2017/10/21

グチ、その後。

もうこれ以上転職はしたくないと思っていた。
いろいろあがいてみたけど、
無理な時はしょうがないよな、と思った。

昨日は飲み会で、この人合わないと思う人の、
隣に座ることになってしまった。
腹をくくって、話を合わせない無理に笑わない、
納得がいかないことには、そうですねとは言わない、
というのを徹底してみた。
そしたら、意外に会話に飲まれないで話が出来て、
今まで感じていた違和感が浮き彫りになった。

そして、ここの世界の中で疲弊していくくらいなら、
履歴書をまた書いた方が楽かもしれない、
という気持ちが湧いてきた。

1年よく頑張ったし、勉強にはなった。
今まで灰色にしか見えなかった集団に入ってみて、
その人たちの苦悩も、かいまみえたり、
どんな仕事にも向き不向きがあって、
出会いとご縁なんだということも、
よくわかった気もする。

もはや、転職が多すぎるために履歴書が長すぎて、
これ以上書きたくない、っていうことも、
どうでもよくなってきた。

もともと、小さい頃から、
私は働けるわけがないと思っていたし、
そのわりには、
いくつかの仕事には就くこともできたし、
よくやったと思う。
もうすでに上出来だったと思う。

これから先、どうやったら、無理なく、
健康で文化的な最低限度の生活を維持できるのか、
ゆっくり考えながら転職を考えよう。

決まるまで、灰色の服を着てやり過ごせば、
とりあえず生活は出来るのだから。
恵まれている。

今日は1日ダラダラしよう。

朝からダラダラしてたら、こんなブログに出会った。
http://www.jisyameguri.com/books/tonjinchi/

2017/10/19

今日はグチだけ。

人と一緒に仕事をするっていうことに疲れて
何もかも全部投げ出してみたい!と時々思うことがある。

文字の力を借りて、発散させていただきます。

年配の人に、みんながいる会議であんなこと言うなんてズルいって言われたけど…
本音と建て前って、よくわかんねーんだよ!
大事だとおもったから大事だと思うって言っただけなんだよ!
後からこっそり文句言われても、混乱するんだよ!
堂々と大きい声で文句言いなよ!


こういう時に、東京に住んでいるのは、とても役に立つ。
帰りの電車で、どんなに疲れた顔をしていても、
誰にも「どうしたの?」と聞かれないのは、すごく楽。
疲れた時には、ブスッとしていたい。
そんな顔を、知ってる人には見られたくないので、
極力誰とも会いたくないし話もしたくない。

こういう時に、笑顔じゃないのを見て「何かあったの?」
と聞いてこられるのは、本当に勘弁してほしい。
そういうブスッとした感じで居ても目立たないずに
どうどうとしていられる場所は、本当に大切。

自然が少なくても、満員電車が窮屈でも、
きれいとは言えない空気を吸っているとしても、
この自由さは手放せない。

今の仕事は嫌いではないけど、
人と一緒に組んで仕事をするのは、やっぱり私には難しいのかもしれない。

一歩外にでれば、コンビニに行くのも、仕事に行くのも、
同じくらい緊張するし、人と関わらないで生きていけるとは思わない。
平穏な職場で静かに仕事をしてる、なんて考えただけで、
気持ちが悪くなるので、多少ハードな今の仕事は、
今までの中では自分には合っているのだろうとは思う。
それでも、やっぱり、ストレスが溜まる。

ストレスなく生活するには、家に籠るしかないだろうな、
と思うけど、籠り出したら全然外に出られなくなりそうで怖い。

今日のグチ祭りは、ここまでにします。

2017/10/15

2017秋「矢が花にかわる~東京~」に参加しました。

2017年10月7日~9日『矢が花にかわる』があった。1週間経った。
静かなゆったりした3日間だった…ような気がする。
ほんと忘れるのって早い。

メモを見ながら内容を思い出せるかな。


初日は、自分にとってこの場がどういう場だといいと思うか、
話題にしたいことはあるか、という話から、
「振り返る」「かえりみる」ということが話題になった。

2日目は、スティーブンのたとえ話で、オオカミの話があった。
自分の中の良い狼と悪い狼、どちらにも同じだけ愛情を注げば、
どちらが勝つでも負けるでも、良いでも悪いでもない、というような例え話。
3人組で、1人ずつ「今心に浮かんでいること」を伝えてみる、
聞く人は沈黙でただ聞いてみる、というのをした。

3日目は、インナーティーチャーの話。
内なる師、内なる声、真実の自分、
どういう言葉だと自分にとってしっくりくるだろう?
自分の中のこれだと思う確信、のような。
(私は「心の声」がしっくりくると思った。)

こんなようなメモもあった。

幼い頃から、人の言う事を聞くことに慣れてしまっている。
なので、すぐに人の声(意見)が入ってきてしまう。
沈黙が「自分と自分」との関係性に目を向ける助けになる。

会話をする時、自分の居心地の悪さを埋めるだけの返事やアドバイスは、
相手の人が「心の声」を聴くことの妨げになることがある。
話を聞く前に呼吸を深くして、頭から腹に下ろすといい。
間、スペースを。

それでも、いつも聞こえるわけではない。
ちょっとしたことで、すぐにかき消されてしまう。

「心の声」を聞く妨げになっていることは何だろう?


普段の生活は、何もかもスピードが速い。
2日目にそういえば、木々や池のあるところを、おのおの歩いた。
最初はゆっくり歩こうとしても歩けなくて、
ふと立ち止まったら、心臓がバクバクとしていて疲れているのに気付いた。
しばらく休んでゆっくり歩き始めたら、今後はスピードを速めることが出来ず、
自分が気持ちよく歩けるペースが、なかなか掴めなかった。

早いペースに流されている生活の方が楽な時もあるけど、
たまには止まってみるのもいいなと思った。
流され続けると、どんどん自分のペースってわからなくなりそうな気もする。


あと、3日目に、心の声を聞きそれを言葉に出してみる人と、
その話を沈黙で腹で聞く人の会話を、
聞かせてもらうという時間があった。
その場がすべて包まれるような優しさがあった。
今まで体感したことのないような空間だった。

3日間、楽しかった。
ってことは、間違いなく覚えてます。