2015/04/20

伝える、ということ

朝早くからネコに、朝ごはんはまだか~と、激しく起こされた。
ごはんをペロッと食べたネコたちは、横でグーグー寝てる。
ですよね。

私の方は、起きてみたら眠くなくなった。これはいつも不思議。
そして、ネコのごはんの缶詰の香りをかぐと、お腹が減る。
猫缶をたくさん買い置きして、緊急の時は分けてもらい、たくさん食べてやろう。

しかしまあ、昨日は充実した日だった。

~ココロの野遊び~というトークセッションに行ってみた。
案内文に惹かれて、ふらっと申込みをしたんだけど、やっぱりおもしろかった。

話題の一つ一つを本で読んだら、間違いなく私は熱を出すだろうな~
という話を、次から次からサラサラと話す2人は、見てて心地良かった。
「知ってしまったからやりたくなってやった」
とてもシンプルな話だった。
言葉はとても多かったのに、のどがカラッカラの時に井戸水を飲んだような
体にす~っと染み込むような感覚があった。

ちょっと思い出したことがあった。
小学校の卒業式で聞いた、父母から卒業生へ送る歌、私の子どもたちへ
思いがけない聞いたことのなかった歌だったけど、
1回しか聞いたことないのに、時々強烈によみがえってくる歌を、また思い出した。

この歌の続きで、じゃあ、実際に何をしたらいいのんだろう?
と、思うことがあって。
てのに「はいはい、知ってしまったことを一つ一つしてみてるだけです」てな感じというか。

そうそう。
もともと、WRAPもそう、IPSもそう。
知ってしまったことを発信するというのは、とても大切なことだったんだ。
誰でも、これをしてみようかな、と思ったらやってみることができる。
はずなのに、できないと思わされることが多すぎる。

というノリのまま、昔馴染みのようなIPSスカイプに、参加したら、
過去の爆発するような怒りを思い出した。

かつて精神科の病院で働いていたが、そこの先代の院長は、
パチンコ屋をするか、精神病院を作るか、どちらが儲かるだろう、
と考えて、精神科の病院を作った、という事実。
経営を安定させるために、ベットを満床にするには、と、
ホームレスの人々を「病気」と名付けて、次々に入院させていたこと。
私が働き始めたのは、病院が出来てすでに40年以上になっていた。
かなり前に連れてこられたまま、出られなくなっている人が、
「私は本当は病気じゃないんです。仕事がなかっただけ」と言っていたこと。
でも、どうすることもできなくて、すべてを諦めて生活していたこと。
そういう人がたくさん入院して経営の要になっていた事実。
医療費削減になったら、長期の入院患者が居ては経営が成り立たなくなって、
私が入った頃は、退院を一人一人に説得する仕事があったこと。

はあ?もういい加減にして、という話ばかりだった。

全部燃えてしまえばいいのに、と思いながら退職したけど、
WRAPを知る人が増えたら、自然に病院は潰れるんじゃないか、と思った。
誰かに自分の行動を一生制限されるような、
そんな生活しかないわけがない。
ここを出たら、ここを利用しなければ地獄の生活が待っていますよ、
なんて、そんなのは、罪のない人に、罪の告白を強要するのと同じじゃないか。

浅草に行ったついでに、兄の家に遊びに行った。
4月から働き始めた姪っ子が、紅茶をいれてくれたのが、おいしかった。
昔は抱っこしただけで泣いたのに。
いつのまにか、一緒にいるとホッとする、とても話のしやすい人になってた。
年をとるってのは、若い人と会う楽しみが増えるもんなんだな。きっと。

昨日は濃い1日だったな

まだ、となりでネコが寝てる。
ネコがのんびりできるような暮しが続くといいなと思うので、
知ってしまったことは、少しずつでも発信していきたいなと思った。

2015/04/16

自分が本当にしたいこと

自分が本当にしたいことを、じっくり自分に問い直すのは、
人のためでもあると思う。

今、自分がしていること、仕事やら何かは、
すごくしたいか、ちょっとしてみたいか、程度の差はあるにしても、
自分がしてもいいかな、と思って選んだことだと思う。

たとえば、あ、違うな、と思っても続けるとすると、
本当にこれが、自分のしたいことなのか、という感覚がにぶる気がする。
もし、働いている人10人が、みんな、あ、違うなと思いながら働いたとしたら。
100人がそうだったら。
10000人がそうだったら。

以前に、怖い実験の話を聞いた。
うる覚えだが、こんなような話。

まったく関係のない人2人がいる。
一人は電気椅子に座る係。
一人はモニターで電気椅子に座った人を見ながら、電気を入れる係。
ただ、指示された通りに2人は役割を演じる。
必ず言われた通りの役割をしなければならない、という設定。

電気を入れる係の人は、スイッチを定期的に入れなければならない。
最初は、座った人が痛がるので、躊躇しながら恐る恐る押す。
でも、数日経つと、だんだん慣れて、
モニターで痛がっている人を見ても、ためらいなく押すようになる。
1週間もすると、スイッチを押すのを楽しんでいるかのように見える。
電気椅子に座っている人が危ないということで、1週間で実験は中止になった。

実験の後で、インタビューをしていた。
スイッチを入れる役の人は、最初は怖かったけど、
だんだん楽しくなって、ためらいもなくなった、と話していた。
椅子に座った人は、もう頼まれてもしたくない、と言っていた。

これは実験で「もうやめましょう」という人が何人かいた。

もし、実験に参加している人が1000人ずついて、
やめましょう、と言う人が一人だったら、
実験を中止にできたのかな、と思うと、ぞっとした。

でも現実には、どこの国でも、過去にも、
今も、同じようなことが起こっている。
きっと、起こっている最中には、スイッチを押していた人みたいに、
気がつきにくいんだと思う。
でも、誰かがどこかの時点で、あれ?と思って、
大勢の人が、あれ?と思うようになると、変わるのかもしれない。


ちょっとおかしいな、という感覚は、とても大切だと思う。

「ちょっとおかしいと思うんです」と言える環境ができるかどうかは、
言う人に勇気がある、ということでもなく、
集まっている人みんなが「自分が本当にしたいこと」を、じっくり考えたり、
それを話できたり、行動できたりする時なのかも、と思う。

叔母は「病気」だと名づけられ40年入院し、老人ホームで亡くなった。
もし、「自分が本当にしたいこと」を、じっくり考える人たちの中にいたら、
一生病気だった、と言われることはなかったかもしれないし、
本当に自分のしたいことを、じっくり考えられたかもしれない。

「ちょっとおかしい」という感覚を磨くのと、
おもしろいな、と感じて思わず戯れてみる」という感じ、
通じるものがあるように思う。

2015/04/15

ぎゃーてーぎゃーてー

4月に~IPS~IPS矢花~矢が花に変わる~の3日間に参加しました。
今回は、とってもうまく、こんな感じだったと説明できそうな気が。

まず、話がそれます。


仏教系の学校の寮に、1年間暮らしていたことがあった。
その時に、月・水・金の朝8時~勤行(ごんぎょう)の時間てのがあって、
仏壇の前で、般若心経をみんなで唱えることになっていた。
寮監が木魚を叩くのだけど、後に用事がある時は早め、
出かけない時は、ゆっくりになったりと、速度も臨機応変。

般若心経も、最初は本を見ながらなので、早い時はめくるのが大変。
でもま、だいたいみんな覚えてくると、最後の方に
「ぎゃーてーぎゃーてー」というのが出てきて、
ぎゃーてーっておもしろいよね、と話題になってきた。

今日、授業行く?
「ぎゃーてー!」
てな風に、普段からぎゃーてーと戯れるようになってきた。
みんな、何も見なくてもスラスラ言えるようになって、
ぎゃーてーの辺りになると、ニヤッとする人が増えて、
しかも、スピードが恐ろしく速い日は、最高に楽しくて、
木魚を叩く寮監の後ろで、ガッツポーズをする人とか。
笑わないように気をつけるのが大変な時もあったり、
みんなノリノリで、ぎゃーてーぎゃーてー、と唱えてたり。

こんな風に、おもしろいな、と思ったら一緒に戯れてみてもいいんじゃないですか?

てなことを、
もしかすると、きちんとしなければと考える人がいたら、
言いにくかったり、もしかすると怒られたりすることもあるかもしれない。

でも幸い、寮の勤行では怒られることもなく、諭されることもなく、
暗記の苦手だった私も、知らない間に、全部覚えていて、
私の中で、般若心経は、とても楽しかった思い出になっている。
今でも般若心経を聞くと、懐かしいな~てのと、ワクワクした感じがよみがえる。

研修で学ぶということも、こんな感じでできるんじゃないかと。

つらくて苦しい方が身になる研修、って前は思ってたけど、
なんで、そんな風に思うようになってたんだろうと、
今となっては不思議に思う。

仕事も、我慢して嫌なこと、をわざわざ選ばなくてもいいんだよな~なんて思ったり。


という話が、一番、今回の3日間を表現できそうな気がしたのですが。
あれ?何を言いたかったんだっけ?私。

う~ん。
今回も、3日間楽しかったです。
また、思いついたら、どんなだったか書くことにします。