先週末、尹雄大さんの「わかりあえなさに注目するインタビュー講座」2日間に参加した。
ちょっと思い返してみたいと思う。
ここ1週間、苦手な人と話すのも楽しくなった感じがする。
職場でも、あんまりこの会話に加わりたくないな、という時に、
なんとなく、スルッと言葉が出てくるようになったのが、
驚きというか、なんというか。
「自分が思った事と、相手が思い描いていることの違いを、
一つ一つ確認していく」と聞いて、
目からウロコが落ちた。スッキリした感じがあった。
「ああ、わかる~」は、ひとまず置いといて、
「それどういうことですか?」の方を聞いてみるだけ、
というか、なんというか。
それは、非常に楽。
会話をしていて、今まで困っていたことがあった。
わからないことが圧倒的に多すぎる、ということ。
それを逐一聞いていくのは、会話の流れを止めてしまうし、
なんとなく失礼な感じがしていた。
それが、そうではなく、その「違い」を大事に置いておいて、
少しずつ聞いていけばいい、という。
しかも、そういう会話をしてみたら、おもしろかった、
ということに驚いた。
良し悪しをつけずに聞けば、人は何だか知らないけど話したくなる、
それは、話している相手に対してだけでなく、
自分に対してもそうなのかもしれないと思った。
自分に対して良し悪しをつけずに自分の声を聞けば、
何だかしらないけど、聞きたいこと話したいことが出てくる。
話したいことは、もうすでにあって、
お互いに、それが湧き出てくる。
講座の2日目には、その感じを体感した。
聞くことも話すことも難しいことじゃなかったんだ~、
というのが、2日間終わった直後に思ったことで、
1週間経った今も、その感じは変わらない。
「違いがある」のは当たり前、
と言われても、それはそうだけど、だからってどうすれば…
と思っていたけど。
「見立て→話し→ズレ」は、必ず起こるから、
その「ズレ」を忘れないように置いておきながら、
一つ一つそのズレを確認してけばいい、としたら。
「全く同じだ!」という事は、ほぼないんだし、
いつでも、どこでも、聞きたいことが湧いてきそうで、
どんな人と、どんな話をするとしても、
話したいことが湧いてくるんじゃないかな、
という、先行きの明るい感じまでした。
あと、メモを見返して、
あっち、でも、こっち、でもなく、空間を見たり、
「観察者の視点」というのが書いてあって、
メモをしたときは、あああそれは大事!、と思ったのだけど、
時間を置いたら、そういう感じだったっけな?
というのは思い出したものの、
その感じを文字には出来切らないな、と思いました。
もうちょっと寝かしたら、文字に出来るのかな?どうかな。
講座、すごく楽しかったです。
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