2013/07/14

手紙

手紙をもらうのは嬉しい。
けど子どもの頃ほどの感動はない。
手紙が来ると即座に、いつ返事を書く時間があるかなと考えている。

余裕がないと、あああ申し訳ない・・・という気持ちになって息苦しく思う時さえある。

昔は手紙がほしくて仕方なかった。


たしか幼稚園の頃、母に来る手紙や年賀状がうらやましくて、
どうやったら手紙がもらえるの?と母に聞いたことがあった。

母は手紙を出せばもらえるかもね、と言っていた。

誰に出したらいいか分からなかったので、
誰に出したらいいの?と母に聞いた。

出したいと思った人に出したらいいよ、
あんまり会わない人がいいんかな?と言われ、
いったい誰に出せばいいんだ!と思った。
文通という言葉を知ったのもその頃。


最初は年賀状からと、出せる相手にはせっせと年賀状を書いて練習した記憶がある。
当時一緒に暮らしてたクロネコにも年賀状を出した。

まだまだ『文通』に憧れていた小6のある時、
高校生になった姉が私の最初の文通相手を見つけてくれた。
姉の友達の妹が私と同じ年らしく、話をとりつけて、住所と名前を聞いてきてくれた時は飛び上がるほど嬉しかった。

そこから憧れの文通生活が始まった。
国語辞典の最後の方に手紙の書き方が載っていると聞いて、見ながら書いたりした。
形式は書いてあったけど、心がこもっていれば何でも書いていいと説明があったので、好きなことを書いてたように思う。

中学に入って渡辺美里のファンクラブに入ってからは、
通信の文通相手募集を見て、せっせと手紙を送った。
宿題もそこそこに多いときで7人と文通していた。

しかも当時流行っていた交換日記を3人としていて、ラジオを聞いては毎週ハガキを送ったりもしていて、楽しくてしょうがなかった。
今考えると、まったく知らない人によく手紙を書けたもんだな〜と、自分で感心してしまう。

手紙を書いても返事が返ってこないと出さなくなって文通相手は減っていった。
それでも、こまめに返事をくれる人もいて、
返事をもらうとまた手紙をせっせと書いた。
高校卒業頃まで文通が続いた人もいた。

いつの間にか顔を知った人にしか手紙を出さなくなった。
しかも、手紙を出すときは心を込めて書きたいと思うと、なかなか時間がとれないと思うようになってきた。

本当は年賀状も全部手書きで書きたいけど、印刷したものを使うようになった。
それでも一言は何か書きたいと思って書きだすと楽しいけど、書き始める前は面倒だなといつも思う。

手紙を書く時間があったら寝ていたいと思うことが断然増えた。

けどやっぱり手紙を書き始めると楽しい。

時々は手紙を書きたいなと思えるくらいの余裕を持ちたいな、と思う。

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