2014/10/05

食べるということ

雨が降っています。
明日は台風かも?

雨に濡れないで雨の音を聴いていられるって幸せだなと、
とある方に紹介してもらった、センスオブワンダーという本を読み返しつつ、
となりで、遊び疲れたネコが、うとうとしているのを見つつ、
こういう時間っていいな、としみじみ思いつつ、
パソコンに向かっています。

星野村で、ゆっくりご飯を味わった感覚がまだ体に残っていて、
ふと、2~3日前、急に「三角食べ」というのを思い出した。

なんとなく、その食べ方があたりまえに良いと思い込んでいたことに気づいた。
味わって食べたら、別に、どういう食べ方でもいいのではないか?

小学校の頃に習った記憶によると、
ごはん→おかず→お味噌汁など、まんべんなく食べるように!というもの。
小学校の給食は、時間に追われて、しかも、
全部残さずに食べられるかという恐怖といつも戦っていて、
味わう、ということはしてなかったように思う。

気になって、三角食べを調べてみたら、
口の中でいろんな食材を味わう、もともとは和食の作法らしい。
全く知らなかった!!!

ちっとも味わってなかったな~。

大人になってから、食べる瞑想というのに参加した時に、
今までにない、おにぎりの甘さというのを感じた。
とあるお店で買った、塩がきつめで、いつもしょっぱいと思いながらも、
時間がない時は手っ取り早いので買っていたおにぎりだったので、
すごく驚いたのを覚えている。

食べる前に、じっと目の前に置かれた食べ物に想いを馳せてみましょう。
と、少し、ナビゲートしてくれる人がいた。
このおにぎりが自分の目の前に来るまでを想像する。
お米が作られるまで、のりができるまで、梅干し、
それをおにぎりにしてくれた人、
たくさんの人の手を経て、自分の目の前に食べ物がある。

「口の中でトロトロにとろけるまで噛むと、胃にも優しいです」

そんな風に味わってみると、おにぎりだけ持ってきたのを、
おかずがなくて恥ずかしいとか、
質素で寂しいと思っていた気持ちもどっかに吹っ飛んでいて、
なんとも言えない幸せな気持ちになった。

それ以降、時間がある時は、じっくり噛んで食べたいと思うようになった。
いつもそういう風にじっくり食べられたらいいなと思いながらも、
なかなか毎回じっくり味わうというのは難しいのだけど。
星野村では、普段できない「じっくり」、を、いつもより多く持てた。

何かを頂かないと、生きていくのは難しい。
自分で全部用意しなければ食べる資格がないのか?
と思ったこともあった。

自分で作った野菜であっても、実は、前人の耕した畑だったり、
種があったり、知恵があったり、残してもらっている肥えた土があったり。
何をするにも誰かの力を借りない、なんてことは、あり得ない。
しかも、今すでに、食べることをお互いに助ける仕組みが世の中にある。
ありがたいことに、いつもいつも死なない程度に、
食べるものを自分の目の前に持ってくることができる。

何をするにも、いろんな人にお世話になっているので、
お返しをしたいけど、どうしたらいいかわからない。
出来る事って言ったら、ありがとうと言うくらいか、と思ったりする。

雨に濡れず、お腹が減ったら食べ物もあって、しかも、となりにネコ。
至福の時間だな~。

などと書きながら、ネコが頭を毛布にうずめて、
気持ちよさそうにまるまっているのを見て、
ありがとう、より、つい触りたくなってしまう。
起こしてしまうのもかわいそうなので、
ってのと、起きるとドタドタ走って騒がしいので、
起きるまで、ぐっと我慢してみるだけ、にしよう。

ううう、でも、触りたい。

感謝しながら触ったらいいか!
なーんて。
あと1000年くらい生きていたら、触りたい衝動を抑えられる出来た人になれるかな?

あ、そんなこんなしてる間に。
ネコが起きて走り出した。
おかげさまで、1000年待たなくても、出来た人になれました!

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