2016/12/08

インタビューセッションに参加しました。

先日、尹雄大さんのインタビューセッションというのに参加した。

終わってからしばらく、というか数日は、
燃えたぎる何かがあって舞い上がっていた。
こういう感覚は久しぶりのこと。
楽しかった。
その感じを文字に残しておきたいのだけど、これまた難しい。

聞かれたいことを事前に伝えていたものの、
その日に話したくなったことから話始めて、
つらつらと、会話に任せて話していくのが心地良かった。
もともと細かく根掘り葉掘り聞かれるのは好きじゃないのに、
それはどうして?と聞かれたり、
何か質問されると嬉しい感じもした。
普段は話題に出すのもはばかられる内容だったのに。

中でも驚いたことが2つ。
興味本位にしていないか心配と話した時に、
え、興味があってどうしていけないの?と返されたことと、
やりたいのかどうか分からないと話した時に、
やりたいと言っているようにしか聞こえない、と言われたこと。
正面から水をかけられたみたいに驚いた。
けど、それが驚くほど気持ち良かった。

私には霧がかかって見える事を話しているのに、
聞いている方は、はっきりと見えるものがあるようで。

全部で1時間も話していなかったと思う。
それなのに、こういう話ができたらなと思うことが全部話せた。
長年疑問に思っていたこととか、
すごく腹がっ立った経験とか、
どうにかしたいけどどうにもならないと思う話とか。

その日に初めて会って、初めて話すことばかりで、
すべて詳しい説明をしたわけでもないのに、
ああ、たくさん話せたという感覚が残っている。

そして、驚くことに、意見されたという感覚もないまま、
こう思ったとか、こんなことがあったという話を返してもらい、
それらがすんなり自分の耳に届いて、
今まで自分だけで考えていただけでは見えなかった、
新しい視点も見えてきたように思う。

いつもだと、大事にしていることなんだから気安く意見されたくないんだよ、
と思ってしまい、相手の話が耳に入らなくなることも多い。

普段会話をしていて、もうこれ以上話したくなくないと思う時や、
話したことに対して返されると、私のことにとやかく口出ししないでよ
と思うことも多いような気がするのだけど、
何が違ったんだろうな。

なんだろう。

なんで?というのはわからないけど、
とても楽しい時間でした。
私もそんな風にいろんな人と話せたらいいな。
会話が楽しいだろうな。

2016/11/30

人の力を借りる

もうどうしようもない、と思った時。
一生懸命何かをしている人の、作る作品、歌、話に触れると、
知らないうちに涙が出てて、びっくりする。
びっくりした。

やっぱり私、悲しかったんだと気が付いた。
で、悲しいことがあったときは、落ち込んでもいいじゃないか、
と思った。

そして、とことん悲しさを感じてみたらいいのかもしれない、と思った。

けど怖くてできない。
帰って来られるのかな。

でも、それって、どこからどこに帰ってくるんだろう?
そもそも帰ってこなくてもいいのかも?
そもそも、どこにも行かないのかも?

…グルグルする。

こういう時は、終着点なく、頭にチラついたことを、
そういう話を聞いてくれそうな人に、
手あたり次第話してみるのがいいのかもしれない。

と思った。

2016/11/02

『出会う』ということ

今日はとても曖昧なことを書きたくなった。

出会いって、実際に顔を合わせた回数でも、
日数でも、時間でもないのかもしれないと思った。

たった1度の対面で、ずっと昔から知っているような気がすることもあるし、
とても強力な生きる力を、お互いにもらうあうこともある。
一度も顔を合わせたことがなくても出会うこともあると思う。

出会うって、一体なんなんだろうな。

何度も顔を合わせていても、まだ出会ってないこともあるし、
また、長く付き合っていくうちに育つ出会いもある。
こういうのを“縁がある”、ともいうのだろうか。

明日は、ほんの小さな偶然の出会いから、
ご縁がご縁を呼んだ集まりがある。
とある友人を偲ぶ会。

ずっといつまでも、こんなことがあったけどどう思う?
と、時々でも会って話をしていきたかった人。
くだらない話もたくさんしたからな~。
あ、この話したら、笑い転げるに違いない、てなこととか、
会話ができないのは、すごく残念だけど、
こんな時に、あの人ならなんていうかな?
きっとこう言うだろうな、というのを自問自答して、
これからも出会っていきたいな、と思う。

くだらない話、と、出会う、っていうのは繋がってるような気もする。

2016/10/16

親しすぎないこと

1人でどこかに出かける、というのが、すごく好き。
何とも言えない解放感がある。

今日は、世田谷美術館に、若松英輔さんという人の話を聞きに行ってきた。
無料、というで、整理券を目指して早めに出発。
大きな桜の木がたくさんある砧公園の中を通って。
東側は空いていたのに、美術館の辺りはとても人が多かった。

志村ふくみさんという方の織物の展示がされていて、
若松さんのお話は、その一端の講演ということ。

結局、誰かの話が聞きたくなり、誰かのしてきた仕事を見たくなり、
“人”に会いにいくのだけど、1人がいい。

もっと正確に言うと、一緒にいても一人でいるときのような解放感がある。
顔見知りになっても親しすぎずに付き合える。
友だちって、そういう人がいいな、と思う。

いや、そういう人に会うと、あえて友だちって言いたくなるのかな、と思った。

2016/09/04

お墓参りは朝早く

あの世でも仕事があって忙しいらしい。
毎日働かなければならないのだけど、
誰かがお墓参りに来てくれた日は、休むことが出来る。
その日のお参りが遅い時間になると、休む時間が減ってしまう。
だからお参りは、朝早く行った方がいい。
早く行かないとムスッとされるよ。

と小さい頃に、父がよく話していた。
どうも、父に常々こういう話をして、
「わしが死んだら頼むよ」と言っていたおじさんがいたらしい。

そんなわけで、お墓参りというと、
必ず早起きしてでかけることになっていた。

お墓までは実際にいけなくても、
手を止めてお参りをすれば、もしかすると1日休めるのかもしれない、
と思ったりもする。

親しい友人が息をひきとったと数日前に知った。
出会ってから8年。
8年かぁ。

遠方に住んでいたけど、スカイプでしょっちゅう話をしたり、
数か月~半年に1回くらいは顔を合わせて、
お互いに、こんなことがあって、こんな感じだった、
今はこんなことに興味がある、次はこんなことをしてみたいと、
いつも延々と話が尽きなかった。

ここ1年は体調を崩して、それまでのように頻繁に話すことはできなくなったけど、
会うと、いつも通りで、話は尽きなかった。
声が聴けないのは、やっぱりちょっと…寂しいな。

でも、そんなに寂しくない。
ここ数日、その友人のことで、たくさんの人とメールをしたり話をした。
こんなにたくさんの人々が私の周りにいたんだと気がついた。
その友人のことを話せる人がたくさんいる。
こんなにありがたいことはないな、と思う。

でもやっぱり、ふとした時にちょっと寂しいけど。。。

出会いは別れの始まり、と、よく聞く。
別れはつらい。
じゃあ、出会わない方がよかった?と自分に問いかけたりして。

考えてみたりして。

ううーん。
……。

やっぱり。
出会えてよかったな、と、心から思う。

2016/08/26

20年前には信じられなかったこと。

年を重ねる。
って、なるほどな~と思うことが増えるな、と思う。

この夏、見事に夏風邪をひいてしまい、
かれこれ3週間経つが、まだちょっと残ってる感じがするな~。

って思って、ハッとした。

20代前半の頃、職場の40代の先輩が、
「風邪がなかなか治らないのよ。もう1か月近く続いてる。」
と言っているのを聞いて、とても驚いた記憶がある。
風邪なんて1週間もあれば、スッキリ治るに決まっている、
1か月も風邪をひき続けるって、よっぽど体が弱いのか、
と、その時は思ったんだった。

ところが。
40代に突入した今、あああ、なるほど~と思う。

ちなみに、職場の60代の先輩に、風邪がなかなか治らないと話したら、
「大丈夫、50代になれば、風邪をひく前に、ひくってわかるようになるから」と。
とても心強いお言葉をいただいた。

年の功ってすばらしい!と言うしかない。

20年前には緊張してできなかったことも、今は、そんなに緊張せずにできたり、
難しい…と思ってたことが、意外にそうでもないと思ったり。

まだまだ苦手なことはたくさんあるけど、
少しずつ、難なくできることが増えてきた気もする。

楽になってくるなんて、20年前には全く想像できなかったし、
そういわれても、まったくピンと来なかった。
年を重ねれば実感できるようになる、とも、思わなかった。

年下の人と話すのは、ずっと苦手だったけど、
今となっては、自分よりかなり若い人と話をするのが、とても楽しい。
変われば変わるもんだ。

これからどうなっていくか、って、ほんと未知。

2016/05/13

アフリカからきたネコ

ネコがしゃべったらな・・・。


・・・アフリカのとある海のある町に
ちょっと怖がりのしましまのねこがいた。

ポカポカ陽気のある日、しましまのねこは海辺を散歩していた。
すると、

「ボー――!!!!!」

大きな汽笛が。

その音に、しましまのねこはおどろいた。
逃げた先は船
ちょうどいい木箱があった。

えいっ!

しばらくここにかくれていよう。
じっとしていると、ふいに眠くなって寝てしまった。
船は港を離れ、遠い遠い国に向かっていった。

むにゃむにゃ、おなかがへったな。

起きて外に出てみたら、あれ?ここはどこだ?
見たことのないとこだ。
でもま、いいや。
ごはんはないかな?

わ、魚がおいてある。ありがとう!
「いただきます。」

そして食べたら、また眠くなって、木箱に入って眠った。

そんなこんなでのらりくらり、
しましまのネコの長い旅は始まった。

あれ?なんかさわがしいな。
何日たっただろう。
いつも通り木箱で昼寝をしていると、急に辺りがにぎやかになった。
木箱を運ぶ人たち。
その時、

わ!ネコがいる!!!

しましまのネコの木箱を持った人は、驚いて木箱を落としてしまった。
おどろいたしましまのネコは、あわてて逃げた。

逃げた先は、日本という国だった。


・・・って、そんなわけないか!


うちのななせは、8歳でシェルターに入って、その後うちに来たけど、
いったいどこで生まれて、どこから来たんだろう?
と、うちのダンナが、時々「どこからきた?」とネコに聞く。
ななせは、しれ~と寝ている。

それで、船に乗ってアフリカからきたに違いない、
と、何度も言うのでおもしろくて物語を作ってみた。

そんなわけない、と思ったものの、そうだったらおもしろいなあ。

ネコは自分の経歴を語ったりしないけど、
一緒に暮らすには支障ない。
人間は、経歴や素性がわからないと、怪しい人のような気がするけど。

どうしてなんだろう?

生まれも経歴もわからない、アフリカから来たかもしれない、しましまのネコは、
今となりで、
ぐっすり寝てます。

2016/03/26

成長するって、なんだろう?と思ったこと

初めて学童で働き始めた時に1年生だった子たちが卒業を迎えたので、
お見送りに行ってきた。

みんな大きくなっていた。

何年も会ってなかったのに、顔を見たら、あんな話をしたなとか、
こんなことで泣いてたな、とか、いろんな記憶がよみがえってきた。

くるくる一人で回っていて、何してるの?と聞いたら
「空気と遊んでるの」と楽しそうにしていた子も、
まだ遊ぶから帰りたくないと、校庭の隅っこでうずくまっていた子も、
順番ねと言っても、割り込んで先におやつを持って行ってた子も、
きちんと並んで卒業式に出ていて、、、
こういうのを成長と呼ぶのかな、と思ったとこで疑問が湧いた。

ちらっとのぞいた卒業式では、
校長先生が立った途端に、一斉にみんな起立したり、
順番に一人ずつ、卒業証書を受け取るという恒例の儀式。
誰も目立つこともなく、同じように式を進行していて、
何回も練習したんだろうな、というのが伝わってきた。

自分が小学校の卒業式に出たときのことを思い出した。
みんなと同じように、きちんとできることが大人、なような感じがしてたこと。
こういう風に、きちんとできることが成長、と言われてきたこと、
でも、それって。
それって本当にそうなんだろうか?
成長するって、なんなんだろう。

得体のしれない違和感を感じながらも、
6年生別れの言葉と歌を聞いてたら、泣けてきた。
小さい頃の顔がちらつく子たちが、
急に大きくなって、どっかにいってしまったような感じっていうか。

式の後、学童の頃にみんなでワイワイ遊んでいた子は、
いろんな人と写真を撮ってはしゃいでいて、
相変わらずだな~と、ボーッと眺めていたら、
1年生の時に、友だちとのことで話をして、すっきりしないまま、2年になったら学童にあまり来なくなっていた子に声をかけられた。

仲のいい子とケンカをした、仲直りをするにはどうしたらいい?と聞かれて、
どんなことが起こっているのか、ああだこうだと、話を聞いて、
何か方法はないか、いろいろ話をしたけど、結局アイデアが出て来なくて、
「解決しないね、しょうがないか」という曖昧なまま終わった話は印象的だった。
ケンカしたけど、自分の言いたいことは伝えたかったから、あのケンカはしょうがなかった、仲直りしたい気持ちはあるけど、友だちはすごく怒っているから難しい。
困ったことがあったら大人に言ってって言うけど、大人に言っても解決しないよね、と。
特にしたい遊びもないし、つまらない、と言っていた。

すっきりしなかったこの話は、今でも覚えている。
なんなんだかなあ、と。
何とも言えない後味。

どうにもならない現実は子どもにも襲ってくる。
今思うと、それを7歳で正面から受け取っていたのかもな、と。
力強かったんだな、と。

その時は、なんだか子どもらしくないことを話す子だな、
何もしてあげられなかったな、と思っていた。

声はかけられたけど、特に話はないみたいで、
1年生の頃によく学童にきてたよね?と聞いてみたら、
そうそう、たしか2年生になって、友だちと遊んだり留守番をできるようになったから、学童は行かなくなったんだ~と。

そして、中学校に行ったら部活入るの?と聞いてみた。
「バスケ部に入るんだ~やってみたかったから」と
ちょっと下を向いて、でも、にこっとして楽しみにしているのが伝わってきた。
ちょっと驚いた。
やってみたいことができたんだ。

相変わらず、はしゃいだ様子もないけど、これからちょっと楽しみという感じがにじみ出る。
なんだか、知らない間に成長したんだなと思った。

2016/03/08

読むと書く、というワークショップに参加しました。

今日、若松英輔さんの、読むと書くというワークショップに行った。
まだ、ちょっと興奮ぎみかも。


「読む」について、「書く」について、「言葉」について、「おもい」について、
考えないで心のおもむくままに書き始めてみる。

自分の心に響く言葉を書き出してみる、
書き出したその言葉に「タイトル」をつけてみる、
それにどんな「色」を感じるか、書いてみる。

なんだろう。
書く前からワクワクした。

そして、今でも頭に響いて残っている言葉が。

「言葉を絵画のように見られなくなったのは、いつからだろう?」

自分の好みではない絵を見ても、批判する人はいないのに、
言葉になると、自分と合わない時どうして批判するのだろう?という問いかけ。
合わなかったらほっておけばいいのに、と。

確かにそうだけど。
どうしても自分と合わないことを言わずには居られない時ってある。
ほんとに、どうしてなんだろう?

言葉の、色や形、におい、その意味は。
もし言葉を絵画のように見ることができたら、
ドロッとして淀んでいる何かが少しずつ動いてくるような気もした。

今まで、書く、と、読む、について、深く考えたことがなかった。
おもしろかった。

いつも、何かを言葉にしようと思っても全部書ききれないから、
なんとなく嘘をついているような気がする時もあった。
今日の話の中で、全部を書ききれるはずはないけど、
その中の少しの輪郭を書いておけば、
読んだ誰かが、その輪郭の続きを想像することができる、っていう話があって、
ゾワゾワする感じがした。

書くって、なんだ!!!
すごいじゃないか。

ほんと、
今日は楽しかった。

2016/02/21

中2階

昨日、ネコの行動学というセミナーにいった。
改めて話を聞いても、やっぱりネコって、おもしろい。

会場の近くに、かねてから行ってみたかった美術館があって、
終わってから意を決して行ってみた。

ワタリウム美術館。

ですが。
入ったとたん、あんまり味わったことのない空間に緊張。
どうしようと思ったとたんに目に入ったのが、「地下→カフェ」の文字が。
一目散に地下に直行した。

中2階しか席が空いてないとのことで、
案内されるがままに、中2階の席に座った。
なにがなんだかわからないまま、
「ご注文は?」と聞かれて、メニューをハッとみて、
アールグレイ、と、目に飛び込んだのを注文。
えええ、アールグレイって、どんな味だっけ?と自分で驚きつつ、
そこで水を飲んだら、ようやくちょっと落ち着いた。

結構深い地下の空間に、コンクリートのまるい太い柱、
その壁には、やたら縦に長い本棚。
本棚にかかった長いはしご。
「モモ」の世界に飛び込んだような、
そういうのをすべて、一望できる席だった。
どうも、地下は本屋も兼ねているようだった。

ネコは高いところから下を見下ろすのがすきですよね~
と、セミナーで聞いた話を思い出した。
たしかに、ちょっと高いところからの眺めって、気持ちよいもんだ。

中2階。

いいなあ。

もともと屋根裏部屋が、すごく好きなのですが、
中2階の方が好きかもしれない。

500円とリーズナブルなアールグレイのティーポットは、
透明で、中の銀色の茶こしがキラキラして、
で、とても、おいしかった。

持っていた本を読み始めたら、
いつもより、本にぐぐぐっと入っていく感じで、
はっと気がついたら、1時間以上読み入っていた。
いつもだったら10分足らずで疲れてしまうけど、
なんだろう、とても本が読みやすい。
光の加減なのか、空間の力なのか。
とても居心地がよかった。

また行きたいな~。
できれば美術館の方にも、いつか。

カフェの店員さんが、いろんなお客さんに、
「これは今年読んだ中で一番おもしろかった!」と言っていた本が気になって、
帰りに買ってみた。
味、の感覚が人とはちょっと違う人にインタビューをしてる本らしい。
その人の感覚で作った料理をおいしいと思う人も多かったらしい。
その人が出したお店が新宿にあるらしい。
なんと。
そこにも行ってみたいな。

2016/02/15

体の力を抜いてみる

太極拳を学んでいる人と話をした。
その中で、ああと納得することがあった。

『体が変わると、考えとか気持ちも変わる』

私は常々、どうしても頭から離れないこととか、なんか嫌だな~と思うことがあると、
シャワーを浴びながら、またはシャワーから出てからじっくり考えるようにしていた。

おもしろいもので、そうすると、たいがいシャワーから出たころには、
入る前に何を考えてたんだっけ?となっている。
それで、まあ、なんでもいいかと思っていたりする。

というのが、不思議だな~と思っていた。

体が変わると気持ちが変わる、考えも変わると聞いて、
妙に、腑に落ちた。

よくよく、シャワーを浴びてる時のことを思うと、
最初は、シャワーを浴びながら、あのことを考えるんだった、
と思い出そうとしてみる。
のだけど。
「床のタイルが冷たいな~」とか「うわ~あったかい」とか、
だんだん体があったまるにつれて、体を洗ったり、
お湯が体にあたっている感覚が楽しくなってくる。
それで、あのことを考えるんだった、ということも忘れてしまう。

ん~人の体は、結構都合よくできているもんだ。

そして、横隔膜って、知らない間に緊張しているらしい。
ミゾオチのあたりを、軽く押したり、痛いときは手を当てて温めるだけでも、
体の緊張がとれる、というのも聞いた。
寝転んでしてみると、こわばっているかがよくわかる、ということで、
昨日帰ってすぐに試してみたら。
あっという間に、、、昼寝してた。3時間も。
うん、効くみたい。

体が緊張している時と、リラックスしてる時だと、
同じ文章を読んでも、感じ方が全然違う、らしい。
う~ん、たしかにそうかもしれない。

今度、腹の立つメールとか、何かイラッとする文章を発見したら、
ミゾオチをあっためたり、シャワーを浴びたりしてから、
もう1回読んでみて、感じが違うか確かめてみよっと。

2016/02/07

うららかな

今日は晴れてて気持ちがいい。
うららかな…冬?っていうのかな。
うららか、といえば、春のようなイメージがあるなぁ。
うららかな春のような日っていうのかな。
ええっと。
外の風は、まだ冷たいものの、部屋の中の窓際はポカポカ温かい。

遠慮しいのネコが、珍しくひざで寝てます。
ぐっすりと。

こういう日は頭もポカンとしてるようで、
数日前に、あ、あれ書こうと思ったことを、ちっとも思い出せない。
なんだったかな。
思い出せないのは、ちょっと気持ち悪くもありますが。
これくらい、頭がボーっとしている方が、なんだか気持ちよくもある。

あれも書きたい、あ、これも書きたいと思っている時は、
後でどっと疲れて、急に眠くなったりする。
普段から、知らないうちに、頭って動いてるんだなと思う。

体を使って疲れたら体を休める、頭を使ったら頭を休める。
そういう風にできればよいけど、ついつい気がつかないうちに使いすぎて、
急に熱が出たり、頭が重くなったり、肩が痛くなったり。

体の疲れにいち早く気がついて休む、っていうのが、
もっとも得意なのは、ネコ、だと思う。
さっきまで走り回ってたのに、もう熟睡して触っても起きない、
てな感じです。
野生のままでもないのに、でも、野生の?「感覚」は忘れてない。
ネコを見てると、忘れそうになった感覚がよみがえってくるような気もする。

とかなんとか考えつつ頭を疲れさせてますね。
そういうのも嫌いじゃないですが。

それにしても、ネコの毛って柔らかい。
そして寝顔は、かわいい。
けど、ちょっと足がしびれてきたみたい。

2016/01/17

遊び歌が違う。

学童で働くようになってから、知らなかった遊びをたくさん覚えた。

「いろいろ七色どんないろ」って言いながら、
鬼に指定された色を探してタッチするまでにつかまったら鬼になる鬼ごっことか、
渦巻き鬼とか、三色ドロケイとか、走り回れる場所が限られている、
都会ならではの、狭い場所でも大勢で楽しめる遊びが、いろいろあるんだな~、
と、新しい遊びに出会うたびに、驚く。

ところが、小さい頃にしてた遊び歌が、ちょいちょい違って戸惑うこともある。
たとえば。

☆だるまさんがころんだは、
「ぼんさんがへをこいた」の方が、断然主流だったけど、
誰もそんなこと言う子はいなくて、ちょっと寂しかった。

☆はないちもんめは、
・・・「たーんすながもちあの子が欲しい」「あの子じゃわからん」
「この子が欲しい」「この子じゃわからん」
「相談しよう」「そうしよう」
じゃなかった。

・・・「となりのおばさんちょっと来ておくれ」「鬼がいるからいかれない」
「おふとんかぶってちょっと来ておくれ」「おふとんビリビリいかれない」
「お釜かぶってちょっと来ておくれ」「お釜底抜けいかれない」
「あの子がほしい・・・と続く。

なんだか、軽快でおもしろい感じ、と思った。

☆郵便屋さんは、
「郵便屋さん、おはようさん、手紙が落ちました。拾ってあげましょ…」
じゃない。

「郵便屋さん、の落とし物、拾ってあげましょ…」

あ、東京では挨拶しないんだ!と思った。

まあ、最初は、歌詞の長さも言葉も、イントネーションも違うし、
全然タイミングがつかめなかった。
だいぶ慣れてきたら、それはそれでおもしろい。

しかし、あやとりとか、お手玉とか、コマとか共通の遊びとか手遊びも多くて、
福井と東京、離れていても同じものもある、っていうのが、
反対に不思議な気もする。

小学生の頃に、こういうことだけして暮らしたいな~と思ってた遊びを、
たくさんできるのも、学童で働いている特権かもなと思う。