2013/07/23

なまはげ

今日は朝から、なまはげについて調べた。
昔鬼が来て悪さをして困って、ウソをついて追い払った住民が、
自分たちのために働いてくれた鬼に悪かったなと思って、
その鬼たちに捧げた祭りが、なまはげの風習として残っているらしい。(私の解釈だと)
今でも、五社堂という所に、鬼が祭られているらしい。
五社堂に行ってみたくなってきた。

なんで、なまはげのことを朝から調べてたかと言うと。

学童クラブで、とてつもなく私に向いてない仕事が回ってきた。
向いてないというより、やる気のしない仕事。

都道府県の名物を盛り込んだスゴロクを作る、ということになり、
各都道府県1枚ずつのカードを作り、名物の写真を見つけて貼る、
しかも、その名物に関連した物件を書く、という仕事。
写真は、旅行のパンフレットや、チラシから探す。
お茶が有名ならお茶屋、東京ならスカイツリー、ももが有名ならもも園、
そんな感じ。それが都道府県全部って・・・。
無理でしょ。
そもそも、こんなの作る必要あるの?
と思ったけど。
全部カードを切って用意してくれて、あとは内容を書くのをお願い、
と言われて・・・職権乱用だ~~~と、気が遠くなったけど、
やるしかない状況になった。

何人かで作り始めて、写真がうまくみつかったのは、さっさと終わったものの、
どうにもこうにも写真がみつからないものは、なかなか終わらない。

きりたんぽは・・・何県だっけ?
ああ宮城か、でもきりたんぽの写真がない、
そもそも、きりたんぽってなんだ?
まあいいや、きりたんぽ以外の名物ってなんだ?
ああ、七夕祭なんだ。
・・・七夕の写真・・・みつからない。。。。
ふう~。
ああ、帰りたい。。。
と、昨日、そんな風になっていた。

残ってしまった都道府県カード15枚ほどを前に、
ペラペラ旅行パンフをめくっていたら、
ひとしきり校庭で遊んで汗だくになった子どもが何人か、
「何やってるの~?」と無邪気にやってきた。
説明すると、「手伝う~~~」と言う。
ああ、きたきた、手伝うって言っても飽きたら放り出すくせに。
しかも、こんな面倒なこと、つまんないのとか言ってどっかに行くだろうな。
と思ったけど、一人でやっているのもつまらなかったので、
これを探して見つけたら貼って、できたらチェックして、と説明した。

また、取り合いになってケンカするんじゃないかな、と思っていたら意外や意外、
じゃあ、私これやる、僕これやる、とケンカにもならずに分担が決まって、
なんと、仕事がはかどり始めた。

やりはじめると、飽きた子は離れていき、
また新たに集まってきて、なんと順調に進んでいた。
2年生の女の子で「こういうの得意だから」と言って来た子は、
私が面倒だな・・・と思っていたことを、さっさとし始めた。
出来たカードを全部チェックをしてくれて、
静岡も京都もお茶の写真が貼ってあって、かぶっているのを見つけてくれた。
どっちか変えた方がいいかな~?と聞いたら、
「後でね。全部出来てからでもいいんじゃない?」
残っているカードの方は、
「はい、無いなら次探す、写真があるのを貼ればいいんだからね」
なんて風に、私にも、周りの子にも伝えて、
他の子まで生き生きと、しかもテキパキと仕事をしていた。

いや~ほんとに得意なんだな~と思って、
手伝わないのに遊びに来た子と、ちょっとじゃれて遊んでいたら、
「何遊んでるの!私たちだけしかやってないじゃない!
私たちは6時で帰るんだからね、明日は手伝えないよ」と怒られる始末。
帰る時間まで計算して仕上げようとしてくれるなんて。

そうこうしているうちに、あっという間に仕上がって行って、
6時少し前には、残りが4枚になった。
4枚なら何とかなる。
「本当にありがとう、一人じゃ出来なかったよ」
とお礼を言ったら、
「まだ残ってるんだからね、もう明日には完成させられるでしょ」
・・・上司より厳しい、とは思ったけど、本当にありがたかった。
しかも、すごく楽しかった。
なんだか、やる気になってきた。
あの子が大きくなって会社を作ったら、雇ってくれないかな~。

残ったカードの都道府県は、滋賀、奈良、宮城、秋田。
そして、かぶっていた貼り直しカードの京都。
もう、ここまでくればこっちのもの。
今週中に完成させられるから、ゆっくりやればいいや、と思ったけど、
今朝、思いのほか早起きしたので、写真をネットで探してみるか、
という気になった。

最後に残った秋田に苦労して、なまはげにまつわる物件を探していて、
五社堂をみつけた。

今日学童に行ったら写真を探してきたのを自慢しよう。
ついでに、なまはげの話もしよう。
なまはげの写真も、とびきりのをみつけた。
なまはげと抱っこされて泣いている子のツーショットの写真。
たぶん、あの子には「やるのは当たり前でしょ」と言われるけど、
そう言いながら、ちょっと嬉しそうにフッと笑うんだろうな~
なんてのを想像して、楽しみになってきた。

学童で働くのは、やっぱり楽しい。

2013/07/18

年齢ってなんだろう?と思ったこと

今日は、日舞を習いに行ってきた。
多くても月に3回くらい、2~3か月行かない時もありながらも、
なんだかんだと練習を続けて7~8年経った。

「スポーツジムに行くより安くて、思いっきり汗をかけるよ」と、
元同僚に誘われるがままに、ふらっと遊びに行って、
なんとなく通い始めたのが、きっかけだった。

格式ばっていたら日本舞踊は廃れるから、と、
入会金もなにもなく、ジャージで行ってもよくて、
行くと必ず「忙しいのに、よく来ましたね!」と声をかけてくれる先生。
「踊りに完成はないし、踊れば踊るほどうまくなるから一生勉強ね」
あははは!と笑いながら話されいた。

今日も練習の合間におしゃべりをしてた。
「相撲の行司さんって、かっこいいのよ。あの着物、高いのよ~。
4人くらい行司さんが変わるから、着物も4回違うのが見られて、
着物もステキだし、時間一杯の時の姿勢は特にかっこいいの。」
なんて話を聞きながら、行司さんをじっくり見たことなかったな、
おもしろそうだな~相撲今度見てみようと思ったりして。

そして今日は来る前に1時間半体操を習ってから来られたらしかった。
体操の内容は、片足で1分半立つのを交互にする、などなどだと。
片足で立つのを練習すると、転びにくくなるらしい。
「まあ、老化で体が衰えないための体操よね」って。

そして、79歳の時に仕事を辞めたのよ、と話をされていて、
あれ?先生って何歳なんだろうと思って聞いてみた。
つい最近80歳の誕生日を迎えたって。

ってことは、ってことは。

数年前に大きな発表会があって、先生の踊りを見終わってから、
楽屋に話しに行ったら、左腕にギブスをはめてたことがあった。
「え、いつの間に?どうしたんですか?」と聞いたら、
前日に階段から落ちて左腕を骨折した、と言われてた。
着物を着て踊ってたので、まったく気がつかなかったけど、
骨折した腕を動かさないような踊りに変えて、踊っていたらしかった。
「私っておっちょこちょいよね。驚いたわ~。」と言っておられた。
いやいやいや、驚いたのはこっちです!

それ以降、何か発表する前になると注意されることは、
『前日にケガをしないように気を付けること』になったのだけど。
あの骨折事件の時は、先生は70代後半だったってことか。

ひや~80歳って元気なんですね、と思った。

その骨折事件の時に見た踊りが、すばらしくかっこよくて、
今は、その曲の踊りを習っている。

「私が80歳まで踊れたんだから、あなたも80歳までがんばって」
と言われたら、今のまま続けてたら80歳になっても踊れるような気もしてきた。
「時々休んでもいいのよ。10年も休んだらダメかもしれないけど、
2~3か月休むくらいなら全く問題ないわ」と。

なんだか、踊りを続けていくのは楽しそうだな~と思った。

2013/07/14

手紙

手紙をもらうのは嬉しい。
けど子どもの頃ほどの感動はない。
手紙が来ると即座に、いつ返事を書く時間があるかなと考えている。

余裕がないと、あああ申し訳ない・・・という気持ちになって息苦しく思う時さえある。

昔は手紙がほしくて仕方なかった。


たしか幼稚園の頃、母に来る手紙や年賀状がうらやましくて、
どうやったら手紙がもらえるの?と母に聞いたことがあった。

母は手紙を出せばもらえるかもね、と言っていた。

誰に出したらいいか分からなかったので、
誰に出したらいいの?と母に聞いた。

出したいと思った人に出したらいいよ、
あんまり会わない人がいいんかな?と言われ、
いったい誰に出せばいいんだ!と思った。
文通という言葉を知ったのもその頃。


最初は年賀状からと、出せる相手にはせっせと年賀状を書いて練習した記憶がある。
当時一緒に暮らしてたクロネコにも年賀状を出した。

まだまだ『文通』に憧れていた小6のある時、
高校生になった姉が私の最初の文通相手を見つけてくれた。
姉の友達の妹が私と同じ年らしく、話をとりつけて、住所と名前を聞いてきてくれた時は飛び上がるほど嬉しかった。

そこから憧れの文通生活が始まった。
国語辞典の最後の方に手紙の書き方が載っていると聞いて、見ながら書いたりした。
形式は書いてあったけど、心がこもっていれば何でも書いていいと説明があったので、好きなことを書いてたように思う。

中学に入って渡辺美里のファンクラブに入ってからは、
通信の文通相手募集を見て、せっせと手紙を送った。
宿題もそこそこに多いときで7人と文通していた。

しかも当時流行っていた交換日記を3人としていて、ラジオを聞いては毎週ハガキを送ったりもしていて、楽しくてしょうがなかった。
今考えると、まったく知らない人によく手紙を書けたもんだな〜と、自分で感心してしまう。

手紙を書いても返事が返ってこないと出さなくなって文通相手は減っていった。
それでも、こまめに返事をくれる人もいて、
返事をもらうとまた手紙をせっせと書いた。
高校卒業頃まで文通が続いた人もいた。

いつの間にか顔を知った人にしか手紙を出さなくなった。
しかも、手紙を出すときは心を込めて書きたいと思うと、なかなか時間がとれないと思うようになってきた。

本当は年賀状も全部手書きで書きたいけど、印刷したものを使うようになった。
それでも一言は何か書きたいと思って書きだすと楽しいけど、書き始める前は面倒だなといつも思う。

手紙を書く時間があったら寝ていたいと思うことが断然増えた。

けどやっぱり手紙を書き始めると楽しい。

時々は手紙を書きたいなと思えるくらいの余裕を持ちたいな、と思う。