかも休み。
土日にあった出来事の余韻を楽しむだけの日。
と思ってはいるのけど、あまりにいい天気なので、
洗濯したくなってきた。
こんな日は、シーツなんかも洗いたくなる。

ベランダからは、空の色と雲の色が、はっきりとしていて、
雲の形が、ゆっ~くり変わっていくのが見える。

「雲が動く」と知ったのは、小学校5年くらいだった。

理科の時間、四角いフレームのように切った厚紙を、
屋上辺りの空がよく見える窓ガラスに、おのおの貼って、
その厚紙の窓から見える雲の形をノートに書いて、
また1時間してから、同じ厚紙の窓から見える雲を書いて、
2枚の雲の絵を比べてみる、というもの。

雲の形って変わると思う?という話題が出ていた。
私は、雲の形なんか変わらないと思ってたので、
自分の描いた2枚の絵を同時に見た時に、かなり驚いた。

1時間おかなくても、ずっと見ていると雲が少しずつ動くのがわかる、
と聞いて、しばらく見ていたら、本当に少しずつ雲が動いてた。
その日も、天気がよかった。
ずっと見てたかったけど、次の授業があるからと、
しぶしぶ、教室に戻ったんだった。

先月、琵琶湖の近くでキャンプをした。
その時に、雲を見てると飽きない、と言ってる人がいて、
はっ!!と、雲が動くと知った時のことを思い出した。
ずっと空をみていたかったけど断念したことも思い出した。
キャンプの後から、空を見るようになった。
東京では空が見えないような気がしてたけど、
ちょっと空が狭く感じるだけで、
ベランダからも、電車からも、どこからも空は見えた。
誰が動かしてるわけでもないのに、ずっと空は変わってる。
って、不思議。

今は次の授業に邪魔されることなく、自分で空を見る時間は作れる。
ただ、洗濯機が終わった音を聞いて、急に空を見る時間は中断する。
晴れてるうちに早く洗濯物を干さないと!と思ったりする。
洗濯物を干すと、残念ながら空は見えなくなる。
洗濯機を回そうと思ってベランダに出た瞬間が、
一番ゆっくり空を見られるな~と思ったりする。

2012/09/17

自分の役に立っている話

時々思い出して、怒りが沸いた時に役に立っているな〜と感じている話を、書き出してみます。
メモを頼りにしているので
おそらく私の解釈混じりの文章です。

この話を聞いて、
しなきゃいけないことなんて、何もないのかもしれない、
と思う気持ちが強まりました。

2012年5月18日
プラムヴィレッジのシスターによる、care giver向けの集まりで聞いた話です。


【スペースについて】
人生=プログラムという思い込みをしていることがある。
そうなると、人生が規則という世界に閉じ込められてしまう。

自分の人生を一冊の本と例える。
自分の本の筋書きとは違っていると何度も言う人がいる。
緊急時のことは本には書かれていない。
本当は何も書かれていない。
だけど筋書きが書いてあるように思う時がある。

その筋書きと違うと思うと、
自分の大切なものを持っていかれたような気持ちになる。
大切なことを手放してみる練習が必要というのは、こういうこと。

こういうことを知れば、あるがまま、そして去っていくもの、
世界は広いと気付く。

広い世界では、一つの間違いや、
一つのひっかかりが起こっても、
それよりも、もっと大きいものが見える。


【怒りについて】
感情に対する練習。
感情を押し込めたりしない。
怒りを責めると害がある。
責めるのでない。
自分の行動、慈悲や慈しみの心が、変化をもたらす。

怒りは、泣いている赤ちゃん。
怒りを追い出すこともしない。
怒りの鐘は、そこに注意を向けなきゃというサイン。
自分自身のケアをまずする。

自分で意識できていない痛みが
怒りになっている時もある。

スカイツリー

実物を初めてみました。
空も青くて、きれいだった〜。

2012/09/11

あてにならない自分の記憶

ジャニス・ジョプリンの『PEARL』が好き。

どうしてこんなに好きかはわからないけど、
何回聴いても鳥肌がたつ。
歌詞の意味は知らない。

昨日長野のお土産と言って、
『PEARL』のレコードをもらった。

レコードプレーヤーはもってないけど、
身震いするほど嬉しかった。

どうして私がこれが好きかわかったの?
と不思議に思って聞いてみたら、
以前にジャニスバーがあって一緒に入ったって。

忘れてた。
思い出した。

ジャニスがよく飲んでいたという、
サザンカンフォートというお酒をいつか飲んでみたいと思ってて、
飲んでみたんだった。

ジャニスはビンから直接飲んでたらしいので、
ロックで飲んでみた。

味は。。。口に合わなかった。
やたら甘くて。
全部は飲めなかった。

たしか店員さんが、お酒のボトルを見せてくれて、
ジャニスが生まれた辺りの風景らしいと聞いたような気がする。

そうかそうか。
お酒にこだわりがあった訳じゃなく、
単に地酒を飲んでただけだったのかも?
と思って満足して帰った記憶が。

すっかり忘れてた。

自分がすごく好きだったことも、
忘れてしまうもんなんだなと思った。

好きなこととか、楽しかったことを書き留めておくといいって、
ああ、そういうことかと思った。

2012/09/09

仙川の夏

夏ももう終わり、かと思いきや
今日も暑い。

東京だとは思えないほど、
空がきれい。
いい天気だな〜。

2012/09/08

模型ではない!

本城直季さんという写真家?の、
「small planet」という写真集を見た。

海、山、工事現場、夜景、白川郷まで、
さまざまな景色が巧みにミニチュアで作られて、
撮影されている
細かいとこまで見事な作り方。
暇な人がいるもんだ。

と感動しながら、ひとしきり見終わった後、
その写真集の持ち主が言っていたこと。
この写真は、本物の景色を模型のように写すカメラで撮影されている。
って。

ええええ!!!

驚いた!
模型ではなく本物だった。

中に浮いたヘリコプターと、
その影まで、どうやって作ったんだろう?と、
不思議に思ってたけど。
は〜それなら納得。


うわ〜この部分は本物っぽい
と感動してた場所は実は当たり前で、
模型っぽい、まだまだだと思った所が、
感動する場所だった。

間逆じゃないか!

その写真集の最後に本城直季さんの言葉が載っていた。

その文章の締めくくりに書いてあったこと。

『一歩退いてものごとを見ると様々な答え、結果がでてきます。自分の受け取った気持ち、相手が受け取った気持ちを素直に受け入れると一つの写真でも色んな見え方がすると思っています』

なんか、
スカーンと一本背負いをされたみたいだった。

2012/09/06

どうってことないこと

「こう言ったらどう思われるか」
っていうのが気にならなくなったら、
思ったことを言いやすくなった。

こんなに楽なことはない。

今となっては、人からどう見られるか、が、
どうして、あんなに気になってたんだろう?
と思う。

バカだと思われるんじゃないか、
生意気だと思われるんじゃないか、
変な人と思われるんじゃないか、
センスがないと思われるんじゃないか、
嫌われるんじゃないか、
話が合わないと思われるんじゃないか、
いつか、一人ぼっちになるんじゃないか、
などなどが、頭を巡ってた。

「そう思われたらどうなるの?」
って聞かれた時に、
えっ?と思った。

まあ、どう思われても、どうなることもない気がした。

そうかそうか、と思った。
どう思われても困るわけではなさそうだ。

そう思ってから、思ったことや考えたこと、
今までは言うのをやめてたことも話やすくなった。
誰に対しても。

いろいろ話してみたら、返ってくる返事がおもしろい。

な〜んだ。
話したってよかったんだ、と思った。
こっちの方が、一人ぼっちにならないかもな、
と、今は思う。

2012/08/21

ブログを始めて1年

昨年の夏、ふと思いたって、ブログをはじめてみようと思い、
おもしろくなかったら、やめればいいやと思ってたけど、
なんだかんだと、やめないでいる。

過去の自分が書いた文章って、読むと結構おもしろい。
というか、こんなこと書いたっけ?と思ったりする。

これで、記憶がなくなっていっても、思い出せる。

あれ?いや?
記憶がなくなったら、書いたことも忘れるか。
な?
んんん?
まあ、いいか。

これからも、ぼちぼち書いていってみようかな。

2012/08/02

明日は亡父の誕生日

父親が生きてたら、明日で84歳になる。

夏は、よく一緒に海へ泳ぎにいった。

いつも、かき氷を食べに行った、
少し崩れかけたあのお店のお兄さんは元気かな?

記憶をたどって。
昔父から聞いた話。

「給料をもらったら、給料分以上の仕事をする。
技術を身に付けたらそれに見あった報酬を交渉する。
給料が増えたら、また給料以上の仕事をする。
そうやって仕事は一つ一つ手に入れていくもの」

お墓参りは暑いので、一つ父からの教えを思いだして墓参りの代わりにしたりして。

きっと父ちゃん、あっちで、ずっこけてるだろうな。

生きていくっていうのは、こうやって、いろんな人の記憶に何かが残っていくものでもあるんだなと思ったりする。

2012/07/30

ヤモリ

人数の少ない、土曜日の学童クラブは、
いつもと一味違う。

やんちゃな小2の男の子が、珍しく本を読んでと言ってきた。
いつもは、そんな、かわいいことを言わない子だったので、
喜んで本を読んだ。
本の内容は、母親がかってに日記を読んだのに腹を立てて、
でたらめに明日の日記を書いたら、それが実際に起こったという話。
面白い本が出ているもんで、私も楽しくなって読み進めた。

やんちゃな子と、その友達が、私が本を読むのを聞いていた。
途中で、トカゲの話が出てきた。
その時に、やんちゃな子の友達が、
「オレ、首にヤモリがわ~って走ったことあるよ。怖くなかった」
と言った。
はいはい出た出た、自慢話ね、と思った。

そしたら、やんちゃな子が、
「オレも、家にいる時ヤモリが目の前にポトンって落ちたことある」
と言った。
おお、おお、自慢話大会、いいね~と思ったら、続きがあって、
「びっくりして、うわって言ったら、母ちゃんが『何?』って聞いたけど、
なんでもないよ、っていったら、母ちゃんに『怪しい~』って言われた。
でも、言わなかった。」
と言う。

もしや。

「お母さんをびっくりさせないように、黙ってたの?」
と聞いてみたら、真剣な顔で「うん」と言う。
いつもみたいに、半笑いでウソだよ~という表情ではない。

やられた。
なんて、かわいい。
いつも、いたずらしかしないくせに。

思わず、優しいね~と言って、頭をくしゃくしゃとしたら、
いつもなら、やめろよとか言うくせに、
うっすらニコッとしてた。

子どもと過ごしてると、こういう瞬間が、ごくたまにある。
こういう瞬間が、たまらなくすきだ。

2012/07/29

続・元気帳

すばらしい元気帳ができたと思う。
いろんな人に元気帳を手に取ってもらいたい。

と思う反面、今思うことは、

元気帳がなくても、
お互いに思ったことを率直に優しく差し出せるような、
そういう場があったらいいなということ。

元気帳はやっぱり、道具でしかない。
それでも、その道具がないと、
私は、人のよい所が見えない時が多いし、
自分と違う考えをなかなか受け止められない。
つい、ああ、言い過ぎたと思うことが多い。
元気帳は、優しい会話のきっかけになるじゃないかなと思う。

学童クラブで聞いた話。小学校1年の子が、学校で
「チクチク言葉」と「ふんわり言葉」というのを習ってきたと話していた。
チクチク言葉とは、人を傷つける言葉のことらしい。

「それはチクチク言葉だよ。言っちゃいけない言葉だよ」
「違うよ、これはいいんだよ。だって、そういう意味で言ってないもん。」
というような会話をしていた。

何がチクチク言葉で、何がふんわり言葉か。
言う人と聞く人と、同じ言葉でも受け取りが違うんだなと思った。

私も、チクチク言葉は言われたくない。
なので、人にはチクチク言葉を使わないように気をつけたい。
考えが違うこと、意見が違うこと、やめてほしいと思ったこと、
そんなことも、ふんわり言葉で伝えられたらいいんだろうなと思う。
難しいけど。
ニコニコして黙ってる方が楽だったりするし。
それは今までの、慣れたやり方。

元気帳を見ていると、チクチク言葉より、ふんわり言葉が頭に浮かぶ気がする。
それは、きっと、自分に対して、ふんわり言葉で話せるようになるから、
かもな、と思ったりする。
自分自身にふんわり話せたら、他の人にもふんわり話せるのかもいれないと、
元気帳を見ながら思う。

2012/07/16

昼のバス

京都からの帰り。
お昼の高速バスにはじめて乗った。

甲南サービスエリアにて。
休憩が長くてゆっくりできていい。
今日はいい天気だな〜。

2012/07/14

元気帳

梅雨です。
ここ連日、じめじめと湿気の嵐。
今日の湿度98%→80%→66%→70%→78%だって。

半年くらい前の雨が1カ月降らなかった頃、
今の湿気があったらな~と思います。
うまくいかないものだな。

まあ、乾燥してるより、いいか。

最近、ひょんなことで、お知り合いになった人から、
「よかった猫ノート」という手作りのノートをいただいた。
なにげに良かったことがあったら書きこんで、
寂しいとき、悲しいとき、つらいとき、
おもむろにノートを取り出して読んでみうると、
少しだけ幸せな気分になれます、という、
ぺらっとした説明文つきの、
ネコが遊んでいる表紙の、本のような、かわいいノート。

よかった猫ノート。

3年前にWRAP(ラップ)のことを知った時に、
このよかった猫ノートに書きたいようなことを、
いろんな人(特に子ども)と一緒に話す時間があったらいいだろうな、と思った。
そのための、何かがあったらいいなと思ってた。

3年前には、「元気帳」というものが手にとれるとは、想像もしてなかった。

文字で文章を翻訳した人、
その文章を呼んでイメージを語った人、
こんなのがあったらいいと、アイデアを出した人、
そのアイデアをイメージしてデザインした人、
デザインを見て自分のイメージを伝えた人、
みんなのイメージを、まとめてデータに仕上げた人、
そのイメージを形にしたのが、
よかった猫ノートを作っている人とは。
なんという偶然!

出会いというのは、本当におもしろい。
偶然の出会いがなければ、「元気帳」もなかったんだろうな、と思う。
いつか、元気帳が本屋さんで売られたりしてね?

2012/07/09

応援してくれる人

やりたいことを一生懸命やってみたら、
やろうと思った通りには、うまくいかなかったけど、
心から応援してくれる人がいるんだと気が付く出来事があった。

すごく嬉しかった。

そうだそうだ。
少しくらい道が閉ざされても、先がないわけではないんだった。

また困ったら、心から応援してくれる人に、困ってますと言えばいいだけなんだった。

忘れてた。

2012/06/27

痛み

子どもがたくさんいる場所で働いていると、時々、「えっ!」と思うことと遭遇する。
たとえば、足から血を流しながら、走り回っている子。

そういう子に「足から血が出てるよ、大丈夫?」
と声をかけると、たいがい、
「大丈夫、大丈夫。さっき転んだだけ」
なんていう、軽い返事が返ってきて、あっという間に走り去っていく。
すでに血が固まって、ホラー映画の特殊メイクのようになってたりする。

かと思えば、ケガの手当てをする当番の日に、事務所にいると、
おお泣きしながら、足をひきずってやってくる子もいる。
どこをケガしたの?と思うくらいの、小さな傷だったりして。

ひとしきり泣いた後に、
「○○ちゃんに○○されて転んだ」と言ったり、
「ボールをぶつけられた」などと言ったりする。
そういう時は、単にケガの手当てだけをしても、
痛みは治まらない、というのがわかってきた。

○○ちゃんを呼んで話をしたり、
どいう状況で何が起こってどう思ったのかとか、話をしているうちに、
手当てもまだしてないのに、「もう遊びにいく」と言ったりする子もいるし、
明らかに腫れているのに、痛くなくなったと言って出ていこうとする子もいる。

実際のケガの度合いと、痛みの強さは、比例しないものなのかもしれない。
痛みとは、不思議なもんだなと思う。

2012/06/17

家のたとえ

今日のIPS(インテンショナルピアサポート)の勉強会で心に残った言葉。

『温かいご飯がきちんと出てきて守られているのもいいけど、安宿で旅したり野生味がある方が生き生きしているように思う。』

この言葉を聞いて思ったこと。

「それいいね」と応援してくれると、自信がついたりして、自分の家(内面)が立派になった気がして、やる気がでることもある。

のだけど、

ある時突然、そうやって頑丈になった家が息苦しく思う時もある。

本当は家なんかない方が気持ちがいいし、雨風も気にならない時は最高に自由な気がする。

でもやっぱり家がないと困る時もある。

「家がないのが気にならない」ってのが、私の理想なのかもしれない。

2012/06/13

お茶

6月だというのに、まだ肌寒い。起きぬけに温かいお茶が飲みたくなって、明日葉茶を飲んでみた。
これは手軽でおいしい。

味は。。。味を説明するのは難しいな。
麦茶とハト麦茶を混ぜたのを、色を濃くして、
えぐみと苦みをとったような感じ???

とりあえず、おいしいです。

知らない土地に行くと、その土地のお茶が気になって、
おみやげに買ってくることが多い。
2~3年前に、仕事のキャンプで伊豆の大島に行った時に、
「明日葉茶」というのを発見して買って、冷凍しておいた。
というか、冷凍していたのも忘れてた。
いつか飲もうと思ってたのを思いだした。

だいぶ前に、長崎に行った時に、びわ茶と出会い、
色のきれいさと、あまりのおいしさにびっくりしたけど、
明日葉茶も、相当おいしくて、びっくりした。

その土地その土地で、よく飲まれているお茶は、
そんなに高くなくて、おいしいことが多い気がする。

2012/06/08

やってみなきゃわからないこと

おもいきってやってみなきゃわからないこと、は、
結果として学ぶことも多いけど、やっぱり疲れる。

思ってもみないことを言われたりもするし、
思ってもみないことが、次々に起こったりもする。

その代わり、ずっとやってみたいと思い続けてたことが、
知らないうちにできてた、なんてこともある。
こうしないと到達できない、先は長い・・・と思っていたのに、
どうなるかわからないけど、やってみたところに道があって、
いつの間にか出来てた。

こんなお得なことはない。
のだけど。

そこにたどり着くまでには、
全貌が不透明でよくわからない不安があって、
自分でも何をしているのか、何をしないのかわからなくなったりして、
自分のやっていることは、全部間違いじゃないかと思ったりもして、
私はやっかいものなのではないか、
ここに居場所はないんじゃないか、
味方はいないかもしれない、
みんなから嫌われているのかもしれない、
今のここから抜け出してしまいたい、
そんないろんな気持ちが入り乱れる。

そこから一歩抜けたところに、
ああ居心地がいいなと思える空間ができたり、
したいことができる環境がやってきた気がする。

もう無理だと思った時に、誰かとふと話をして、
あれ?何を1人ヒロインにひたってたんだろう?と、
我に帰ることが多い。

路頭に迷っています、
暗礁に乗り上げています、
どうしようもないと感じています、

そんなことを思うのは、やってみなきゃわからないことをする時に、
付きものなのかもしれない。
自分が「こうしないと到達しない」と思っている道以外に、
きっと、いろんな道があるんだろうな。
話していて、お互いの道が広がるような感じがする、
そういう会話もあるんだなと感じる出来事があった、
そんな1日だった。

2012/05/24

自分に返ってくるような気がすること

楽しい気持ちは、回りの人の楽しい気持ちも呼び寄せるんだなと思う出来事があった。

どんなに助けがほしいと思う時でも、助けてもらったと思ったら、その分自分も何かしたいと思う。

それも自然な流れなんだろうな。

ずっと助けられてばっかりで嬉しい人はいないと思う。

話は変わりますが。

「意地悪したら意地悪が返ってくるよ」
ゲームでズルを続ける学童の子どもに腹を立てた私が何気なく言い放った時、
回りにいた7〜8人の子たちが一瞬し〜んとなった。

わ、私また怒って言ってしまった、
そんなことないよ〜べ〜何言ってんのとか、
非難の嵐がくると覚悟した瞬間、

「そうだよ。意地悪返ってくるよ」
と私に同調してくれた子や、
「そうなの?」と他の子に真偽を確かめる子、
「へ〜そうなんだ」とうなずいてる子

意外な展開だった。

とある子が、意地悪したら本当に返ってくるの?聞いてきて、
そう聞かれると本当かどうかわからなくなって、
でも、何となくそんな気がしたので、
私はそう思うよと答えた。

なんとなくそんな気がすることがたくさんある。

意地悪をすれば意地悪が返ってくる、
イタズラをしたらイタズラが返ってくる、
優しくすれば優しさが返ってくる、
笑顔を見せたら笑顔が返ってくる、
イライラしたら、イライラが返ってくる、
などなど。

楽しいと思ったら、楽しさが返ってくるというのは、
今まで思ったことがなかったから、新鮮だった。

2012/05/13

小さな楽しみ

ねこカレンダーへ落書きをすること。


「オレは、ら~い~お~ん~だ~」



「はい、こちら捜査本部」     「部長、お茶が入りました」

2012/05/10

雑誌②

記事、読み終わりました。
ほ~らね、すぐに読めてしまう。
この1回目のドキドキは、2回目はないんだよな~。

ひとつ、ラッキーなことが、ありました。
なんと、3ページしかないと思ってたら、
活字だけのページが5ページもあった!!

なんて、お得。

今度出るアルバムは、今に集中した作品らしい。
ほしい。
いったい、いつ出るんだろう?
5月30日なのかな?
読みごたえのある文章で、宣伝らしきことは書いてないので、
情報はつかみにくかったりする。
ご縁があれば、手に入るでしょうね。

は~~~。

久々のドキドキ、楽しかった。

雑誌

数年ぶりに雑誌を買った。
「Rockin'on JAPAN」

読みたい記事は3ページだけ。
読み終わってしまうのが、もったいないので、
まだ読み始められずに、ブログを書いたりして。

ああ、ドキドキする。
このドキドキは久しぶり。

「エレカシ」と見つければ雑誌は全部買って、
ファンクラブにも入っていた頃、Rockin'on JAPANが妙におもしろくて
読みあさってた。

Rockin'on JAPANには、誰よりもエレファントカシマシを好きな記者がいる。
おそらくデビュー当時から追っかけている。
その人のインタビュー記事がおもしろい。

インタビューをまとめたものが本になっていたりして、
活字の苦手な私が分厚い本を
一晩で読みきったりした。

ここ何年か雑誌を買うということを忘れてた。

ツイッターで、インタビュー記事がいくつか出ているというのを見た。
だったらぜったいRockin'on JAPANもあるだろうと思ったら、やっぱりあった。

読み始めるのがもったいないけど。
あ〜。
そろそろ読み始めようかな。

2012/05/02

絵本

幼稚園の時に読んだ絵本で、今でも忘れられい絵本がある。

「アパートのまど」

始めて就職して借りたアパートへ引っ越した初日、疲れきって、
もう寝ようと思って電気を消した瞬間、天井に北斗七星が光った。
わあああ!!!と思った。
蛍光の星型のシールが、北斗七星の形に7個貼ってあった。
前に住んでた誰か知らない人、粋なことをするな~と思った。
部屋を借りた時には気がつかなかった。
昼間は、よ~く見ないと貼ってあるのがわからない。
そのアパートには、その後2年半住んでいたが、
毎日、その北斗七星を見ながら寝た。

そんな出来事があった頃に、アパートのまどのことを思い出して、
もう1回読みたいと思って、母に送ってほしいと頼んだ。
しばらくして荷物が届いた。そしたら。。。
見つからなかったからと、別の絵本が送られてきて、がっかりした。
2002年に再版されたようだけど、今となっては在庫も無いようで、
手に入らないままの絵本。


☆オレンジのカーテンの部屋は、
女の人が、いつもゆったりと紅茶を飲んでいる。

黄色のカーテンの部屋は、元気にカナリアが歌っている。

白いカーテンの部屋からは、
薬の包み紙で作られた紙飛行機が、いつも飛んでくる。
病気の子どもがいるのかもしれない。

みずいろのカーテンの部屋は、ピアノの音がぽろんぽろん聞こえ、
いつも同じ場所で間違えてしまう。

他の色のカーテンの部屋もあったと思うけど、忘れた。

最後は、黒色のカーテンの部屋。いつも閉っている。
夜になるとその部屋から、はしごが伸びてきて、
ピエロがきれいな音色の笛をふく。
その音色で、みんながぐっすり眠れる。

朝が来るまでゆっくりおやすみ☆


今でもここまで覚えている(違うかもしれないけど)のって、
かなり、インパクトがあったんだろうな~と思う。
小さい頃は、夜になると、どこかでピエロが笛をふいてる気がして、
ゆっくり寝られた気がする。

あああ、もう1回読みたい。
時々、無性にもう1回読みたいと思う時がある。

2012/05/01

ネコガミサマ

ダンナ「今日、ネコガミサマを見つけた」

クロコ「ん?ねこがみさま?」

・・・ネコガミサマ
・・・ねこがみさま
・・・猫神様

写メが送られてきた。

ああ、ほんとだ!!!
ねこ神様だ!!!


いやいやいや。
しかし。
おいなりさん、怒ってない?
そこ、君の場所じゃないから!
とかね。

いい感じをイメージする

WRAPの1日ワークショップで、やってみたこと。

いい感じの自分をイメージして、好きなの色の紙に、
雑誌の切り抜きを貼ったり、字を書いたり、絵を書いたり、
すきに作っていくということをした。

好きなように作る。
そういうことは苦手だと思っていた。

とりあえず台紙の色を選んだ。
A4の黄緑の色画用紙。
小学校の頃に鬼の面を作った時に、
顔の色を黄緑にして、変だ変だと言われたけど、
やっぱり黄緑がいいと思ったことを思い出した。

無造作に置かれた雑誌を目の前に、どうしよう・・・と思った。
とりあえず、一番上にあったのを開いてみたりして、
旅行パンフで、南の島の写真が目に入った。
ペラペラめくると、イルカが2頭、思いっきりジャンプしてる写真。
あ、これだな、と思った。
はさみが全部使われていたので、ざくざく手でちぎって、
黄緑の台紙の真ん中に貼った。

次は何にしよう、と思った時点で、かなりウキウキし始めていた。
これと、これと、これと、これ・・・選んでいるうちに、
1枚の中に収まらないくらいの切り抜きを手に持っていた。

きれいに整備されてなくて、雑然としていても気にならない時、
次に何をするかとか、時間がないから早く早くとか、
そういうことを気にしない時、ふらっと散歩に行きたくなるような軽さ、
そんなことを思いながら、時計を逆さまに貼ったり、
自由気ままに作った。
その裏面には、きちっと切りそろえて、バランスとか色合いを合わせて、
きれいに整頓された感じで貼った。

本当は、きっちりした方がすき。
だけど無造作に、奔放にすることにあこがれもあって、
きっちりしてなくても気にならない時もある。
そんな両面が行き来できる時が、
自分のいい感じかもしれない。
そんなことを、ぺたぺた貼りながら考えた。

言葉で考えるのも、おもしろいけど、
目で考えるってのも、おもしろいもんだと思った。

2012/04/26

月面支店のピザ屋

ピザ1枚=2億円。

支店を1店舗作るのに1兆円。

そんな計算をしている人がいると、テレビで見た。
試算が出るってことは、
夢物語ではないってことか。
すごいな。

2012/04/18

とりとめもなく、ひとり言

してみたいことは、たくさんあるけど、
本当に力を入れてしたいと思えることは、
まだ見つかってないような気がする。

コンビニのバイトを辞めることにした。
8か月だったけど、よく顔を合わせるお客さんには、
「レジで会うのは、今日が最後かもしれません、
お世話になりました。」
と言いたくなった。
言わないけど。

鼻声だと「あれ?風邪ひいたの?」と、
さりげなく声をかけてくれるおじさんや、
おつりを渡すたびに、毎回ニコッと「ありがとう」と言ってくれる人。
そういう人には、今までありがとうございました、と挨拶をしたくなる。

反対に、いつも、おつりをひったくって行く人には、
最後だから、おつりをひったくられるのは、イヤな気持ちだった、
と言ってやろうか!!と思ったりもした。
言わないけど。

今時の若者と言われる10代の人々は、
たいがいの人が、袋は要りませんと言い、
お金の受け渡しの対応が、すごく丁寧だったりする。
BGMで聞きたくない音楽が、何回も流れること以外は、
楽しいバイトだったな~と思う。

もし、コンビニのバイトに全力を注ぐなら、
陳列の仕方、接客の言葉のタイミング、商品のこと、
磨き始めたら奥が見えないくらい、
たくさん身に付けたらいいんだろうなと思うことはあった。
けど、それに、これ以上力を入れたい、
という気持ちにはならなかった。
お金を稼ぎたいって動機だと、やる気に限りが出てくるのかもな、
と思ったりもする。

没頭したら何でも奥が深い。
そのためには、時間もかかる。
そこに時間を注ぐと、その時間は働けない。
お金がなくなってくる。
お金を稼ぐために働く。
生活するっていうのは、
そんなことを繰り返すものなのかなと思う。

一つのことを長く続けるとか、
一つの事だけに没頭することは、
私にはできないかもしれないし、
何もしないで、のんびりしている方がすきだし、
生まれ変わったら、家も荷物もないネコになりたいけど、
人間でいるうち?は、してみたいと思ったことだけは、
いろいろやってみようと思う。

2012/04/07

かっこいいとは、こういうこと?

といえば「紅の豚」

今日、テレビで再放送してた。
DVDも持ってるのでいつでも見られるのだけど、
やっぱり全部見た。

最初に紅の豚を見たのは、
登場人物のフィオという女の子と同じ年の、
17歳の時だった。
それはそれは衝撃的だった。
同い年で、こんなにしっかりして!!と思った。
で、マズイマズイと思った。

当時は、渡辺美里に心酔していた時期で、
歌詞の内容やら、雑誌のインタビューやら、
ファンクラブの会報やら、そんなことしか頭になかった。
今の職場が、渡辺美里が卒業した高校のすぐ近くで、
そんなことを当時の私が知ったら、気絶したかもしれない。
毎週土曜にやっていたラジオにも、毎週ハガキを送ってた。
紅の豚を見た後、そのことをハガキに書いて送ったら、
なんと、ラジオでハガキを読んでもらえた。
その時の録音したテープがあるはずなのに、
どうしても見つからないのだけど。
実家に置いている間に、片付け魔の姉に処分されたかも。。。

とまあ、方や飛行艇の設計図を書いている17歳、
方や、将来のやりたいことも見つからずにいる17歳、
見るたびに、私もしっかりしないと・・・と思っていた時期もあった気がする。

今見てもおもしろい。
前はわからなかった会話の意味が、
だんだんわかってきたりするのも楽しいし、
音楽もすきだったりする。

そして。

見た後に、こうやって文章を書いているということは、
私にとっては、なんかよくわからないけど、
刺激的な映画なんだな~と思う。

2012/03/29

送別会

送別会って、残る人のためにあるんだよな、と、
この時期になると思うことがある。

見送る側になった時、別れがたい人が去っていくことに、
しょうがないと気持ちの区切りをつけるのに時間がかかる。
そういうときに、送別会があると、ここまで、と
きっぱり別れやすい。
さらに、この人がいなくなって、この先どうしようか、
という次への話で、残った人の結束力が強くなったりもする。

もう、いち早く離れたいと思うような人を見送る時も、
双方別れるとなると、後腐れなく別れたいという気持ちが出るからか
送別会では不思議と、意外と今まで話さなかったようなことを、
話しできたりする。

今は、そういうことも考えるのだけど。

20代の終わり頃、最初の職場を退職する時は失敗した。
イヤなことがたまり過ぎての退職だったということもあって、
「送別会はしないでください、迷惑です」
と言いきって、飲み会にも一切出なかった。
腐った組織にいる人が、みんな腐った生活をしているように見えて、
早くそういう場所から抜け出したかった。

全く会っていなかった上司から、数年後に、
「なにも力になれなくて、今でもすまないと思っている」と、
年賀状か、メールをもらった時に、しまったと思った。

新卒で礼儀も何もわからない私に、電話の取り方から、
自分の判断で人のしたいことを決めない、ということまで、
一つ一つ教えてくれた上司だった。
人手が激減している中で、私が風当たりなく
気持ちよく辞められたのは、この上司のおかげだと思う。
その上司が、私に悪いことをしたと、ずっと思っていたとは。。。
そういう話をする機会も閉ざしていたとは、気が付かなかった。

送別会は、自分で企画してでも、お世話になった人に、
ありがとうございました、と言うべきだった・・・と思った。

見送られる側の送別会って、
花をもらったり、お礼を言われたり、こっぱずかしいし、
でも、残る人たちの次への会話には入れないという、
独特の疎外感を感じたりもするので、居心地は悪い。

それでも、送られる側になったら、
送別会は必ず出席したいと思う。

2012/03/16

うだつが上がらない人

「うだつが上がらない」と聞いて
一番に頭に浮かぶ、イメージピッタリの人がいたのを思い出した。

中学〜高校に通っていた塾の、数学の先生。
推定40歳代の無精髭のある独身の男性。
京大を出て、田舎の中でも特に田舎に母と住んで、進学校でもない塾の講師が職業。

名前も忘れてしまったけど、この先生のおかげで、私は数学が大好きになった。

生徒は多くても4〜5人のクラスで、おのおの口々に「なんじゃこりゃ〜」と騒いでいても、1人1人丁寧に教えてくれた。
何を教わったか忘れたけど、教えてもらうのが楽しかった。

証明なんかは答える方法がたくさんあって、わくわくして好きだと言っていた。

教える時も、それじゃダメと言われたことはなく、こういう方法もあるよと言ってくれていた。(と思う)

授業でわからなくても、塾で聞けばたいがいのことが段々とわかるようになってきて、数学を勉強するのが楽しかった。

当時の私は、京大を出たら、もっといい就職口もあっただろうとか、親からもっといい就職先をと期待されないんだろうか、などなど疑問に思って、どうして塾の講師なんかしてるんだろう?という疑問を、そのままぶつけたりしていた。

今考えると失礼な言い方でたくさん質問したけど、いつも真剣に答えてくれていた。

「年老いた母のそばに一緒にいたいから」と返事を聞いた気がする。

うだつがあがらない、という言葉がぴったりで、こういう風な人になりたいと思った理想の人だった。


なんてことを思い出したりもした、心に響くことと、学ぶ楽しさと心地よい疲労を感じた、研修3日目だった。

2012/03/09

いつでも手に入るということ

コンビニでバイトをしていて思ったこと。
食べ物は、賞味期限がくると廃棄処分になる。
かなりの量の食べ物が捨てられていく。

「廃棄」を出さないようにする、のではなく、
「廃棄」が出るくらいがちょうどいい、と経営者は言う。
はあ?なんで?と思ったら、
廃棄が出るくらいの量を揃えておかないと、
お客さんがほしいと思った時に、いつも品切れ、になってしまうから
という理由らしい。

その話を聞いて、いつも食べ物が手に入る場所が、
いったいどれくらいあるのか・・・と気が遠くなった。
コンビニはもちろん、スーパー、ファーストフード、飲食店、飲み屋・・・
どこでも大量に「廃棄」が出ているのだろう。

学童クラブでも、登録人数分のおやつが毎日届き、
全員が毎日来るわけではないので、来ている子で、
おかわりして食べても、到底全部は食べきれない。
利用する人が、お金を払っているので、
スタッフが食べることはできず、
余ったおやつは、いつも処分することになる。
もったいない・・・ここのやり方はおかしいと思っていたが。

学童クラブだけではなくて、
至る所で「廃棄」があったんだと思った。

ほしい食べ物がないと、どうしてないのか、と思う。
品ぞろえがいい店は、行きとどいていると思っていた。
けど、この話を聞いてから、
品切れの店の方が良心的なのかもしれないと思った。

品物が揃っていないと文句をいうことが、
「廃棄」するものを増やすということに繋がるとは、
思ってもみなかった。

昨年は、スーパーやコンビニで品物が激減した時期がしばらく続いた。
それでも、食べるものが全くないという事態にはならなかった。
食べたいものが手に入らないだけで、食料になるものは手に入った。
いつも食べている品物がなくて不便に感じたけど、
「廃棄」をなるべく出さないということなら、
それくらいでちょうどいいのかもしれない。

料理はすきではないけど、
どんな食材でも自分が食べやすいように料理できるように、
なりたいとは思う。

2012/02/29

続・将棋

ミニ将棋盤を、以前に買ったのを思い出して、
自分対自分で勝負してみた。

さすがに、互角の戦い。
あたりまえか。
一人の私は飛車を王の前に置いて先に守る作戦、
もう一人の私は、角を動かして先に攻める作戦。

持ちごまの使い方も、ほとんどわからないので、
最後の方には、お互いに丸腰だったけど。
おもしろい対戦だった。
そして、気が付いたら自分に詰められていた。

結果は、角で攻めた方が勝った。
へえ~そうなんだと思った。
守ってるだけだと負けてしまうってこと???

どうやって勝ったのかは、自分でもわからない。
自分で自分に勝ったのだけど。

こりゃ~おもしろい遊びを見つけた。

2012/02/28

将棋

小学1年生の男の子と勝負して負けた。
少し攻めてみようと思ったら、
あっという間に、右半分の、
金~香車まで、根こそぎ持っていかれ、
あっという間に丸腰に。
しかも、手加減なし。
初心者には、もう少し優しくしてくれてもいいのに。。。

「ぼく、将棋弱いよ」
って言ってたくせに。うそつき~~~。
と思って、「ちょっと強いじゃないの!」
と文句を言ってしまった。

そしたら、小1の彼は、
「弱いよ。○○君より。あいつには負けるもん。」
ああ、そうか、と思った。

私の負け試合を見に、何人かの男の子が寄ってきて、
次の手はああだ、次の手はこうだと言ってくる。
これ幸いと、次はどう打てばいい?と聞きながらやっていたら、
その、一番将棋の強いといううわさの彼に、
「自分で考えて」
と言われてしまい、その後数手で負けた。

その負け試合の続きを、自分は弱いと言っていた彼が、
終わりにしないから続きやろうと言うので、
続けていたけど、どうにもこうにも、責められない。
強いというウワサの彼に助けを求めると、
「降参して代わる?」と聞かれたので、
代わってもらった。

そしたら、あっという間に体制を立て直して、
持ちごまを使って攻めて、また持ちごまを増やしていく。
私がさっきやられたような、銀の横に入り込んで、
というような方法で、隙をついて、パッパぱっぱと。
うっかり取られても、「計算のうち」と言ったりして。
まったく気合負けしない。
人の試合を見ていると、次はこの手しかない、というのがわかったり、
ああ、そういう手もあったのか!!!と思ったりする。

なんなんだこれは。
おもしろいじゃないですか。

父が生きているうちに、将棋の進め方を聞いておけばよかった!
小さい頃に、父は飛車、角なしだったのに負けてしまって、
それから将棋はやらなくなったのだけど。。。

昨日は、ちょっと将棋のおもしろさがわかった気がした。

2012/02/25

入ってくる時期

今は本を読んだり、You tubeを見たりするのが楽しくてしょうがない。

たぶん今は入ってくる時期なんだろうなと思う。

また、書くのが楽しくてしょうがない時期がきたら、いろいろ書きたいなと思う。

昨日は、千原ジュニアさんの『14歳』という本を読んだ。

精神安定剤をこっそりご飯にまぜるという行為を、誰かの安心を得るためには、いたしかたない時もあること‥と思っていた過去の自分は、間違っていたなと思った。

取り返しがつかなくなるような、とんでもないことを、しょうがないことと思って、疑問にも思わなかった。

どうしてあの時に‥と考えても過去には戻れない。

とすれば。

なぜ?と思ったことは一度立ち止まって考えるようにしたいなと思う。

少しのなぜ?を追及している(ようにみえる)千原兄弟の話は、すごくおもしろい。

2012/02/21

まねき猫

だいぶ暖かくなってきた。

豪徳寺の招き猫を見に行きたいな〜。

2012/02/12

脱きなこヨーグルト

昨日、乳製品を食べ過ぎると、アレルギー体質になりやすい、
という話を聞いた。

その時に、ふと頭に浮かんだのは、きなこヨーグルト。
ここ1年、毎日食べ続けてきたヨーグルト。
花粉症にいいと聞いたから、食べてみただけだった。
ううううう。

食べ物や体のことを、熱心に学んでいる人からの情報だったので、
「さようなら、きなこヨーグルト」と思った。

でも、一瞬、もう、きなこヨーグルトは食べられないのかもしれない、
と思って、がっかりしたけど、
よくよく考えると、食べてはいけないとは言われていない。

なんでも食べすぎは良くないってことなんでしょうね。
きっと。
と、都合良く解釈して、毎日食べるのはやめようかなと思い直した。

ところで。
食べない方がいい食べ物を全部排除したら、
本当に食べても大丈夫な食べ物って、どれくらいあるのだろう。
色々な人から、汚染されているかもしれない食べ物の話をちらほら耳にする
安心して食べられるものは、ほとんど残らないような気がしてくる。

そういう話を聞いた直後は、これは汚染されているのかな?と、
一つ一つ考えながら食材を見てしまう。
どれもこれも危ない食材のように思ってしまって食欲がなくなる。
生産者の顔写真つきの野菜を見て、
この顔の人なら、そんなに悪いものは売らないだろう・・・とか、
考えたりして。
結局、考えるのが面倒になって、おそうざいを買ったりすることもある。
おそうざいになっていると、危ないより、おいしそうが勝つ。

本当は汚染されていても、食事を恐る恐る食べ続けるより、
何も考えずにおいしいと思って食べた方が体に良いような気がする。

働いている学童クラブで用意しているおやつも、
バイト先のコンビニで売っている商品も、
自分だったら食べたくないものも、たくさんある。
そういうものを出したくない、と、思い始めると、
今まで気軽に働いていた仕事に、疑問が湧いてきてしまう。
この疑問が増えてくると
「もう、ここにはいられない、転職か・・・」
と考えるはめになる。
転職しても、また疑問が出てきて、同じことなのだと思うけど。

なるべく疑問は持たないで、というのは難しい。
納得のできる、おすすめできるものだけ出したかったら、
自営で店でもだして、品物を追究するしかない。
そこまでのエネルギーはない。

これは自分だったら食べたくないと思うものがあったら、
私は食べませんと、言いきるしかないか、と思う。
たとえば、
子どもに「大人のくせに、自分が食べないものを出すの?」
と言われても(言われないかもしれないけど)
お客さんに「納得のいかない商品を売りつけるのか!」
と怒られても(怒られないかもしれないけど・・・)
「私は自分で食べないものを出してます」
「私は自分で食べないものを売ってます」
と言うしかない。

とまあ、昨日は、いろいろ考えるきっかけになった。
疑問を持つということは、自分が偏屈になっていく気もする。

2012/02/11

おっとりは悪くない

「せっかちは悪くない」というテレビを見て、
ってことは、おっとりも悪くないのか、と、はたと気づいた。

1週間くらい前に、山本文緒さんの、まだ読んでない文庫本を発見した。
「アカペラ」
山本文緒さんの書く本を読むと、いつも、
地を這いあがるような力が自分に湧いてくる。
ような気がする。

ほしいと思っても、ブックオフではない本屋で、すぐに本を買うのは躊躇する。
1回読んで終わってしまう本だったら、もったいない。
本も、DVDも、毎日見ても飽きないものがほしい。

古本ではない本を買いたいと思う回数と、
映画を見たいと思う回数は、同じくらいかもしれない。
少なくて5~6年に1回、
多くて1年に2~3回
これおもしろい、という作品に出会うと、1か月に何回も?

山本文緒さんの本と出会ったのは、何年前くらいだろう。
少なくとも7年は経っているような気がする。
「絶対泣かない」と「きっと君は泣く」どっちを先に読んだかは忘れた。
楯と矛のような本のタイトルで、単純に内容が気になった。

それから自分でも気が付かない間に本棚に
山本文緒さんの文庫本が、どんどん並んでいった。
まだ読んでいないのを探すようになって、
出版社が違って、同じ作家の本が出ていることを知った。
本を読むのはきらいだったので、本の探し方もよくわからなかった。

しらみつぶしに探して買って読んでを繰り返しているうちに、
幻冬舎という出版社がすきだな、と思うようになってきた。
それまで、出版社の違いも分からなかったのに。

そうそう、それで久しぶりに、私にとっての新刊を発見して、
6年間執筆を休んでいたことを知った。
そういえば、ここ何年か、山本文緒さんの新しい本がないな~、
とうっすら思っていた。

感想を、手紙に書きたいと思ったけど、どこに送ったらいいかわからず、
そういえばと思ってネットを見ていたら、ツイッターを発見し、
本の感想を書きこめるホームページを発見し、
なんと便利な世の中!!!と思った。

でもやっぱり、手紙を書きたいなと思い、送り先はわからないままだったりする。

2012/01/31

きなこヨーグルト

まさかのおいしさだった。

【レシピ】
・食べておいしいと思う、ほどよい甘さの、きなこ
・プレーンヨーグルト

きなこ1×ヨーグルト3

くらいを適当に混ぜるだけ。
簡単でおいしい。

お正月になると、あべかわを食べたくなり、きなこを買う。
一袋使いきる前に、あべかわに飽きるので、きなこが余る。

花粉症を和らげるために、毎日ヨーグルトを1年食べ続けるといいと聞き、
バナナ、プルーン、ココアパウダー、そのままといろいろ味を変えながら
まあまあ1年食べていた。

嫌いではないものの、大好きではないものを食べ続けるのは、結構難しかった。

寒くなってヨーグルトは食べたくない時期に入り、せっかく食べ続けてきたのに、もう終わりか‥と思った時の苦肉の策。

きなこが、大当たりだった。

甘すぎるヨーグルトは好きではないので、このほどよい甘さときなこの味。

救世主に救われた。
これで、ほんとに花粉症が軽くなったら、いいな。

2012/01/22

湿気

おととい、雪交じりの雨が降った時は、
久しぶりの湿気に、やった~と言いたくなった。
いや、窓を開けて、実際にやった~と言った。
長かった乾燥した日々から解放された。
湿気が、こんなにありがたい、と思ったのは、
生まれて初めてかもしれない。

小さい頃、湿気の多いところで育ったのもあって、
湿気がありがたいと思った記憶はない。
どちらかと言うと、湿気を恨めしく思っていた。
大好きなマンが本を部屋の隅に積んで2週間ほど置いておいただけで、
下の方から何冊かカビが生えていたことがあった。
冬は天気のいい日も少なく、いつもじめじめしていた。

関東に住んでいた叔母が遊びに来て、
雪が積っている時に洗濯物を干している事に驚いていた。
雪が積っている上に干したら、洗濯物が湿気るんじゃない?
と言っていた。
雪が積っているかどうかに関係なく、
一瞬の晴れ間に洗濯物を外に干すのは、当たり前のことなのに、
何を驚いているのだろうと思った。

湿気の多い田舎を出て、東京に住み始めた頃、
秋~冬のカラッとした感じが、
なんて気持ちのいいものなんだろうと思った。
洗濯物の乾きが、異様に早い。
関東に住んでいた叔母が、驚いていた理由がわかった気がした。

3日前まで、のどが痛い、のどが痛い、と思っていたら、
30日以上雨が降らない日が続いていたようで、すごく乾燥していた。
タオルを濡らしてかけても、洗濯物を部屋の中に干しても、
すぐに乾いてしまう。
おそろしい乾燥具合だった。
乾燥で、呼吸が苦しいような感じもしていた。
そこに、恵の湿気。

だけど。
3日も雨が続くと、1日くらい晴れてくれてもいいのにな、
と、3日前の感動は、すっかりなくなっている。
思った所で、天気は思い通りにはならない。

晴れが続くと加湿器がほしくなり、
雨の日には除湿機がほしくなる。
もし、いろんなものを手に入れて使えば、
適度な湿気、適度な乾燥で、快適に過ごせるかもしれない。
本当は思う通りにならない天気を、
思い通りにしてしまっているような錯覚を起こしそうだ。

雨が続くと、少し晴れた方がいいなとは思うけど、
あの、乾燥した息苦しさを考えると、
以前よりは、湿気を楽しめるようになったかもしれないと思う。

2012/01/21

タイトルが思いつきません

何も言わないで言葉が出てくるまで待ってくれる、
すぐに答えを出さないで話を聞いてくれる、

これを実践するのは、すごく難しいことだったんだと、
改めて思った。

意味のある言葉を言わなくてもいいと思えること、
何の役割もなくその場にただ居られること、
何の役に立つことをしなくてもいいと思えること。

もし、みんながそう思えたとしたら、
電車の中で、どういう会話が聞こえてくるんだろうな~。

誰かに何かをしてあげて満足すること、
何かをされる役になって人を満足させること、
その歯車がピッタリ合っていることが多いのだと思う。

その歯車から外れて、自分は本当はこうしてほしいんだと言うためには、
自分が本当に必要なことを知る必要がある。
自分が本当に必要なことは、一人で考えていても、なかなか出てこない。
そこに気づくのに会話が必要なんだろうと思う。

何かをしてあげて満足するという気持ちも持たずに、
どうこうしようとしないで話を聴いて、
答えを出さないで、言葉が出るまで無言で待っていてくれる、
お互いにそういう風に会話が出来たら、
本当に自分にとって必要なことを自分で気づけるんだろうな、
と思う。

2012/01/15

失うと怖いもの

お金を失っても、仕事を失っても、信用を失っても、死にはしない。

ただ、自信を失ったら死ぬかもしれない。

自信を失い続けるというのが、一番「死」に近づく気がする。


それと、一番失ったら怖いのは、自分の周りの人が死ぬということ。

自分が死ぬより、自分の周りの人が自分より先に死んでいく方が、ずっと怖い。

人魚の肉を食べて不老長寿になった人の悲しい伝説が、私の生まれ故郷に残っている。

何百年も歳をとらないで、自分だけ生き続ける‥これ以上怖い話はないと思う。

お金

今は、お金があれば食べ物を買える。

食べ物を買えば、ありがとうございます、と言われる。

温かい飲み物を手にすることもできる。

お金がなかったら寒い時に、温かい食べ物も飲み物も手に入らない。

もし、お金がなかったらと考えただけで、身震いがする。

お金に縛られないで、お金が無くても怖くない時がくるのかな?と思うことがある。

お金があっても何も手に入らない時もある。

口に入れるもので、何一つ、自分一人で作れるものはない。

怖いのはお金だけに留まらない。


怖い場所で怖くない雰囲気を作らないと、いい風には行かない。

と、テレビで言っていた人がいた。

怖くない雰囲気を作っていくのは自分自身なのかもなと思う。

2012/01/09

ほっこり違い(ラジオ完結編)

新年早々風邪をひき、
治ってすぐに、田舎に帰ってきた。
つまみのとれたラジオと、新しい乾電池を持って、
母に会いに行った。

つまみがとれているけど、電池を入れれば電源がつくと伝えた所、
「新しいのはいらんよ、それでいい。何か聞こえればな。」と母。

・・・だから、つまみがとれてて、チューニングを合わせられないんだってば。。。
砂嵐しか聞こえないし。。。。。

と思った時に目に入ったボールペン。
ペン先で、つまみのとれた辺りを、
ちょいちょいと、つついてみた。

手ごたえがあった。
局が動いた。

人の声が聞こえる所までたどり着いた。
「それで、ええわ。ありがとう」と母。
ふ~と一安心。

と思った瞬間。
母がラジオをろくに聞いてみもしないで、
ぱっとラジオをベッドに置いた。

その瞬間イラッとして、
「ちゃんと聞いてみなよ!」と口走っていた。

苦労してせっかく聞けるようになったラジオを、
母があんまり大事に扱っていないように感じていた。

ラジオがないと不便だろうか、
新しいのを買った方がいいだろうか、
持って行っても聞こえなかったら、どこに買いに行こうか、
と、今までいろいろ気にかけていたのに、
なんだよその態度、と思った。

こうして、
私「ラジオ聞いてみなよ」
母「後で聞くって」
私「別にラジオいらんかったんか(怒)」
母「はいはい、ありがとう」
私「はいはいってなんや!もう会いにこんからな!!」
・・・
と、いつもの口げんかに発展する。

その時には、ラジオを聞くより、
久しぶりにあった娘と話をしたかったんだろうな~
ということは、全く頭に浮かんでこない。

ひとしきり口げんかして、だんだん怒りも消えて、
「またな」と言って別れる。
また、と言いつつ、また、はないかもしれない。
母と会うのは疲れるけど、別れ際は寂しい。

母に会った日の感想は「ほっこりする」がぴったり。
ほっとしたような感じのほっこりでなく、
疲れたという意味のほっこり。

私の田舎では、「ほっこりする」というのを、
「疲れた」という意味で使う。
ほっこりに、疲れたという意味があることを、
今回、田舎に帰るまで忘れていた。

「ほっこりする」の「疲れた」の中には、達成感というか、
やり遂げた感じというか、できて良かったというか、
そういうようなニュアンスも、含まれているような気がする。