2015/05/18

人の評価はあてにならない、と思ったこと

5月から、また学童で働き始めた。
何を言われても好き勝手なことをする子どもを見るのは、とても楽しいけど、
息苦しい時もある。

「宿題は自分でやらないと意味がないでしょ」
「砂場で裸足で遊ぶなんて危ないでしょ」
などと、当たり前のように言う大人がいる。

それを言われる子どもたちは、どう思っているんだろう?


私は、小学校の頃、あらゆる宿題を家族に手伝ってもらっていた。
漢字を書いたり、計算をしたり、日記を書いたりというのは、まあまあ好きだったけど、
読書感想文、工作関係は、本当に苦手だった。
宿題をしてないと学校に行けなくなってしまう性格を、母がわかってくれていたのもあり、
末っ子だったからか、みんな割と楽しそうに手伝ってくれた。

3日に1回、読書感想文を出さなければならなかった時は、
毎回母に感想文の下書きを描いてもらっていた。
母は、本を読むのが好きで、私が借りてくる本を喜んで読んでいた。

母とのルールがいくつかあった。
自分でも読めそうな本を見つけて借りてきて早めに母へ渡すこと、
はじめにと終わりにだけは自分で読むこと、
母が書いた下書きを読んで、意味のわからない所があれば省くこと、
夏休みの読書感想文の時だけは自分で全部読んで書くこと、など。

自由研究で本棚を作ることになった時は、設計図だけ書いた所で力尽き、
木工は苦手な母が、日曜大工の好きな父に協力を依頼してくれた。
父は、私が書いた設計図を見て、「これはすごい!」と言い、
これがあれば、その通りに作れると言い、
さっさと材料を集め、作り始めたらおもしろくなったのか、
見ている間に、どんどん本棚になっていって、
カンナまでかけて、とても小学生が作ったとは思えない、
すばらしい仕上がりにしてくれた。

母が、何も作ってないのは、やってないってばれるかもねぇと言い、
側面に彫刻刀で、何か絵を彫ったらどうだろうという話になって、
ネコの絵を彫ると決めて、彫った。
作ったものは、担任の先生が、出来栄えを金か銀か決める。
銀だったら、父ががっかりするな、とドキドキしていたら、
父が作った本棚は、「金」と判定がついた。

毎年夏には、アイデア貯金箱を作って出す宿題があって、
一度、姉が以前に作ったものを持って行ったこともあった。
作り方を聞かれたら困るので、姉に作り方の聞きとりだけした。

その時も、学校では、すばらしい出来栄え、と褒められた。
褒められながら、姉は手先が器用だからね、と思っていた。

そんなこんなで、宿題をクリアしていった。

すると、だんだん、自分でできることも増えてきて、
それほど手伝ってもらわなくてもできることも、少しずつ増えてきた。

ある時、もう、宿題は自分で全部しようと思ったことがあって、
自由研究で、自分の着られなくなった洋服を再利用して、
ぬいぐるみの服を作った。
自分ではアイデアも自分で考えて、すばらしいと思ったし、
何と言っても、誰にも手伝ってもらうことなく、一人で仕上げた。
これは絶対「金」がもらえるだろうと思っていたら、
なんと評価が「銀」だった。

ああ、人の評価なんて、いい加減なもんだな、と思った。
評価なんて、結局、ほんの一部しか見ないで、適当につけている。
私にとっては、小学校の自由研究で一番の力作は、ぬいぐるみの洋服なんだ。

自分で作ってはないけど、本棚の時も、読書感想文の時も、
その時の、父や母との会話も、楽しかった。
得体のしれない学校、という怪物に、みんなで一緒に立ち向かっている感じだった。


砂場を裸足で遊ぶな、と言われた子に、
私の小学校は、体育で校庭に出るときは、1年中いつでも裸足だったよ、
靴を履いて走りたいと、その時は思ってたけど、
そういえば、6年間で足を切って困ったことはなかったよ、
と言いたい。

大人が大きい声で言うことも、結局一つの見方でしかない、
と、思ってもらえたらいいな~と、心から思う。