2013/10/31

40年近く病院で暮らすって?

20歳の時に、すごく驚いたことがあった。
当時、私は大学2年生だった。
夏休みになり、いつものごとく福井県小浜市の実家に帰省した。
兄や姉は、実家を出ていたので、家には両親だけがいるはずだった。

だけど、なんだか、家の様子がいつもと違った。

その日帰ると、今まで会ったことのない、おばあさんが家の中にいた。
お客さんが多くくる家ではなかったので驚いた。
母親とそっくりだったので、親戚かもしれないな、と思った。

ふんわりした優しい口調で、「こんにちは」と言われたので、
私もつられて、「こんにちは」と返した。
そして、キティーちゃんのハンカチをくれた。
玄関に『里枝』とマジックで大きく書かれた、
小学校で履くような上履きが置いてあったので、
そのおばあさんは、里枝さんというんだな、と思った。

母は、いつもより、ピリピリしていた。
父が何気なくいつものように言った冗談に、
「お姉さんの悪口、言わんといてな」と母は怒っていた。
今まで誰にも言えなかったことを、父にぶつけているようだった。

両親は、その里枝さんについては何も言わないまま、一晩過ごした。
翌日になると、里枝さんは両親とどこかに出かけて行き、
里枝さんは、もううちには、帰ってこなかった。

帰ってきた母は、急に里枝さんのことを話始めた。

里枝さんは母の姉で、25歳くらいまでは小浜市内に住んでいて、
警察で事務の仕事をしていたらしかったこと。
25歳くらいの時に何かがあり、舞鶴の方にある病院に入院したこと。
ずっと病院にいたが、65歳近くなるので、
小浜市内の老人ホームに入れば、他の人に変に思われずに、
小浜に戻ることができるから、老人ホームの見学に行ってきた、ということ。

なんじゃそりゃ?と思った。
母に姉がいる、というのも、初めて聞いたことだった。

なんで、そんなに長く入院してる?優しそうな人やね?
と聞いたら、
母は首をかしげて、ちょっと考えて、
「20歳の子に、キティーちゃんのハンカチは、ちょっとずれとるんかな?」
と誰かに質問するように言い、さらにこんな話をしていた。

里枝さんが25歳の時のことを、みんなが覚えてるから、
なかなか小浜へ戻りにくく、「そういう姉」がいると知られると、
母自身が結婚できないかもしれないと周りの人に心配されたこと。
でも父は、里枝さんのことを知っていて、母と結婚したこと。
あんなに頭の良かった姉が、どうして病院に入ってしまって、
今、こういう状況になっているのか、理解できないような感じもあった。

小さいころから、口癖のように母がよく言っていた言葉
「そんなことすると、変やと思われるよ」
そう言っていた理由が、少しわかった気がした。

私の兄姉も、里枝さんと会ったことはないらしく、
里枝さんの話をしたこともないらしかった。
私の帰省と、里枝さんの帰省が重なったのは偶然で、
日程をずらそうかと思ったけど、なんとなく、
まあ大丈夫かな、と思った、と言っていた。

里枝さんは、40年近くも病院にいる必要があったのだろうか?

それからまもなく、里枝さんは、小浜市内の老人ホームに入り、
私はたまに帰省すると、父と老人ホームに一緒に面会に行った。
父は、すごく楽しそうに老人ホームに行っていた。
1週間に1回くらいのペースで、差し入れを持って行っていたらしかった。
里枝さんのために、何かしたいとずっと思っていたのが、ようやくできた、
という感じだったのかもしれない。

大学を卒業して、私は偶然、精神科のケースワーカーとして働くようになった。
そこで初めて、里枝さんが入院していたのは、精神科だったんだと思った。
そして、里枝さんと同じような人がたくさんいることを知った。
うちの家だけだと思っていたので、驚いた。
長い人では50年近く、精神科に入院している人もいた。
このようなことが、全国各地で起きているということも知って驚いた。
たくさんの人が不幸になっているように感じた。

何とかしたい、と思ったものの、あまりにも根が深いように思い愕然としたし、
結局何もできないのだろうかと思い転職したり諦めたりしてきた。
けど今は、自分でやれることだけ、やってみればいいか、と思う。

いろいろと、偶然知ってしまったことではあるけど、
少しでも、なにかできたらいいな、と思う。

2013/10/21

言葉になっていない感情を言葉にして縛る怖さ

人の話を聞いて、ああ自分もそう思うな、と思うことがある。
うんうん、自分もそう思うと、自分の気持ちの整理ができて、
新たな発見ができてスッキリする。

ふと、同じスッキリでも、自分の内から出てくる言葉を待たなくても、
一瞬はスッキリできる落とし穴があるように思った。

たとえば、言葉にならないたくさんの自分の感情がある時、
人から「あなたはこういうタイプの人だね」とか
「単なるわがままだね」とか
「それはこういうことで、こういう病名ですね」などと断定されたとすると、
わからないものが分かった気になって、
一瞬はスッキリした感覚が味わえるのかもしれない。

怖いのは、本当に自分の中から湧き出た言葉でなくても、
はっきり言われることで自分はこうだ、
思うようになるのかもしれない。
それを自分で吟味しないでいるうちに何が起こるか。
自分の枠を自分で作っていくことになるのではないか。

やってもない犯罪の取り調べを受けるうちに、
自分が犯人だと錯覚を起こすように。

言葉にならない自分の感情の中に居続けるのは、
あまり気持ちのいいものではないのかもしれない。

自分の目の前にいる人が、言葉にならない感情のうずの中にいると、
こっちまで不安になって「それはこうだ」と言いたくなるのかもしれない。

人から言われたことが自分の中から出てくる言葉と同じこともある
違うこともある。

自分が感じて出てくる言葉やら、自分の声を、
じっくり吟味できる時間って大切だなと思った。

あなたの感情はこうだ、あなたの気持ちはこうだと、
誰かが誰かを断定することも、されることなく、
誰もが自分のことを吟味できる。

WRAPクラスっていうのは、そういう空間だから、
終わった後に晴れやかな気持ちになるのかなと思った。

今回、福井でのWRAP2日間は、
進行するという役割を邪魔だと感じることもなく、
参加して輪の中に入っている感覚もずっとあって、
とても楽しかった。
ファシリテートをすることも楽しい、
これは、新しい発見だった。

昨日、福井からの帰り際に、福井駅で買った
八百比丘尼の椿がカギになっている、西村京太郎の本を読みながら、
今日は、つらつらと、そんなことを考えた。


2013/10/01

天国と地獄の違い

急に思い出した。

天国と地獄の違い、という話を、
たしか小学校の頃に、誰かから聞いた。

天国にも、地獄にも、同じように、おいしい食べ物はたくさんある。

天国にいる人は、みんなおなかいっぱいで、
みんなコロコロと太っている。
だけど、地獄にいる人は、みんなガリガリで、
いつもお腹をすかせている。

天国にも、地獄にも、同じ「おはし」がある。
その「おはし」は、すごく長ーいおはし。

地獄の人は、その長ーいおはしを使って、
自分で食べ物を食べようとするが、はしが長すぎて口に入らない。
おいしい食べ物があっても、誰もそれを食べることができない。

天国の人は、その長ーいおはしを使って、
他の人に食べ物を食べさせてあげた。
お腹が減った時も、誰かが食べさせてくれる。
なので、お腹が減っても何も心配はない。

天国と地獄の違いは、それだけのこと。


いつどこで聞いたかは、あんまり覚えてないけど、
なぜか、印象に残っている話。

毎月行っている勉強会に昨日も行っていた。
まさに、この天国だなと思った。