2017/09/05

野口整体に初めて行きました。

今日明日は、まだ残ってた夏休み~。

背中のコリがあまりにも続くので、野口整体に行ってみようと思い、
ようやく予約がとれて、今日「白山治療院」に行った。

すごくよかった。

帰ってから急激に眠くなって、気がついたら5時間も昼寝をしてた。
そんなに寝た後でも頭が痛いこともなく、すっきり目覚めて、そしたらネコも隣で寝てた。
…整体に行ってなくても、そんなにぐっすり昼寝に付き合えるネコってホントすごいよな…ってのは、ひとまず置いといて。

覚えておきたいので、今日のことをまとめておこうと思う。

まず、体の気になっている所など話をした。
背中と肩こりと、首の気になるところを伝えた。
その後、施術。
治療台がなくて、広いところに寝転んでゆったりもよかった。

肩、背中から足と、ぐいぐい押されないのに、なんでそこが痛いってわかるんですか?というとこだけ、ピリッと少し抑えてくれる感じ。
前に、鍼灸をしてもらった時に、マッサージをしてもらったのと似てた。

疲れるといつも痛くなる、スネの所が他のどこよりピリピリ。
胃と肝臓が疲れてるのかも、食べるのはどうですか?と聞かれ、
思わず、そうなんですよ!と心の中で叫ぶ。
「胃が弱くていつも胃を気遣いながら食べてるんです!」
と、思わず意気揚々と答えてしまった。

食べるキャパは人によって違う。
もともと、胃腸のキャパがあまり広くないのかも。
疲れると、そこに出てくる体質なんでしょうね、と。

首は、ちょいちょいと触ってもらい、あれよあれよと首が下を向きやすくなり、
腰は自覚はなかったけど、緊張が高いということで、
後ろ目の両脇腹を1分くらいつまむ、2回目は違和感がある方だけをつまむ、という緩め方を教えてもらった。
それだけで腰が緩んで、歪みもちょっと治るらしい。

終わった後に話。
食べ過ぎに気を付けた方がよいかもしれない。
人と比べて量が多いかどうか、ではない。
お腹が減ってないのに食べる、のも食べ過ぎ。
食べていて、そろそろいいかな、という時にやめる。
もうちょっとで全部食べ終わるからと思って食べるのは食べ過ぎになる。
残ってもそこでやめて残して、次に食べる、とかにする。
お昼休みに食べないと時間が取れないっていう時も、何かちょっとつまむ程度にして、お腹が減った時に時間が許せば何かつまむか、時間がとれなかったら、その分、夕食がおいしく食べられるということで、と。
そういう生活を続けていけば、自分の食べる適量やペースがわかってくる。

それで、やってみるのはどうでしょう?
首の方はまた様子を見ていきましょう。
という話だった。

なるほど~と思った。
長年の疑問が解けた。
休みの日に食欲が湧かないと食べ忘れてていることもあって、食べない方が調子が良いように思ったけど、食べないのは身体に悪いはずだし、食べないで調子が良いのは気のせいか?と思っていたことや、旅行に出かけて3食きっちり食べると何故か体調を崩すのはなんでだろう?と思っていたことなど。
納得納得。
自分の「感じ」の方があってたんだな、と思った。

言われたこと、ちょっと試してみようっと。

2017/09/03

わかりあえなさに注目するインタビュー講座②

先週末、尹雄大さんの「わかりあえなさに注目するインタビュー講座」2日間に参加した。
ちょっと思い返してみたいと思う。

ここ1週間、苦手な人と話すのも楽しくなった感じがする。
職場でも、あんまりこの会話に加わりたくないな、という時に、
なんとなく、スルッと言葉が出てくるようになったのが、
驚きというか、なんというか。

「自分が思った事と、相手が思い描いていることの違いを、
一つ一つ確認していく」と聞いて、
目からウロコが落ちた。スッキリした感じがあった。

「ああ、わかる~」は、ひとまず置いといて、
「それどういうことですか?」の方を聞いてみるだけ、
というか、なんというか。
それは、非常に楽。
会話をしていて、今まで困っていたことがあった。
わからないことが圧倒的に多すぎる、ということ。
それを逐一聞いていくのは、会話の流れを止めてしまうし、
なんとなく失礼な感じがしていた。
それが、そうではなく、その「違い」を大事に置いておいて、
少しずつ聞いていけばいい、という。
しかも、そういう会話をしてみたら、おもしろかった、
ということに驚いた。

良し悪しをつけずに聞けば、人は何だか知らないけど話したくなる、
それは、話している相手に対してだけでなく、
自分に対してもそうなのかもしれないと思った。
自分に対して良し悪しをつけずに自分の声を聞けば、
何だかしらないけど、聞きたいこと話したいことが出てくる。

話したいことは、もうすでにあって、
お互いに、それが湧き出てくる。
講座の2日目には、その感じを体感した。

聞くことも話すことも難しいことじゃなかったんだ~、
というのが、2日間終わった直後に思ったことで、
1週間経った今も、その感じは変わらない。

「違いがある」のは当たり前、
と言われても、それはそうだけど、だからってどうすれば…
と思っていたけど。
「見立て→話し→ズレ」は、必ず起こるから、
その「ズレ」を忘れないように置いておきながら、
一つ一つそのズレを確認してけばいい、としたら。
「全く同じだ!」という事は、ほぼないんだし、
いつでも、どこでも、聞きたいことが湧いてきそうで、
どんな人と、どんな話をするとしても、
話したいことが湧いてくるんじゃないかな、
という、先行きの明るい感じまでした。

あと、メモを見返して、
あっち、でも、こっち、でもなく、空間を見たり、
「観察者の視点」というのが書いてあって、
メモをしたときは、あああそれは大事!、と思ったのだけど、
時間を置いたら、そういう感じだったっけな?
というのは思い出したものの、
その感じを文字には出来切らないな、と思いました。
もうちょっと寝かしたら、文字に出来るのかな?どうかな。

講座、すごく楽しかったです。