2014/12/20

苦しい時

私はこう思ったからこうしたんですけど、と話しをするたびに、
「そんな風に考えるのはあなただけよ。他の人はそうは思わないわ」と言われて、
最初は、人の思うことは、みんないろいろじゃないか、と思っていたのに、
何回も何回も同じ人に、繰り返し言われ続けているうちに、
やっぱり、私っておかしいのかな?と思い始めた。
そういえば、幼稚園の時も、小学生のころも、私だけが変だった、
なんてことを、思い始めていたりする。

そんなことを言ってくる人とは、話をしないのが一番なのだけど、
それが上司となると、話をしないわけにもいかない。

だんだん自分だけが、とっても変な、異質な存在に思えてくる。
こいつは嫌い、嫌な奴だと思わないと、やってられない。

なのに「ごめんなさい。私はあなたを傷つけたのね。傷ついたってことがあったらその時に言ってちょうだい、私は気がつかないから…。」と謝られたりすると、そんなの知らないし言葉で伝えられたら苦労しないよ・・・と、絶句して返す言葉も見つからないのだけど、でも、悪気はないんだよな、と思ったりしてしまい、「嫌い」と言いきれなくなってしまう。

だから、ますます混乱してしまう。


話は変わって、幼稚園の頃に何ヶ月か、児童相談所に母親と通っていたことがあって、
その時に会った「先生」に、会わなくなった後もずっと、
小学校を卒業するまで、毎年バレンタインデーにチョコを送ってた。
たぶん手紙も書いて、まとめて母が送ってくれていた。

ということを、ふっと思いだした。

職場の近くで毎日会う、バスロータリーの交通整理のおじさんと顔見知りになって、
顔を合わせると、お互いに少しだけニコッとして、あいさつをするようになった。
会話はしたことがない。いつも挨拶だけ。
今日急に、ふっと、そのおじさんにチョコをあげたいな、というのが頭によぎって、
児童相談所の先生のことを思いだした。

朝、憂鬱な感じで駅から職場に向かう時に、
そのおじさんと顔を合わせると、ちょっと肩の力が抜ける。

仕事を変えると、そのおじさんとも、顔を合わせることはなくなるんだな、
なんて、まったく仕事に関係のないことで、寂しく思ったりする。

退職をする時には、お世話になりました、とあいさつに行こうかな。

ふっと肩の力が抜ける瞬間。
それは一人では起きにくくて、何か、があるとでき易いのかもしれない。
何か。

何か、って、何なんだろうな。
わからないな。

わからないけど。
でも、その「何か」、があると力が抜けやすい気がする。

2014/12/07

昔も今も



とっても疲れて、何もする気が起きない時は、ぼーっとするに限ります。
・・・というか、ぼーっとしかできない、って方が近いかも。

ぼーっとパソコンをいじっていたら、
高校の頃に、録画して穴があくほど観た映像をみつけた。
今は、穴があかないから、便利だな。

この歌もすきなんだけど、なんでか、この映像がとってもすきで、
こんな風に、なんだか知らないけど人をほっとさせられる人になりたいもんだ、と思ってた。

これを見てた頃は、となりでクロネコが寝てた。
今は、シロクロと、トラネコが、近くで寝てる。
将来、働くいて食べていくことができるのだろうか、と、いつも不安に思ってた。

その頃と今と、あんまり変わった気がしない。

20年以上経った今も、なんとか食いつないで、生き延びてこれた、ということはわかった。
寒い日にストーブをつけて、あったかい場所でぬくぬくとして、
しかも、となりに、ネコがいる。

意外になんとか、なってきたんだ。

きっと、これからだって、何とかなる。
たぶん。

寒くてもストーブを付けられない時、
お腹が減っても食べ物がない時、
何かすごく困った時に、どうすればいいか考えればいいや、ということにしよう。

すやすや寝てるネコの寝顔を見てたら、
明日食べられるかなんて、全く心配してない感じだもんな。
明日、ごはんが食べられるなんて保障はどこにもないのに、
なんにも気にしてないんだもんな、
と思ったら、
この先のことを心配してるのが、アホらしく思えてきた。

そういえば、試験やら宿題やらに追われている時、
ネコの寝顔を見て、「気楽なもんだな、人間はそうはいかない」
と思ってたのに、いつの間にか一緒に寝てしまってたことがよくあった。

ネコと暮らすのは、私にとって、ちょうどいい塩梅なのかもな、と思った。

2014/11/30

難しいこと

ななせ
こたつに入ってたら、ななせが恐る恐るひざの上に乗ってきた。
何回もひざに乗ってきてるのに、まだ、乗る時はおそるおそる。
寝ているところを、なでてたら、
初めて会ったときのことを思い出した。
ねこシェルターのゲージの中の、さらに洗面器の中にまるまって、
出入りする人間を時々チラッと見ては、
寝たふり?をして息をひそめているようだった。

なぜか、すごく親近感がわいた。

こわがりで、おどおどして、今でも忍び足で歩く。
シェルターのボラさんから、かぼそい声で遠慮がちにしか鳴かないと聞いた気がしたけど、
お腹が減った時は全力で呼ぶし、まあ、かぼそくは無いな。

姫と初めて会ったのも、ななせと会ったのと同じ日。
ななせと同じ部屋のゲージにいて、ゲージには黒い布がかぶせてあって、
布の間から、きらっと光る眼をみた。
外が見えると落ち着かなかったらしい。
今となっちゃ、そんな影もみえないけど。

ななせの素性は、全く知らない。
姫は、1歳~2歳半くらいまで、預かりボランティアさんの家にいたみたい。
最近になって、そのボラさんが書いていたブログをみつけて、読んだ。
「姫」って名前は、そのボラさんが付けたらしい。
1歳までは、かなり苦労をしたようで、
保護された時は、4回洗ってもくさかったらしい。
しかも触れなかったそうで、麻酔をしている隙にシャンプーしてもらったんだって。

ななせと姫がうちに来ることになった時に、
保護をしていた人は、過去のことも、未来のことも何も言わなかった。
人間の世界にありがちな
「こういう経緯があるから、こう配慮してください」
なんてことを全く言われなかった。
もし、その時にたくさん聞いてたら、身構えただろうな。

最初に聞いたのは、
ゲージに目隠し布をすると安心して隠れていられるかも、
1~2年もすれば慣れてゲージから出てくると思います、
ということだけ。

姫とななせの行く先を心配しないわけはなく、
でも、くどくどと言わない。
潔い。
私には、なかなかできない、難しいこと。

人を信用する、って、そういうことなのかな、と思った。

2014/11/23

からっぽから

今月の始め、1週間ほど遠出をして、懐かしい人々に会ったり、
山の中を歩いたり、川を散歩したり、ぼ~っとしたり、
話をしないで1日過ごしてみたり、ゆったり話をしたり、
ゆっくり朝ごはんを食べたりした。
予定の詰まっていない、ゆったり流れる時間。
体の疲れが、ささ~と抜けた感じがした。

帰って来てから、今までは感じないようにしてたつもりの疲れを感じるのか、
疲れるのだけど、そうだよな、と、どこかで思っていたりする。

無理をしてるつもりはなかったけど、どこか無理をしてるんだよな。
体は正直なもんだ。
シェイカーズという、共同生活をしていた人々のコミュニティの跡も見た。
昔から、人はいろいろ考えて、いろんなことを試してきたんだ。
完璧ってのはありえなくても、人が生活するのに、どうするのが一番無理がないんだろう?って、
一生懸命考えて、試してきたのかもしれない。

本当に体がのびのびする暮らしって、どんななんだろう。
そういうことを、じっくり考えるのも悪くない。

ま、でも、実際に考え出すと、そうは言っても無理じゃない?
ということが、すぐに頭をかすめて難しいのだけど。
できるかどうかは別にして、こうだったらいいのかな?
って考えるだけなら簡単なはずなのに、
全くできそうもない、とか、今は無理だ、とか、お金がかかる、
な~んて、頭に少しチラつくだけで、考えが止まってしまうのが不思議。

山の中で、太鼓をたたいたのが、つい、昨日のことのような気もする。
あの、のびのびとした、なんとも言えないふわっとした感じ。
今も時々思い出す。
頭は、何にも考えてない時の方が、柔軟で、
こういう感じがいいって感覚も、研ぎ澄まされているんだろうな。

普段は、いろんなことで、頭がいっぱいだから。
たまには、頭をからっぽにしないと、
「何かしてみようかな」という気持ちも、どんどん消えていく気がする。

川の流れる音を、目を閉じて聞いてると、
水の中をプカプカ浮かんでいるような、心地よい感じだった。
しかも、川を遠くで見ている時と、近くに行ってみるのと、全然違って驚いた。
都内で川の音があるか?と思っていたけど、
帰って来てから、近くの公園とか、意外に水の音が聞ける場所をみつけて、
あるもんだ!と、それも驚いた。

たまには水の音を聴いて、頭をからっぽにしたいなと思う。

2014/10/28

ひも

なんとかならないこと、は、多い。
昨日も、まさかなことで驚いたことがあった。
うまく説明できないので簡潔に言うと、解雇されるかもしれない。
「それはできない」と思ったことを伝えて行動したことが、
話をしてみたら、実は、まったく違っていた。

この状況が続けば仕事を続けていけない、と切羽詰まっていたのに、
実は、そんな切羽詰まった状況なんてもともと存在しなくて、
みんな、ちょっとずつ知らなかったこと、が、積み重なっていただけだった。

後に残ったのは、私が「しなかった」ということだけ。
責任を果たさなかったということで、処分されるかもしれないらしい。

昨日は、求人のサイトを見ながら、
ネコと人間のご飯を確保するだけなら、
仕事は選ばなければきっとある・・・「おこわの販売、時給900円」
やったことないけど、初心者歓迎ってあるから、採用してもらえるだろうか?
とか考えながら電車に乗って帰ってきた。

今までの慣れた仕事、に、こだわらなければ、きっと生きていける。
に、違いない。たぶん。
という話に、は~?と言っているように、走り回るネコたち。
時々、隣にきてゴロゴロゴロと言っていた。

朝、今日も起きるのか…となかなか起き上がれかったら、ネコが来て、
「ごは~ん」と言いながら(と言っているように聞こえる)体当たりしてきて、
まんまとネコに、いつも通りの時間に起こされた。


ふと、最近心にとまった言葉を思い出した。

「死は一人のものではない。」
誰が言ったことばだったかは、忘れてしまった。
ツイッターを読みとばしている時に見たんだと思う。

昨日のツイッターで、
「頭で身体をコントロールしたいと思う欲求や願望が、頭痛や肩こりとなっていて、その程度で済んでくれているのもありがたいこと」と見た。
韓氏意憲(かんしいけん)の光岡さんという人のツイートだった、と思う。

自分の体も思い通りになると思うことは思いあがり、なんだろうな。
思い通りになることもある、ってこと自体、思いこみだとしたら、
何も思い通りになることなんて、無いわけだろう。

ご飯を食べ終わったネコたち。
単なるヒモにじゃれて、ヒモはボロボロ。
そして今、2人で追いかけ合いっこをしているネコの横で、
ごちゃごちゃの頭をブログに預けながら、
ま、なるようにしかならないし、なるようになるか、と、思った。

今、ネコに聞きたいこと。
「ヒモ」ってそんなに楽しいですか?

2014/10/05

食べるということ

雨が降っています。
明日は台風かも?

雨に濡れないで雨の音を聴いていられるって幸せだなと、
とある方に紹介してもらった、センスオブワンダーという本を読み返しつつ、
となりで、遊び疲れたネコが、うとうとしているのを見つつ、
こういう時間っていいな、としみじみ思いつつ、
パソコンに向かっています。

星野村で、ゆっくりご飯を味わった感覚がまだ体に残っていて、
ふと、2~3日前、急に「三角食べ」というのを思い出した。

なんとなく、その食べ方があたりまえに良いと思い込んでいたことに気づいた。
味わって食べたら、別に、どういう食べ方でもいいのではないか?

小学校の頃に習った記憶によると、
ごはん→おかず→お味噌汁など、まんべんなく食べるように!というもの。
小学校の給食は、時間に追われて、しかも、
全部残さずに食べられるかという恐怖といつも戦っていて、
味わう、ということはしてなかったように思う。

気になって、三角食べを調べてみたら、
口の中でいろんな食材を味わう、もともとは和食の作法らしい。
全く知らなかった!!!

ちっとも味わってなかったな~。

大人になってから、食べる瞑想というのに参加した時に、
今までにない、おにぎりの甘さというのを感じた。
とあるお店で買った、塩がきつめで、いつもしょっぱいと思いながらも、
時間がない時は手っ取り早いので買っていたおにぎりだったので、
すごく驚いたのを覚えている。

食べる前に、じっと目の前に置かれた食べ物に想いを馳せてみましょう。
と、少し、ナビゲートしてくれる人がいた。
このおにぎりが自分の目の前に来るまでを想像する。
お米が作られるまで、のりができるまで、梅干し、
それをおにぎりにしてくれた人、
たくさんの人の手を経て、自分の目の前に食べ物がある。

「口の中でトロトロにとろけるまで噛むと、胃にも優しいです」

そんな風に味わってみると、おにぎりだけ持ってきたのを、
おかずがなくて恥ずかしいとか、
質素で寂しいと思っていた気持ちもどっかに吹っ飛んでいて、
なんとも言えない幸せな気持ちになった。

それ以降、時間がある時は、じっくり噛んで食べたいと思うようになった。
いつもそういう風にじっくり食べられたらいいなと思いながらも、
なかなか毎回じっくり味わうというのは難しいのだけど。
星野村では、普段できない「じっくり」、を、いつもより多く持てた。

何かを頂かないと、生きていくのは難しい。
自分で全部用意しなければ食べる資格がないのか?
と思ったこともあった。

自分で作った野菜であっても、実は、前人の耕した畑だったり、
種があったり、知恵があったり、残してもらっている肥えた土があったり。
何をするにも誰かの力を借りない、なんてことは、あり得ない。
しかも、今すでに、食べることをお互いに助ける仕組みが世の中にある。
ありがたいことに、いつもいつも死なない程度に、
食べるものを自分の目の前に持ってくることができる。

何をするにも、いろんな人にお世話になっているので、
お返しをしたいけど、どうしたらいいかわからない。
出来る事って言ったら、ありがとうと言うくらいか、と思ったりする。

雨に濡れず、お腹が減ったら食べ物もあって、しかも、となりにネコ。
至福の時間だな~。

などと書きながら、ネコが頭を毛布にうずめて、
気持ちよさそうにまるまっているのを見て、
ありがとう、より、つい触りたくなってしまう。
起こしてしまうのもかわいそうなので、
ってのと、起きるとドタドタ走って騒がしいので、
起きるまで、ぐっと我慢してみるだけ、にしよう。

ううう、でも、触りたい。

感謝しながら触ったらいいか!
なーんて。
あと1000年くらい生きていたら、触りたい衝動を抑えられる出来た人になれるかな?

あ、そんなこんなしてる間に。
ネコが起きて走り出した。
おかげさまで、1000年待たなくても、出来た人になれました!

2014/09/28

矢が花にかわる心の交流のキャンプに行ってきました。

星野村のキャンプは、
クロヤギとシロヤギが散歩してたり、
雨上がりの空が青かったり、
さわやかな風が、そよそよと吹いているような5日間でした。

ブログを読んでくださっている、というお話も聞き、
とても懐かしく、嬉しかったです。
ありがとうございます。

2014/09/07

 学ぶということ

亡き父の誕生日、お墓参りは行かないまま、1か月が過ぎてしまったけど、
一つ、父との思い出を文章に残したいと思う。

小学生のころ、休みの日には父がよく車で、いろんな所に連れて行ってくれた。
海や琵琶湖が近かったので、景色のいい所をドライブしたり、
一滴文庫という所やら、神社やお寺もそこらかしこにあって、
一言神社やら姫神社彦神社には、何回も行った記憶がある。
そんな中で、大飯の原発PRセンターも割と近くにあって、何回か行った。

PRセンターは、入ると電気がついて、とても驚いた記憶がある。
田舎では「すいな建物」と表現する部類に入ると思う。
子どもにもわかるように、原子力の仕組みが模型で紹介されていた。
爆発するとすごい威力なので、ちょっとだけ爆発させている、
ちょっとの爆発で充分、生活できる電気が出来る、
という説明があって、なんか怖いなと思った記憶がある。
爆発をコントロールなんてできるんだろうか、と思った。
でも、実際に今コントロールしている、と聞いて、驚いた。

「危なくない?」と父に聞いたら、
「わからない」と言っていた。
何を聞いても、「さあな、どうなんやろな、わからんな」
と言っていたような記憶がある。

入ると自動で電気がつく意外に、あんまりおもしろかった記憶はなかったけど、
父と遊びに行くドライブは、時々PRセンターが入っていた。
そのたびに、ちょっとずつ私は、そこで何かを見ていた。

特に、父は私に何の説明もしない。
いい、とも、悪い、とも言わない。
感想も何も言わない。
ただ、その場に連れていっているだけ、という印象だった。

小学校では、原発が爆発したら、福井県の人は県外に出られなくなる、
ガチャンと柵がおりて、周りに空気が漏れないように、
人も出られないようになるんだ、というウワサが広がったりしていた。
そんな話を父にしても、ドライブでPRセンターに時々行く、というのは変わらなかった。

原発のない市に住んでいたので、冷房なし、煙突ストーブが当たり前だと思っていたら、
原発のある町村の学校は、小学校から冷暖房完備だったと聞いて、
うらやましかったのも覚えている。

中学校の頃、ニュースで原発のことが批判されているのも見たし、
同級生の親が、原発で働いているというのも、聞いたりした。
仕事のない田舎で、食べていくのは大変だ、と母は言っていた。

そういうことについても、父に話したが、いい、とも、悪い、とも、
何も言わなかった。
中学生の頃は、はっきり意見を言わない父を情けないなと思ったりもした。
でも、今思うと、何も言われなかったから、いろいろ感じることができたのかもしれない。

批判も称賛もしないで学ぶ場を作る、というのは、とても難しいことなのかもしれない。


ある時、PRセンターの帰りに、一滴文庫に寄った。、
東京から来ていた、見知らぬ老夫婦が、父に写真を撮ってと頼んでいた。
父は写真も大好きで、人と話をするのも大好きだったので、
喜んで写真を撮っていた。

ちょっと明るいおばちゃんと、無口なおじさん。
おばさんは、死ぬ前に一度来てみたかったとキラキラ話していた。
最後に一緒に写真を撮りましょうと、おばさんは言って、
無口なおじさんは、カメラマンになっていた。
東京には何でもあると思っていたので、人が誰もいないような、
古い家を楽しみに見に来るなんて、変わった人もいるもんだと、思った。
写真を送りたいからと住所を聞いていて、
後になって、本当に写真が届いた。
今も、たぶん昔のアルバムに残っている。

学ぶって、思いがけない。
ひょんなことから、ふいに学べることもある。
楽しい。
眉間にしわを寄せなくても、眠気を我慢しなくても、大切なことを学ぶことはできるんじゃないかと思う。


見えることや聞こえること

ネコは、人間の20%くらしか見えない、とてもぼんやり見えているらしい、という話を聞いた。
本当かどうかはわからない。

とても小さな音で、あ、ご飯だと判断してにゃーと言うので、
音には、とても敏感な気もする。

昨日、久しぶりにピアノを弾いた。
電子ピアノで、音を小さくして。
そうしたら、ななせという茶色のネコが、後ろにちょこんと座って聞いていた。

実家にいたクロネコも、そういえば、ちょこんと後ろで、私が弾くピアノを聞いていたことがあった。
こっちとしては、怒られないようにと必死で練習していたのだけど、
じっと聞いている時と、どこかに行ってしまう時もあるのを見ると、
あ、この曲すきなのかもな?なんて思って、練習を忘れて、
ネコが聞いてくれそうな曲を弾いてた時もあった。
私もこの曲すきなんだよね、と思う時もあった。

敏感だと思われるネコの耳には、ピアノの音は、どんな感じで届いているのかな?
と不思議に思う。

なんか、ほっとするな~と感じられる音、
見え方も聞こえ方も、きっと違うのだと思うけど、
うん、なんかいいね、と思う感覚を、
一緒に体感することもできるのかもな、などと思ったりもした。

2014/08/20

8月は2日間の拡大勉強会

勉強会や研修会に出て、くつろいで帰ってくる、というのが、
ここ5年で、すっかり定着した。
2日間も、ゆったりした時間だった。

身構えることもなく、焦ることもなく、
流れに身を任せていられる時間だった。

こうなってくると、自分の足りなさを感じさせられるような、
普通の研修と呼ばれている場所には、
ますます、まったく出る気がしない。

5年ほど前まで、勉強しようと出ていた研修は、
いったい何の意味があったんだ?とさえ、今は思う。

「この場から離れたい」という感覚が、年々鋭くなってきている気がする。
なので、無理をして居続けることは、なかなか出来ない。
そして。
「この場にいたい」と思える場所をみつけるのが、うまくなった気もする。

研修が終わったら、この感覚を味わえなくなってしまう、寂しい、
というのも、今は、あまり感じなくなった。
どこにいても、そんなに変わらないような気がする。

そんなつもりはなかったけど、
前は、どれだけ緊張して生活してたんだか。

お疲れさま。私。

2014/07/22

ねこ

うちにネコが来て、1か月ほどが経った。
2匹。茶しまの「ななせ」と、白黒の「姫」。




実家にいたクロネコと暮らしていたのは、もう、20年も前のこと。
久しぶりに家にネコがいる生活は楽しい。
しかし、まさか、アパートでネコと暮らせるとは思ってもいなかった。

ネコを保護している「ネコシェルター」があると知って、
休みの日にネコに触りに行けるとは、なんといいんだろう!と、
軽い気持ちで掃除ボランティアに行ってみた。
初日に出会ったたくさんのネコたちの中で、
ちっとも愛想をふりまかないネコがいた。

ゲージの中の、さらに洗面器の中でまるまって、
掃除する人を迷惑そうにチラッと見ていたのが、ななせ。
妙に気になるネコだった。

ゲージに黒い布がかぶせられ、その黒い布のすきまから、
キラッと目を光らせたのがチラッとだけ見えたのが、姫。

そこから、うちにもネコがいたらいいな、と長期計画で引っ越しを決意。
道にマグロが落ちていそうな焼津に引っ越そうかと、ダンナと夢のような話をしていた。
でもその前に。
今のアパートでネコを飼えないか大家さんに聞いてみようか、
という話になり、大家さんに聞きに行ってみた。
そしたら、あっさり「もう古いアパートだから、飼ってもいいわよ」と。

えええ???

一瞬耳を疑ったけど、なんと、引っ越さずにネコを飼えることになった。

そこから大掃除、必要なものを買いそろえた。

2匹は別のシェルターに移動になってしまい、1回しか会っておらず、
その間に2匹で同じゲージで暮らし始め、少しずつ仲良くなってきた、
という情報だけ聞こえてきていた。
どうも、極度の怖がり同志で、寄り添っているというウワサが。
譲渡会というのに参加して、どちらも来てもらうことにした。

来た当初は、かっちんこちんに固まって、2匹でくっついてたけど。。。
今、2匹で走り回って、ケンカしてます。
あれ?2匹で寄り添って生きていくんじゃなかったっけ?

まあ、いいんだけど。

ゲージから出るのも、まだまだ、おっかなびっくりですが、
ゆっくりできる場所が、だんだん増えるといいな~と思います。

2014/07/07

映画館

人には簡単にできて、自分は簡単にできないと思ってしまうことがいくつかある。

その一つが、映画館に行って映画を観ること。

内容や結末がわかっていない映画を観るのは、すごく怖い。

翌日が休みとか、一人でぼーっとする時間が充分にとれない時に観るのは危険。

観ている間も終わったあとも、いつまでも残って今に帰れない感じになってしまう。

これは映画なんだ、と、途中で何回も自分に言っていないと、いつまでも引きずることにもなる。


今日、何人かで話をしていて、ぴったりだと思う表現があった。

情報が自分のフィルターを通り過ぎて、どんどん入ってくる感覚。

ものすごく納得した。

私は今まで、誰でもできるけど自分には怖くてできない、恥ずかしいことだと思っていた。

単に、ダイレクトに入り過ぎるだけの話だったんだ。

花火に行けないのは、近づいた時の音が心臓を叩かれているように感じるから。

ピアノの低い音を出せないのは、聞くと脳ミソをかき混ぜられる感じがするから。

戸棚のガラス戸がカタカタする音を聞けないのは、真っ暗な海に放り出された感じがするから。

トラックが通る音が嫌なのは、髪の毛を全部もがれるような感じがするから。

全部、フィルターを通り過ぎてしまっているだけのことなんだ。

小さい頃は今よりずっと怖いものが多くて敏感だったんだと思う。
大人になるのは楽になることもあるんだな〜と思うこともある。

小さい頃、ネコと一緒にいて楽だなと思ったのは、音にビクッとしたり、のんびりしたり、の感覚が、わかるわかると思えたからかも?

とても怖がりな2匹のネコと暮らし始めて一週間。
そこまで怖がらなくても、と思ったりもする。

私が大人になったのか、鈍感になったのか、野生の感覚を失っていっているのか。

わからない。
けど、かわいくて、見ているとホッとする。

2014/06/14

生きる力

時々、ふいに、生きる力があるよね、と言われることがある。
15年くらい前に、年上の人から「雑草のようだね」と付け加えられた時は、
バカにされているのかと思ったけど、
もしかして、褒め言葉だった?と最近は思う。

生きる力を感じるって、なんだろう?

どう考えても、自分に生きる力があるとは思えないのだけど、
今の所、(たぶん)死んでないから、生きる力はあるのかもしれない。


この前、かないくん展というのに行った。
「死」ってなんだろう?というのがテーマだったんだと思う。
印象に残っているのは、入口すぐの大きいボードに、
「死」についてイメージすることを、
子どもや大人が書いた文字と、映像が流れていたこと。

なんて軽やかな、ふわふわした感じ、というのが意外だった。

そして、一番印象に残ったのは、受付の2人の女性が、とても仲が悪そうだったこと。
ちょっと緊張して入ったものの、お金を払う時点で、
なんともいえない不機嫌な空気が流れていて、
なんか、生きてるな、というか、なんかいいな、と思った。
肩の力が抜けた感じがした。

何事も、きれいごと、ではおもしろくないし、気持ち悪い。
入口の2つで、見事に「生きること」を感じた気がした。


生きる力ってもしかして、「一生懸命生きる」というより、
「一生懸命死なないようにする」ということなのかと思ったりもする。
したたかな生命力?
魚を奪うのを失敗しても、誰もいなくなった隙にもう1回魚を奪いにくるネコ、
のような感じかな?と思った。

2014/06/05

遠回り

学生の頃、こういうことを大切にしながら仕事できたらな、と思っていたことがあった。
今思うと、学生らしい単純さと、大切な人間くささが入っていた。
現場で働いている人は、すべてを忘れて悪にまみれて働いているように見えた。
働き始めても忘れてしまわないようにしたいね、と何人かで話した記憶がある。

けど、働き始めたら、見事に遠ざかって見失ってしまった。
10年。
「何か違う」という感覚と、
「どこに向かえばいいのかわからない」息苦しさ。

ここ4~5年、「何か違う」と思ったら、するのを止めて、
そういう息苦しさを感じたら離れるようにしていた。
学生の頃にしたかったことも見失って、
すべてから逃げて楽しいことだけしているような気がしてた。
このままでいいのだろうか?と思うこともあった。

だけど、実は。
学生の頃にしたかったことに近づいてきた。
ということを、近頃、実感するようになった。

遠回り、が、実は近道だったのかもしれない。

「何か違う」のまま続けていたら、
息苦しいのをずっと我慢して続けていたら、
今、は、こなかったかもしれない。

来たかもしれないですが。

自分の感覚で選ぶ、ことをしていたら、
おのずと近づく「何か」、が、あるのかもしれない。

2014/05/25

出会い

ひょんなことから、韓氏意拳(かんしいけん)の講習会というのに行ってみた。
おもしろかった。
出会うべくして出会うということって、あるんだな~と思った。

説明できる気がしないので、言われたことを思い出して、そのまま書いてみます。


武術ですが、動くことよりも説明の方が長いです。
いろいろ追及していったら、見た目あんまり武術じゃない感じになりました。
という、前置きの話から始まった。

・「こうしなければならない」という考えが、一番自然な動きを邪魔する。
・もうすでに、自分の体を使っていて、自然と歩いて、ここまで来ている。
・体を100%使えばよいだけ。
・意識をしていないだけで、すでに自然に動いている。
・一番動きやすい動きって、どんな動きだろう?

実際に、手を前や横に動かすという簡単な動きをしながら、
ちょいちょい、話が付け加わっていきました。
動きをマネするではなく、動きが体にどう伝わっていっているか、
体が常に準備(いつでも足踏みできる状態)になっているか、
というようなことを、感覚として掴んでいく感じかな?と思いました。

・体の機能、あるものは全部使ったらいい。
・ぼーっとするでもなく、何事もないように振る舞っている余裕もない、常に必死。
・自分の体を充分に使えているか。
・手の動きを感じてみる。
・体全体を使っていると、手だけを動かしているつもりでも体のどの部分も動いている。
・体のどの部分かが止まっていると、ぎこちない動きになる。普段はそんな動きはしてない。

・誰かに腕をつかまれると、体が身構えるのは当然。
・相手がこう来るだろうから、こう避けようというのは、過去の幻想にしがみついているだけ。
・相手にここに打ってきてほしい、というくらいなら、殴らないでと言った方がいい。
・どこから攻撃があったとしても避けられる、どうのようにも動けるような。
・1点を意識してしまうと、とっさの対応ができない。自由な動きはできない。
・自分の体、手とか足とかはいつも仲良しなので心配することない。
・力を込めたくなるのは、自分の力を信じられない時。

・力を入れると弱くなってしまう
・自分の感覚
・何もはっきり区別できるものはない。
・緑の中にいると自然っていいな、と言うが、自分の体も自然。
・体のどこかが動かないなら動かないなりの最大限を。
・手を天井にと言われた時に、出来ているかチラッと確認するのは到達していない証拠。「うまくできたかな?」と確認するのは、その瞬間過去に縛られている。
・ネコに近づいた時に、ネコが身構える姿を思い出して、そのイメージで。
・急に気がついてパニックに、ということがないように、いつも、準備している感じ。
・いつ何が起こるかわからない、という危険はいつもある。
・災害などがあると、そのこを教えてくれる。
・平和ボケをするような幸せな環境にある、というのはありがたいことでもある。

・腹筋がなくても起き上がれるように、自然と手や足が動いている。
・自然にできている=自覚がない。
・実感がないから、うまくできた、というのがわからない。
・なので出来た時に、どうして出来たというのは考えなくてもいい。わからないから。
・今動いている感覚だけ。
・とても強い力を出して相手に殴りかかって、相手に避けられると、ダメージが大きい。
・力で押す時は、相手が押し返す力がないと、その場に留まれないし、相手が引いていまえば前につんのめる。
・力を使うということは相手に依存しているのと同じ。
・「問題」に頭で考えて解決をしてしまうと、また新たな問題が増えるだけ。
・相手に押されると押し返してしまう、というような自分の「問題」は、気づいた時点でほぼ解決。
・「問題」が全く解決しないのは、気づいていない時。
・歩き始めた子が体全体を使っている時、自分の機能をフルで使おうと試している。
・その時の楽しさの記憶はなく残念だが、その時の感覚を、味わいなおそうとしている感じかも。

・武術というのは、常に危機の状態。
・避けなければ死んでしまうという時にする行動。
・相手を傷つけることが目的ではない。
・おそらく見ている人は、どこが武術ですか?と思うだろう
・こういう会に来る人は変わった人、まあ、変人です。変人と思っておくのもいいでしょう。

・夜更かしした次の日、2時間遅く起きるというのが体の自然な流れとしても、2時間遅刻して仕事に行くというのは難しい。そういう世の中で生きていく、ということも前提としている。熟練した人々もそのズレには苦労すると言っている。


何かを追及するのが楽しくてしょうがない人の話はおもしろい。
先生に、韓氏意拳を始めたきっかけを始めたきっかけを聞いた。

そしたら。
もともと武術を習っていた師匠がいて、その人がある講習に出て帰ってきたら、
急に「今まで教えたのはウソでした。解散します」と言い、
興味のある人は、こっちを一緒にやらない?と誘われて行ったのが韓氏意拳だった。
というのも、なんと魅力的!と思った。

東中神という初めて降りた駅は、人がわんさかいる駅から、3つくらいしか離れてないのに、
生まれ故郷にある駅に似ていて、そこをちょっとにぎやかにした感じだった。
おばあちゃんが、駅前で座って井戸端会議をしていたり、
ちょっと歩くと、木枠の窓の家があったり、ほっとする感じだった。

駅前で、おばあちゃんが売ってた、大根やら玉ねぎは、帰って食べたらおいしかった。
ばあちゃんの話は長い、っていうのも久しぶりに味わって、
なんとも、おもしろい日だった。

2014/05/14

名前を伝えるということ

自分の名前を伝えることほど面倒なことはない。
はじめに、私が名前一つでひねくれるようになったのは、
名前が悪いからだ!!!と、責任逃れをします。

私は「優子」という名前。
名前を聞かれて漢字を説明するたびに、
「じゃあ、優しいんですね」と言われることが多かった。

優しいんですね?ってなんだ?

優しいんですね、と言われるたびに困惑してきた。
優しいかどうかはわからない、
優しい時がないわけでもないが、優しくない時もある、
優しくしなければいけないんだろうか?
そもそも、優しいとは何なんだろうか、

わからない・・・だんだん腹が立ってくる。

今日は人に優しくできなかったな、と思った日に限って、
この優しさとはなんだろう?というワナに、はまってしまう。

この名前でなければ、こんなに優しさについて考えなくてもいいのに、
と、また、腹が立つ。
あああ、疲れる。

少し年を食って、最近では、名前の漢字を説明する時に、
「優しい子と書きますけど、優しくはないです。名前だけです。」
と、言うようになった。
そうするようになってからは、優しいんですね、
とは言われなくなったように思う。

ただまあ。
伊賀さんという人に出会った時に、
「祖先は忍者ですか?」
と、瞬時に口から出ていた自分のことを思うと、
「優しいんですね」も、そう深い理由はないんだろうな、
とは思う。

名前だけで、人から何度も繰り返し言われることが違う、
とすると、一人ひとり見た目も何もかも違うわけなので、
だれが、周りの人から、どんなことを言われ続けているかなんて、
わからないもんだな、と思ったりもする。

名前を聞いて、はあ、そうですか、というのも失礼かな?
と思う時もあったりするけど、
自分は、はあ、そうですか、と言われたいなと思う。

いったい、どうすりゃいいんだ・・・。
ああ、面倒だ面倒だ。

名前は面倒だ、と思うけど、
誰にも名前がなかったら、
それはそれで、困ることもあるのかもしれないな、
と思ったりもする。

2014/05/12

会話ではない話

人話すとすごく疲れる時がある、と、ふと思った。
疲れない時もある。
どうしてだろう?

言葉を聞いて、頭を使って疲れているような気がするときもある。

私はクロネコと一緒に育った。

たぶん私が3~4歳くらいだった頃のある日。
5歳年上の姉が、排水溝に落ちて死にそうだったと、泥だらけのネコを拾ってきた。
ネコを拾ったせいで、同じように泥んこになっている姉を見て、
母が、そんな危ない目をして、拾ってきたっていったいどうするの!
とぎゃーぎゃーと半分怒っていたが、
とりあえず洗ってみようということになって誰かが体を洗った。
泥だらけで、ミーミー泣くネコは、洗ってもきれいにならず、
毛が乾いた所で、みんな、ああクロネコだ!と気がついた。

家族中で、こんなに小さいのに何を食べるんだと大騒ぎになり、
牛乳をあげてみよう、ニボシをあげてみようと、母がお皿に出したら、
どんどん食べて、みんなで「よかった~」と言ったのが記憶にある。
それからしばらく、そのネコのために、
山もりのニボシと牛乳が玄関に置かれるようになった。

その日から高校を卒業するまで、そのネコと一緒に暮らし、
私が22歳の時、父に看取られるまで、18年くらい実家に住んでいた。

4人兄姉の末っ子だった私は、そのネコと、よく一緒にいた。
小さい頃は、いたずらをしては、ひっかかれたり、遊んだりした。
中高生くらいになると、気心のしれた仲になって、
なんとなく、ちょっと顔を合わせるだけの時期もあれば、
部屋で長い時間、話をすることもあった。
もちろん言葉で会話はしたことはない。

結構気ままに、どっかに行ってしまうこともあったけど、
なんとなく私が元気のないことがわかると、
出かけるのをやめて、近くにいてくれたりした。

かとおもえば、私が宿題に追われて必死で机に向かっている時に、
開いているノートの上に、ドカーンと寝そべってきて、
どかしてもどかしても、私の目の前にどどーんと寝て動かない時もあり、
そういう時は、ノートを横にずらして、頭をなでながら宿題をした。

不思議と、お互いに、今相手がどんなことを思っているかが、
なんとなくわかっていたような気がする。

時々「私は、あんたが死んだら生きて行けないような気がする、長生きしてね」
という話をした。
クロネコは、お腹をゴロゴロいわせながら、澄ました顔で、
ちょっと耳をぴくっとさせて聞いていた。
「私はあんたがいなくても、ご飯をくれる人がいたらいいけどね」
と言っているような顔で。

会話はしてないはずなのに、なんとなく話が通じているような気がした。

人と話す時も、ネコと話をしているような感覚で会話できる時は、
疲れないなあ、と思ったりする。

クロネコとの思い出を思い出しても悲しみに呑まれないくらい、
時間が過ぎてくれたのは、ありがたいことでもある。
まだ、思い出を書こうとすると、手が止まってしまう時もあるけど。

もし、あのクロネコと会っていなかったら、どうなってしまったんだろう、
と恐ろしくなるときもある。
ゴロゴロとかわいい所も、生まれた時に充分に育ちきっていない子どもを食べる習性を見た時も
ネズミを捕獲してきたことも、戦って傷だらけになって帰ってきたことも、
起きると私のお腹の上で寝ていたことも、
買って1か月のウォークマンに、おしっこをかけられたことも、
ネコとの生活は、答えの出ない、いろいろが詰まっていた。
それがなければ、今以上に傲慢な人間になっていたんじゃないか、
と思うと、本当に恐ろしい。

動物を助ける、というのが一方通行になることは、ありえないんだなと、しみじみ思う。

人を助ける、動物を助ける、そういうことが一方通行になった時に、
あなたのために頑張っているのに、どうして・・・
どうしてこんなにしているのに、思う通りにならないんだろう、
っていうような怒りが湧くのかな?
と、ぼんやり思ったりもした。


なんだかんだ言っても、
ひとつだけ声を大にして言いたいこと。
それは・・・

私はネコがすきだ!

ということです。

2014/05/08

あがきたくなる時

自分が自分で無くなるような感覚が時々来る。

急にくる。

急に、ペトっとまとわりつかれて、

重たくのしかかってくるような感じがする。

こういう時は、何もうまくいかないように感じる。

そのうち、そんなこともスッと忘れてしまうほど、軽やかな感じがくるのもわかってる。

のですが。

早く何とかなってくれたら、と、思う。

2014/04/26

何が違う?

思いつく限り自分の力を発揮したい、と思える時と、そうでない時がある。

仕事で、こんな面倒なことやってられない、と思う時は、
時間外の仕事なんかあると、どうして残業しなければならないのか?と
誰に言うでもない不満を、ふつふつと自分の中に貯めたことがある。

かとおもえば、こうして、こうして、これをしよう、と仕事をしていると、
時間外であっても、これもしておこう、とみるみる力が湧いてくる時もある。

なにか違いってあるのだろうか?

きっと違いはあるのだろうけど、よくわからない。

今週は、とても忙しくて、本当に心を亡くしかけたりしたけど、
寝て起きて、週末で休みになった途端に、
ああ、あれは、次はこうしてみよう、とか、これを提案してみようとか、
朝から、もうやる気が湧いているのが、
自分でも不思議でしょうがない。

いつでも、自分がこうした方がいいのではないか、
と思いつく最善の策を話したり、試したりできる、
からなのか。

どんな人が面接に来ても、よく話を聴いて、
一緒に働けないかどうかを、じっくり考える、
上司の姿を見たからなのか?

何があっても、あっけらかんと、内に入り込む前に、
さらっと軽い現実に戻してくれる同僚がいるからか。

どうしても起きられないから遅刻します、ごめんなさい、
と誰もが言いやすい環境だからなのか。


仕事が大変だと感じるのは、量や事の重大さではなく、
一緒に働く人による、とい言っていた人がいた。

本当に、そうなのかもな、と思う。

一緒に働く人を信用できなくなったら、
仕事って途端に大変になるのかもな、
ということも、頭をかすめた。

2014/04/06

天気

桜が咲いたのに、今日は雨かあられと、予報で出ていたけど、
朝起きたら、あまりにもいい天気!

タオルケットを洗って干してしばらくしたら、急に雲行きが。。。

天気予報、あたるんですね。
わ~雨降ってきた!!!

2014/03/23

2014.2月IPS矢花に参加して

2月に、札幌の3日間と、東京の5日間に参加した。
早いもので、あっという間に3月になってた!

どちらも味わい深くて、ゆったりとした流れを感じる時間だった。
文字にして残しておかないと、忘れてしまうな、と思っていたけど、
すぐには文字にできず、細かいことはすでに・・・忘れてる。。。

今も残っている感覚で、感想を書いてみます。

札幌の3日間で印象に残っていることは?
今、一番に思い出したのは、3日目のお昼に食べたスープカレーがおいしかったこと。
味覚ってすごい。
スープカレーをお昼に食べながら、食べた時に話してたことも思いだしてきた。
加害者の気持ちと被害者の気持ちについて。

そうそう。即座に「信じられない」と判断をして怒る、というようなことは、
誰も得しないな~、と、3日間の間に何度も感じた。
人に対してもそう、自分に対してもそう。

演習で、自分の感情を味わったり、他人の感情を味わったりしているうちに、
自分に対しても、なんでこんなことできないんだ、とか、
結構ひどい言葉が、自分に対してチラついて、
この人も同じ痛みがあるのかも?と、頭にチラついたりすると、
その痛みが、自分の痛みか他人の痛みか、よくわからなくなってきた。

きっと、いつも、まっさらな気持ちなら、
悲しんでいる人が前にいたら、悲しい。
自分が悲しいという話をしている時に、ケタケタ笑う人はいない。
何かしたい、元気を出してくれたらな~と思う。

てなことが、すっかり頭から抜けてしまう場面が、日常ではたくさんあるなと思った。
過去の記憶とか、いろんなものが入ってくると、ややこしい。

実際にカチンとする場面を練習してみたりすると、
練習なのに、カッチーンときて、腹が立ったり、頭が真っ白になって、
この人は自分を苦しめようとしてるのか~と思ったりする。

人って、そんなもんですよね、自分も他人も。
頭に血が上らない人はいないし。


東京の5日間も、札幌に引き続き、自分の出来なさかげんや足りなさ加減に、
腹が立つこととか、悔しいこととかも一つ一つ実感しながら、
そんなことを思っているな~と流してみるということをしていった。
すると、ほんとにちょっとずつではあるけど、
自分の、あの言動も、その時の精一杯だったんだからな~と思えたり、
他の人の受け入れがたい言動も、もしかしると、その時の精一杯だったのかな?
と思える場面が増えたような気がする。

3日間で、とか、5日間で、とか、何か劇的に変わったわけではないけど、
普段は無視しがちな、小さな小さな自分の声に、
じっくり耳を傾けられた時間だったなと思う。

日々の中で、ちょっと疲れたと感じられた時に、
ふっと立ち止まって、小さい自分の声を聴けたらいいな、と思う。

のですが。

日々の中で立ち止まるってのが、余裕がなくなると、とても難しくなるので、
たまには、数日間ぎゅっと立ち止まれる時間を持てたらいいな~と思う。

2014/03/15

ゆったりした朝に

休みの日の朝、ゆったりパンを食べ、お茶を飲みながら思う。

何をするでもなく、ゆったりとした時間を感じられるって、贅沢。
なんてことを感じられるのは年を取った証?

そうこう考えてるうちに、頭が過去に飛ぶ。


大学生の頃は休みの日は忙しかった。
お腹が減って、食べ物が無いときは、
朝、パン屋が開くと同時に、パンのみみを買う。
10円くらいで大量に入っていて、多いのから順に売れていく。
近所のおばちゃまに負けるわけにいかない。

パンのみみの次は、スーパーが開く時間に行く。
土日は、ウインナーとか、いろんな試食が出やすい。
しかも、出来立ての、あつあつ。

夕方のバイトまで食いつなぎ、バイトに行けば、余った惣菜などが手に入る。

土日が勝負だったので、土日の朝が忙しかった。


今は、休みの日に、ゆったり1日を始められる。

焦りもなく、休みの朝のゆったりを感じられるのに、20年かかってるな〜と思う。

いろんな場面で焦りが少しずつ小さくなって、
ゆったりと時間を感じられることが、年々増えている気がする。

年を重ねるのも悪くない、と思った。

2014/02/28

何百年も続くもの?

ここしばらく、頭から離れない音楽がある。

ノクターンop9-2がいい曲だなと思って、
You tubeでうっかり、フジコ・ヘミングの演奏を聴いてしまい、
すっかり引き込まれた。

ちょっと気が抜けるたびに頭の中で心地よく鳴っている。

あえて、どんな演奏だと感じたか言葉にしてみると、

ぬもっ、としたような
もよん、としたような
ぷおん、としたような
サパン、としたような
ゆりん、としたような。

すごくゆったりした、空中を走るジェットコースターに乗ってるような。

きっと、いろんな人が弾くといろんな味が出るんだろう。

ショパンに、フジコヘミングの演奏を聞かせてあげたくなった。

譜面が残って、どんどん新しい人が弾いて演奏が残る。 
古いけど、いつも新しい。

何百年も残っていく古典って、そういうものなのかもな、と思った。

2014/02/10

息を抜くこと

働くことと遊ぶことに境目ってないのかもしれない。
と思ったら、妙に腑に落ちた。

湧きあがるような楽しさを感じる時がある。
「それって仕事?」[遊び?」と聞かれて、わからなかった。
働いているのか、遊んでいるのか?
どっちでもあるし、どっちでもないのかも。

それと疑問に思っていたこと。

仕事だから無理をしてがんばってこなそうかな、
遊びだから無理をしてでも休まずに行かないともったいない、
「仕事」も「遊び」も両方、体を酷使していた時期があった。

そういうことが続いたある時、じゃあ、いつ休むんだ?
と思った。

「ああ、今は休めない」
「ああ、今は休みたくない」
息を抜けないのは、同じなのかもしれない。

ちょっと疲れた時に、疲れたと感じられること、
そういう時に、ちょっと息抜きしようかな、と、
少し立ち止まってみることも大切なんだろうな。

どこにも、自分は余裕があると思っている人はいない、
と言っていた人がいた。
そうなのかもしれない。

忙しくて、頭がフル回転してしまった時に、
ちょっと頭を止めてみることができたらな。

転職して1週間、もう余裕を無くしかけている自分に、
気づいたことに、おめでとう!と言うことにします。

2014/02/09

お茶

朝起きて、ゆっくりお茶を飲む。

湯のみからの湯気を見ながら、こういう時間いいな〜と、しみじみ思う。

と、そこで、洗濯機がピーピーと鳴る。

しみじみは保留になる。
のだけど。

平和だなと思う。

2014/02/01

おみやげ

昨日は学童の最終日。

自分で決めたこととはいえ、やっぱり寂しいと思いながら、
お別れのあいさつをした。

今日が最後と聞いてから、「あんまりトランプ一緒にできなかった」
と文句を言ってきた小2の男の子が、今までの分を取り返すかのように、
あれしよう、これしようと遊びに誘ってくれた。
普段は、トランプしようと誘ってきたかと思うと、
他の子の所に行って、違う遊びを始めるような感じなのに。

バスケとか、砂遊びとか、グリコとか、
その辺にいた子どもも一緒にひとしきり遊んだ。

夕方になって、あと少しで帰る時間になった頃、
その子が「ねえ、来て来て」と呼ぶので、
ふと見ると、せっせと折り紙を小さく切って、
何か作っていた。

「それなに?」と聞くと、
ぴょんぴょんガエルだよ、こうやって遊ぶの。
と、指で軽く押して、ぴょん!と跳ねるのを見せてくれたり、
作り方はね~・・と、作り方を説明しながら、次々と作っていった。

総勢16匹。












結構とんでおもしろくなって、一緒にとばして遊んだ。

「ね、おもしろいでしょ。これ全部あげる。
次の仕事の人と、休み時間に一緒に遊んで!
作り方を忘れたら、休み時間に聞きにきてね。教えるから。」

と言われた時は、周りにいた同僚と目を見合わせて、
思わず笑ってしまった。
けど、これを次の職場に持っていこうと思った。

次の職場は、人出不足でてんてこ舞いしているようで、
連絡さえも、ままならず、おそらく忙しさに呑みこまれる。
そういう時に、カエルをとばして、我に帰れたらいいな、
と思う。
次に同僚になる人々とも、大変な時に、ちょっとだけでも、
本当に一緒にカエルをとばして遊べたらいいな、
と思う。

2014/01/18

2014年1月17日穐吉敏子さんライブ

今日、ソロライブに行ってきた。
年齢を今調べたら、84歳になられているらしい。
もう80歳を越えておられて、あの演奏だったのか。
どん、どんと、足で床を踏み鳴らしながらリズムをとって、
力強さは数年前と変わらずだった。
年をとればとるほど筋力がアップするのか?と思うほど。

1曲目は「ロングイエローロード」
最後の曲は、hiroshimaの中から「hope」と、
もう1曲演奏されていたのは曲名がわからなかったけど、
とても昔懐かしさを感じるような、おもしろい曲だった。

昨日、小野田少が亡くなられたそうで、
予定を変更して「孤軍」を演奏されてた。

小野田少ことを聞いて胸が痛み、作曲した曲で、
生前、ご本人の前でも演奏されたことがあり、
その時は、ルー・タバキンにフルートを吹いてもらった。
小野田は、とても喜んで、ステージに上がってこられた
と話をされていた。

「本当は笛が入る曲なので、ピアノだけで弾くのは、
まずいのですけど、今日は弾いちゃいます」
と言って演奏されていた。

私は、ピアノの低い音は苦手なのだけど、
穐吉さんのピアノだと、すごくスッーと聴ける。

ミスタッチをした時に、チッと舌打ちをするような、
勝気さも、荒々しさも、力強さもあるのに、
ゆったりと、本当に、あれは同じピアノなんだろうか、
と疑いたくなるほど、きれいな音色でもあり、
なんか、おちゃめでもある。
何時間聴いてても飽きそうにない。

隣の家に住んで、練習をずっと聴いてられたらいいな、
なんてことを、つい考えてしまう。

もう、お年なので、ソロライブを聴きに行けるのは、
今回が最後だろうか・・・と思いながら行ったのだけど、
終わってみたら、100歳になっても変わらず演奏してるんじゃない?
という感じがした。

また、聴きにいきたい。