2015/12/18

難しい質問

「これから先、何かしたいことはある?人生設計とか考えてる?」
と久しぶりに会った友人から聞かれて、答えが出てこなかった。
答えるのがいや、とかでなく、なんだろうと考えてしまった。

これからしたいことは特にない。
でも、なんだか気になる質問で、ここ1か月、ふとした時になんだろう?と、
その質問が頭に浮かんできた。

これからしたいこと、というか、何かしてみようかと思うときは、
今まではいつも、何かきっかけがあって、芋づる式に沸いてきた。

たとえば。
今、隣でねこが寝てる。しかも、ぐっすり。
で、ちょっとなでてみたりして、ゴロゴロ言ったりして。
ずっと、ねこをなでて暮らせたら嬉しいなとは思う。

そうすると、ネコと暮らすためには、カリカリとネコ砂なんかがいるから、
お金が必要なので、何とかしてお金を手に入れないといけない。
自分で何か事業を起こせるわけでもないので、
どこかに所属して働くことになる。

すると職場に行って、いろいろなことが起こる。
できるだけ、快適に仕事をしたいと思う。

とてもストレスのある職場だったり、思いっきり打ち込めない仕事だと、
ちょっとでも働きやすくなるように、手あたり次第思いつくことをする。
働かないわけにはいかないので、いざとなれば転職もいたしかたない。

ネコと快適に暮らしたいと思うだけで、なんだか、結果として、
とてもたくさんのことをする羽目になっている。

てな風に。

これからしたいことって、今したいことから、
あれよあれよと、決まっていくような気がする。

でも、時々、今したいことが、お金に振り回されているように感じる時もあって迷走するときがある。
寒いときは、こたつに入りたい。
暑いときは、ちょっとでも涼しく過ごしたい。
雨が降ったら、雨のあたらないところで眠りたい。
おなかが減ったら、食べ物を手に入れたい。
ネコにふわふわの毛布を買ってあげたい。
たまには、ライブにも行きたい。
旅行に行くなら、ついでに田舎に帰って、母親に顔を見せないと…。

わけのわからない何かに、縛られている感覚に陥ることもある。

そんな時にネコを見ると、あれ?と思う。
ふわふわの毛布があれば、ふわ~っと、気持ちよさそうにその上で寝るけど、
それがなければないで、それなりに、どこででも気持ちよさそうに寝てる。
あってもなくてもいいよ、と言われているような気もする。
できるならしたらいいし、きでなかったらしなくていいんじゃない?
ってな風に。

絶対これがないと生きていけないもの、が、
私よりもかなり少ないんだな、と思ったりもする。
最低限、食べて、雨風がしのげて寝る場所があって、
ネコをなでたり、ねずみのおもちゃで遊んだりできたらいいか、
という感じに思えてくる。
忙しく、がむしゃらにお金を稼ごうとしなくてもよいのか、と。

あ、また、なんだか、何を考えていたのかわからなくなってきた。

う~ん。
これからしたいことを一生懸命考えなくてもいいのかな。
今、本当にしたいことだけに気を向けていたら、
次に何をしたいかが湧いて出てくるのかもしれないな。

こういう答えにくいことを考えてみるのもおもしろいもんだな、と思った。

2015/12/16

ぼーっとすればいい

なんとなく、今年は節目の年のような気がする。

何もする気がおきない時は、とことんぼーっとすればいい。
ってのは、20代の頃には気づいてなかったこと。

これに気づけた30代の自分、えらかったな。

2015/12/12

書き出し

私の人生いろいろありまして…

という書き出しがあったら、どんな文字を繋げたくなるだろう?と、
ふっと思った。

それが、例えば、

私の人生、不幸の連続で…

という書き出しだったら。
それに合わせて文章を続けることもできるかもしれない。

私の人生、ホントに楽しいことばかりで…

とかにも。

でも、書き出しを断定すると途端に、なんだかウソくさい。

誰でも、不幸せなことばかりのはずも、幸せばかりのはずもなく、いろいろあるだろうよ?と思う。

語り始めの書き出しが何か。

それによって、書こうと思いつく内容も、出てくる登場人物も、湧いてくる感情も、全く違うものになるだろう。

書き出しがいつも同じだと、同じことばかりを、いつも話してしまうのかもしれない。

私は、今日こんなおもしろいことがあってさ~…
という書き出しで話をするのが好き。
だけど、最近は疲れて帰って、今日は最悪なことがあってさ~…
と、玄関のドアを開ける時に、頭が準備していることが多い。

でも、玄関のドアを開けて、寝ぼけたネコが、ほゃ~と出てくると、話そうと用意してた書き出しのことは、忘れてしまう。

私がどんな感じで帰ってきても、いつも変わらないネコの姿に、ホッとする。

2015/12/06

動く、止まる、くっつく

だいぶ寒くなってきた。

寒い時は、こたつに入って、ネコがひざ乗ってくると温かくていい、
のだけど。
ちょっとふくよかになってきた、うちのネコ(ななせ)が、
5分もひざに乗っていると、足がしびれてくる。
しかも、熟睡すると更に重い。
降ろしても降ろしても乗ってくる。

まとめると、かわいいです。
かわいいついでに、かわいい姿をぜひ。
そんなななせですが、岩合さんの世界ネコ歩きをみていたら、
テレビに映ったネコにくぎ付けで、熱心に見ていました。


遠巻きに、ひざに乗っているななせを、いつも見ている姫も、
最近は、少しずつひざに乗ってくるようになってきました。
そして、同時にひざに乗ってくると、更に、お、重い。

2015/12/05

いじわる、と、イタズラ

ねこは、イタズラはするけど、いじわるはしない。

ねこのイタズラは、かわいいなと思う。
人間のいじわるには、悪意を感じる。

まあ、どっちも、こちらの受け取り方なんだろうけど。

同じ職場に、この人いじわるだなと、ちょくちょく思う人が数人いる。
最初は、みんなわざと、いじわるをしてくるんじゃないか、と思った。
けど、どうも、そうでもなさそうだった。
みんな極悪人、かと言えば、そうでもない。
ほんとに、ちょっとした時に、ああ、いじわるだな、と感じる。

これが、なぜか、ものすごくストレスだった。

された分のいじわるを、仕返したくなる。
周りにそういう人が多いと、本当はしたくもないのに、
いつ仕返ししてやろうか、いつ言い負かしてやろうか、
と気がつくと頭を巡っていたりする。
どうして、そんないじわるなことを言うんだろうと、
考えても答えの出ないようなことを、延々と考えてしまっている時もある。

だんだん、そういうのが面倒くさくなってきた。

たとえばネコに、何かちょっといじわるをしても、
いじわるを仕返してくることはない。
嫌だと思えば、その場で引っかいて逃げたり、距離を置いたりする。
そういうことが続けば、たぶん、近くに寄ってこなくなるだろう。

そうだよね、それでいいんだよね。

2か月近く、ぐずぐずしていた風邪が、ようやく治ってきた。

2015/10/21

ねこ三昧

姫、暴れん坊の一休み
珍しく起きてしゃっきりしている、ななせ
ゆっくりお休みください。


2015/10/14

「上田孝子さんのお話を聞く会~2015秋~」のお知らせ。

上田孝子さんのお話は、つい聞きいって惹きこまれます。
とても魅力的な、イベントのお知らせです。

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上田孝子さんのお話を聞く会~2015秋~


○日時:2015年11月15日(日)14:00~16:00 受付13:45~
○場所:東京大学医学部3号館 1階S102
○地図:http://bit.ly/hVR5pV 本郷三丁目駅(丸ノ内線、大江戸線)より徒歩10-15分
○問い合わせ:wrap.kids1@gmail.com (尾川)
○参加費:お志(目安1000円)旅費支援として


☆上田孝子プロフィール
米バーモント州在住。バーモント州では同性婚制度があり、「結婚は男女間に限る」と定めた米国全体のルールを定める法律により、一時「配偶者」の在留資格が認められず退去強制の危険にさらされた。様々な働きかけの後「結婚は男女間に限る」法律の方が憲法違反という判決により、グリーンカードを取得することができた。紆余曲折の生活の中、デザインの勉強もされている。


☆キッズラップホームページ http://www.kidswrap.org/Home.html(デザイン上田孝子)
※こちらのホームページは、2016年に入った頃に終了しております。

☆WRAP(ラップ)について
ラップは、『いい感じ』の自分はどんなふうな自分かを思い浮かべ、そんなふうな感じでいられるためにできることを、状況に合わせて書き出した行動プランを作るためのガイドです。日々の忙しさに追われて、あるいは感情の波にのまれ、または、周りからの要求や期待に押されて、自分の主体性を見失いがちなとき、ラップは主体的に生きる自由を手にする道具になるでしょう。(原案:メアリー・エレン・コープランドWellness Recovery Action Plan)
 この過程は一人でも出来ますが、ラップを題材にしたグループに参加することで、一人では気づき得なかった学びが生まれます。ラップのグループでは、誰かが誰かに何かを教えることはせず、一人ひとりが自分の経験を自分の言葉で語ることで、お互いの経験から学びが生まれるような交流を大切にしています。(オフィス道具箱HPより)


主催:オフィス道具箱(久野恵理)
共催:キッズラップ実行委員会(尾川優子)
協力:東京大学精神看護学分野(宮本有紀)


どなたでもご参加いただけます。
みなさま、どうぞお気軽にお越しください!
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2015/09/28

共鳴するとき

私は人と一緒にいるのが苦手な時がある。

なぜなら言葉を選んで会話をするのが疲れる時があるから。

だけど人といて楽しい時もある。


私は楽器を鳴らすのが苦手な時がある。

間違わないようにしなければと緊張する時があるから。

だけど、すごく心地よくピアノを弾いてる時もある。


私は伝統にうんざりする時がある。

したくないことなのに、昔からのしきたりだからと、やらされることがあるから。

だけど、お祭りの鐘や太鼓や笛の音を聞くとワクワクする。


今日はとある楽しいことをした。
あの楽しさはなんだったんだろう。

真っ暗なお蔵の中で輪になって、一人が太鼓をたたきはじめ、他の人が床をたたいたりして、合わせるでも合わせないでもなく音を出していく。

お祭りのお囃子が佳境に入った時のような、血が湧いてくるような感じがした。


ふと思った。
いろんな苦手なものから「それはしたくない」を削ぎおとして、全部混ぜてみたら、あんな感じになるのかな?

共鳴したって感じというか。

誰かと一緒に何かをするって楽しいなと思った。

どんなことでも、誰かがいて共鳴した時には、一人じゃ味わえないエネルギーを味わえるものなのかもしれない。 

2015/09/15

夜中の静けさ

夜、いつの間にか寝ていて、目が覚めたら午前2時だった。
シャワーを浴びて、一息ついたら、ネコが走り始めた。

窓からは、すっかり涼しくなった風が入ってくる。
夜中の、「シーン」と聞こえてきそうな静かな感じが、とてもすき。
自然が少ない場所だけど、どこかからか虫の声も聞こえてくる。

夜中にパッと目が覚めるのは、とても気持ちがいいなと思う。
ずっと、こういう時間を味わっていたい。
寝転んで、寝てるのか寝てないのか、わからないくらいの、
ゆらゆらとした時間も、とてもすき。
そうしているうちに、ぼんやり明るくなってくる感じも、とても気持ちがいい。

いつの間にか寝てしまうと、あっという間に明るくなっていて、
たくさんの音が入り混じっていて、
急に慌ただしい感じになってしまう。
それが残念に思う時もあって、
眠くなってしまうのが、もったいないような気もするけど、
寝たら寝たで、すっきりもするので、それもまあ、いいか。

そうこうしているうちに、もう眠くなってきた。
頭が痛くなって、座っていられなくなって、で、横になって、
ゴロゴロとしているうちに、たぶん、次に気がついたら朝だろう。

もし、短時間しか眠らなくても大丈夫な身体になったら、
本を読んだり、片付けをしたり、編み物をしたり、
もっとたくさんブログを書いたり、
時間があったらしたいいろんなことを、してみたいな、と思う。


2015/08/26

3日間ワークショップ、内容まとめと感想

※下記の追加を入れて、東京IPS勉強会ブログにも、同じ内容をアップしました。

インテンショナルピアサポート(IPS)とオープンダイアログが出会う場所
3日間ワークショップの内容を、忘れないうちにまとめてみます。


【1日目】
・クロークに荷物(肩書や役割)を預ける瞑想からスタート (→内容追加しました。)
・シンギングボールの音を聞きながら瞑想
・4~5人のグループで、どんな感じがしているか話す
・「今回どうして参加しようと思いましたか?」など、全体で話す。
・呼吸に意識を向ける時間、と、太極拳

・IPSのこと、オープンダイアログのこと、企画者の見聞きしたことや想いを話す
・その流れで、全体で話をする
・手の感覚を感じるワーク、と、太極拳

【2日目】
・呼吸に意識をむける
・シンギングボールの音を聴く
・4人組みで対話、一人ずつ一番話したいことを決めて話し、他の人は言葉を発さずに聴いてみる
・マインドフルネス

・石を手にとって持ちながらマインドフルネス、どんな感覚?
・一人の話をみんなで聴く、心が揺さぶられるような話を聴いたときの感じを味わう、その時に何か会話をするとしたら?
・3人組になり、話す人、聴く人、2人を見守る人になり、開かれた会話をしてみる
→役割を交代してどのパートの感じも味わってみる
・マインドフルネス
・太極拳

○17:00~19:00スペシャル企画の勉強会
・資料の文章を読んで、思ったことをみんなで話す
とても辛い状況を経験している時に一緒に過ごしたことや、
それぞれの立場や状況での想いなど、
ポツンポツンと話が広がっていく感じが印象的でした。

【3日目】
・マインドフルネス
・腰痛体操、と、太極拳
・3人での対話を、みんなで聴いてみる
・全体で話、「みんなで揺れてもいいんじゃないか」という言葉が印象的

・10人前後のグループで対話する、
 3日間で心に響いたこと、印象に残っていること、話をしたいことなど
・全体で感想など
・しめの太極拳


今回は会場にゴザをひいて、イグサの香りが漂う3日間でした。
35名と大勢でしたが、ゴザに座ると人が多いという感じはなく、
とてもゆったりした雰囲気だったと思います。

「ただ、それだけのこと」という文字が、いくつか壁に貼ってあって、
ことあるごとに目に飛び込んでくるのですが、
同じ言葉なのに、見るたびに印象が違ってくるのがおもしろかったです。

太極拳や、身体のバランスを動きながら自分で整えるという時間が、頻繁にありました。
腰が痛くなってきた頃に腰痛体操もあって、ありがたかったです。
何を伝えたらよいか?と頭で考えそうになった時、
身体を動かしたり、呼吸に意識を向けたりすると、
頭にこびりついた何かが、スーっと下に降りるような?

頭ががんじがらめになると、自然と身体も固まってしまうんだな、
ということも、実感した3日間でした。

2015/08/25

IPSとオープンダイアローグの出会う場所、3日間ワークショップ

インテンショナルピアサポート(IPS)とオープンダイアログが出会う場所

今回の3日間は、今までと違う3日間だった。
いつも当たり前にいるはずの人がいない。
それがいつもと、大きく違っていた。

でも、「ただ、それだけのこと」


人の話を聞いて、どうこうしようとするでもなく、
ただそこに、一緒に居る。

話を聞いて、みんなで揺れたっていいんじゃない?

ただそれだけのことじゃない、けど、「ただ、それだけのこと」

ただ、そこに一緒にいて、ぽつぽつと出てくる言葉。

みんなでゆったり、海に浮かびながら模索しているような時間だった。

2015/07/20

「火花」を読みました。

昨日、又吉直樹さんの「火花」を読み終えた。

お笑い番組が好きで、以前に、又吉さんの作った鬼のコントを見て、
なんて優しさがにじみ出た話なんだろう、と
笑うのも忘れたのが印象に残って、
時々、又吉さんが出ている番組を見ていた。

本が出たと知って、興味本位で1か月前くらいに買ったものの、
読んでも読んでも数ページしか進まず、
眠くなってしまって、30ページくらいで力尽きてしまっていた。

もともと、最後まで読み切れた本の方が少ない。

芥川賞をとったと聞いて、文学はわからないからな…と、
残念だけど、読むのは断念か、とも思ったけど、
いや、どんなものなのか、絶対に読んでやるぞ!と思ったり、
複雑な気持ちで受賞後のインタビューを聞いていたら、

「とっても嬉しいです」
「たくさんの人が読んでくれて増刷になったのも嬉しい」
「恥をかいたとしても、次も出します」

なんと素直な。。。

次作も読むためには、1作目も読んでおきたいと
意を決して、再度読み始めた。

意外なことに、半分読んだ辺りから、目が離せなくなっていて、
昨日、ついに、読み終えた。

直後の感想は、

ああ、面倒なことを言う自分だとしても、そのまま思ったことを言ってみてもいいんだ、

と思った。

強さや優しさや誠実さって、にじみ出るもんなんですね。

頭の片隅に置いておきたいこと

先月、マクロビ、というのをしている?方に会う機会がありました。
その方に、教えていただいたサイトです。


世にも美しいガンの治し方


おせっかいかもしれませんが。
たくさんの人が、このサイトを目にする機会があるといいなと思いました。
こういう考えもあるのか、と驚いたので。

風の谷のナウシカの、フカイと、フカイの下の空洞の世界を思い起こしました。
人の身体はしたたか。

WRAPで聞いた、
「自分の身体のことは自分が一番よく知っている」
それは、どんな時もなんだなと思いました。

2015/07/06

グチを言うこと

「グチ」が大っきらいな時期があった。
その頃は、もちろん、グチを聞くのも嫌で、
グチを言うくらいだったら、直接その人に言ってケンカしてこいよ、
と思っていた。
実際に、私はいつも直接ケンカしてきた。

以前は、嫌いな人に「あなたのことが嫌いです」と言うことが、
一番いい選択だと思っていた。
嫌いなのに、仲のよさそうなふりなんて、考えられなかった。

それが、ある時、あれ?と思った。
グチを言う人の話を聞いていたら、今の現状から逃げようとしていない。
あれが嫌だ、これが嫌だと言いながら、
自分の意見だけガンとぶつけるわけでもなく、
何とか、その状況の中でやっていく方法を見つけようとしている。
もしかして?と思った。

話をしていうるちに、こういう風に思っているとしたら、
こういう行動をとるのも当然かもしれない、
という話が出てきて、そうすると、
あいつだけは許せん~と思っていたのが、ふっと消えていたり。
嫌いなはずの相手のことを、一つ一つ検証している感じになって。

グチが、そういう話につながるというのは、驚いた。

腹の立つことをされた、嫌い、とか思う時って、
どうしてそういうことをするのか、そういうことを言うのか、
全くわからないことが多いように思う。
自分とは違う考え、自分とは違う行動、
理解できない言動で困惑しているだけ、なのかもしれない。

そんなことを考えていたら、
なんか、自分がおとなになった気がした。

2015/06/28

1年になります。

ネコの姫と、ななせがうちに来て、明日でちょうど1年になります。
記念に、プロフィールを考えてみました。

【姫】
毛色:毛は短め、シロクロの八割れ

性格:やんちゃなびびり

好きな人間:おもちゃのネズミをくわえて持っていったら、すぐに遊んでくれる人

苦手なこと:インターホンの音

これだけはやめられない:ななせに狙いを定めてダッシュして、ちょっかいを出すこと

最近はまっていること:壁紙を少しずつはがすこと、と、ティッシュを1枚だけ引っ張り出してびりびりに裂くこと


【ななせ】
毛色:毛は少し長め、キャッツに出てくるようなきれいなトラ柄

性格:優しいびびり

好きな人間:ちょうどいい柔らかさのご飯を出してくれる人

苦手なこと:のんびりしている時に、急に姫にちょっかいを出されること

これだけはやめられない:飯、飯、飯~

最近はまっていること:ソファーの端っこ、今にも落ちそうなギリギリで昼寝すること


血のつながりはない、タイプの違う2人にしては、
気がつくと一緒に寝てたり、仲がよいんだよな~。
おもしろいヤツらです。

2015/06/11

生命力?

なんだかわからないけど、自分の生命力が弱まってるな、と思う時がある。
明確な理由がわかる時もあれば、それほど思い当たらない時もある。

特に何があったわけでなくても、1か月に何回も風邪をひいたり、
いつも腰やら肩やら、どこかが痛かったりする時もある。
寝ても寝ても眠かったり、「おいしい」と感じにくくなっていたりする時もある。

でも、そういう時があっても、
何ヶ月か経って、ふっと気がつくと、
とても爽やかな感じで、のんびり座っていたりする。
身体も軽い感じがして、今までのあれはなんだったんだろう?
あれ?、もしかして生命力が弱まってたのかな、と急に思ったりする。
不思議なもんですね。

妙な話ですが。

自分のブログを読み返すと、すごい生命力があるな、と思う。
しなっ~となっている時に読むと、本当にこれは私が書いたのだろうか?
と驚くこともある。
とっても丁寧に生きている感じまでしてくる。
過去の自分と今の自分が同じとは、全く思えない。

そして、書いたときに感じたことは、
完全にと言っていいほど、見事に忘れてしまっていて、
読むと思いだすこともできる。

文字に残すっていうのは、おもしろいな~と思う。

2015/06/03

出会いは、まぼろし

人との出会いって、実は、まぼろしかもしれない。

同じ人に何度も会っているように思っても、
まったく何も変わらない人なんていない。
自分も人も、刻一刻と、何もかもが変化している。

「同じ人にまた会えた」と思うことの方が、
幻想なのかもしれない。

どの瞬間も、最初で最後の時間なのかもしれない。
一瞬一瞬を大切にできたらいいな、と思う。

2015/05/18

人の評価はあてにならない、と思ったこと

5月から、また学童で働き始めた。
何を言われても好き勝手なことをする子どもを見るのは、とても楽しいけど、
息苦しい時もある。

「宿題は自分でやらないと意味がないでしょ」
「砂場で裸足で遊ぶなんて危ないでしょ」
などと、当たり前のように言う大人がいる。

それを言われる子どもたちは、どう思っているんだろう?


私は、小学校の頃、あらゆる宿題を家族に手伝ってもらっていた。
漢字を書いたり、計算をしたり、日記を書いたりというのは、まあまあ好きだったけど、
読書感想文、工作関係は、本当に苦手だった。
宿題をしてないと学校に行けなくなってしまう性格を、母がわかってくれていたのもあり、
末っ子だったからか、みんな割と楽しそうに手伝ってくれた。

3日に1回、読書感想文を出さなければならなかった時は、
毎回母に感想文の下書きを描いてもらっていた。
母は、本を読むのが好きで、私が借りてくる本を喜んで読んでいた。

母とのルールがいくつかあった。
自分でも読めそうな本を見つけて借りてきて早めに母へ渡すこと、
はじめにと終わりにだけは自分で読むこと、
母が書いた下書きを読んで、意味のわからない所があれば省くこと、
夏休みの読書感想文の時だけは自分で全部読んで書くこと、など。

自由研究で本棚を作ることになった時は、設計図だけ書いた所で力尽き、
木工は苦手な母が、日曜大工の好きな父に協力を依頼してくれた。
父は、私が書いた設計図を見て、「これはすごい!」と言い、
これがあれば、その通りに作れると言い、
さっさと材料を集め、作り始めたらおもしろくなったのか、
見ている間に、どんどん本棚になっていって、
カンナまでかけて、とても小学生が作ったとは思えない、
すばらしい仕上がりにしてくれた。

母が、何も作ってないのは、やってないってばれるかもねぇと言い、
側面に彫刻刀で、何か絵を彫ったらどうだろうという話になって、
ネコの絵を彫ると決めて、彫った。
作ったものは、担任の先生が、出来栄えを金か銀か決める。
銀だったら、父ががっかりするな、とドキドキしていたら、
父が作った本棚は、「金」と判定がついた。

毎年夏には、アイデア貯金箱を作って出す宿題があって、
一度、姉が以前に作ったものを持って行ったこともあった。
作り方を聞かれたら困るので、姉に作り方の聞きとりだけした。

その時も、学校では、すばらしい出来栄え、と褒められた。
褒められながら、姉は手先が器用だからね、と思っていた。

そんなこんなで、宿題をクリアしていった。

すると、だんだん、自分でできることも増えてきて、
それほど手伝ってもらわなくてもできることも、少しずつ増えてきた。

ある時、もう、宿題は自分で全部しようと思ったことがあって、
自由研究で、自分の着られなくなった洋服を再利用して、
ぬいぐるみの服を作った。
自分ではアイデアも自分で考えて、すばらしいと思ったし、
何と言っても、誰にも手伝ってもらうことなく、一人で仕上げた。
これは絶対「金」がもらえるだろうと思っていたら、
なんと評価が「銀」だった。

ああ、人の評価なんて、いい加減なもんだな、と思った。
評価なんて、結局、ほんの一部しか見ないで、適当につけている。
私にとっては、小学校の自由研究で一番の力作は、ぬいぐるみの洋服なんだ。

自分で作ってはないけど、本棚の時も、読書感想文の時も、
その時の、父や母との会話も、楽しかった。
得体のしれない学校、という怪物に、みんなで一緒に立ち向かっている感じだった。


砂場を裸足で遊ぶな、と言われた子に、
私の小学校は、体育で校庭に出るときは、1年中いつでも裸足だったよ、
靴を履いて走りたいと、その時は思ってたけど、
そういえば、6年間で足を切って困ったことはなかったよ、
と言いたい。

大人が大きい声で言うことも、結局一つの見方でしかない、
と、思ってもらえたらいいな~と、心から思う。

2015/04/20

伝える、ということ

朝早くからネコに、朝ごはんはまだか~と、激しく起こされた。
ごはんをペロッと食べたネコたちは、横でグーグー寝てる。
ですよね。

私の方は、起きてみたら眠くなくなった。これはいつも不思議。
そして、ネコのごはんの缶詰の香りをかぐと、お腹が減る。
猫缶をたくさん買い置きして、緊急の時は分けてもらい、たくさん食べてやろう。

しかしまあ、昨日は充実した日だった。

~ココロの野遊び~というトークセッションに行ってみた。
案内文に惹かれて、ふらっと申込みをしたんだけど、やっぱりおもしろかった。

話題の一つ一つを本で読んだら、間違いなく私は熱を出すだろうな~
という話を、次から次からサラサラと話す2人は、見てて心地良かった。
「知ってしまったからやりたくなってやった」
とてもシンプルな話だった。
言葉はとても多かったのに、のどがカラッカラの時に井戸水を飲んだような
体にす~っと染み込むような感覚があった。

ちょっと思い出したことがあった。
小学校の卒業式で聞いた、父母から卒業生へ送る歌、私の子どもたちへ
思いがけない聞いたことのなかった歌だったけど、
1回しか聞いたことないのに、時々強烈によみがえってくる歌を、また思い出した。

この歌の続きで、じゃあ、実際に何をしたらいいのんだろう?
と、思うことがあって。
てのに「はいはい、知ってしまったことを一つ一つしてみてるだけです」てな感じというか。

そうそう。
もともと、WRAPもそう、IPSもそう。
知ってしまったことを発信するというのは、とても大切なことだったんだ。
誰でも、これをしてみようかな、と思ったらやってみることができる。
はずなのに、できないと思わされることが多すぎる。

というノリのまま、昔馴染みのようなIPSスカイプに、参加したら、
過去の爆発するような怒りを思い出した。

かつて精神科の病院で働いていたが、そこの先代の院長は、
パチンコ屋をするか、精神病院を作るか、どちらが儲かるだろう、
と考えて、精神科の病院を作った、という事実。
経営を安定させるために、ベットを満床にするには、と、
ホームレスの人々を「病気」と名付けて、次々に入院させていたこと。
私が働き始めたのは、病院が出来てすでに40年以上になっていた。
かなり前に連れてこられたまま、出られなくなっている人が、
「私は本当は病気じゃないんです。仕事がなかっただけ」と言っていたこと。
でも、どうすることもできなくて、すべてを諦めて生活していたこと。
そういう人がたくさん入院して経営の要になっていた事実。
医療費削減になったら、長期の入院患者が居ては経営が成り立たなくなって、
私が入った頃は、退院を一人一人に説得する仕事があったこと。

はあ?もういい加減にして、という話ばかりだった。

全部燃えてしまえばいいのに、と思いながら退職したけど、
WRAPを知る人が増えたら、自然に病院は潰れるんじゃないか、と思った。
誰かに自分の行動を一生制限されるような、
そんな生活しかないわけがない。
ここを出たら、ここを利用しなければ地獄の生活が待っていますよ、
なんて、そんなのは、罪のない人に、罪の告白を強要するのと同じじゃないか。

浅草に行ったついでに、兄の家に遊びに行った。
4月から働き始めた姪っ子が、紅茶をいれてくれたのが、おいしかった。
昔は抱っこしただけで泣いたのに。
いつのまにか、一緒にいるとホッとする、とても話のしやすい人になってた。
年をとるってのは、若い人と会う楽しみが増えるもんなんだな。きっと。

昨日は濃い1日だったな

まだ、となりでネコが寝てる。
ネコがのんびりできるような暮しが続くといいなと思うので、
知ってしまったことは、少しずつでも発信していきたいなと思った。

2015/04/16

自分が本当にしたいこと

自分が本当にしたいことを、じっくり自分に問い直すのは、
人のためでもあると思う。

今、自分がしていること、仕事やら何かは、
すごくしたいか、ちょっとしてみたいか、程度の差はあるにしても、
自分がしてもいいかな、と思って選んだことだと思う。

たとえば、あ、違うな、と思っても続けるとすると、
本当にこれが、自分のしたいことなのか、という感覚がにぶる気がする。
もし、働いている人10人が、みんな、あ、違うなと思いながら働いたとしたら。
100人がそうだったら。
10000人がそうだったら。

以前に、怖い実験の話を聞いた。
うる覚えだが、こんなような話。

まったく関係のない人2人がいる。
一人は電気椅子に座る係。
一人はモニターで電気椅子に座った人を見ながら、電気を入れる係。
ただ、指示された通りに2人は役割を演じる。
必ず言われた通りの役割をしなければならない、という設定。

電気を入れる係の人は、スイッチを定期的に入れなければならない。
最初は、座った人が痛がるので、躊躇しながら恐る恐る押す。
でも、数日経つと、だんだん慣れて、
モニターで痛がっている人を見ても、ためらいなく押すようになる。
1週間もすると、スイッチを押すのを楽しんでいるかのように見える。
電気椅子に座っている人が危ないということで、1週間で実験は中止になった。

実験の後で、インタビューをしていた。
スイッチを入れる役の人は、最初は怖かったけど、
だんだん楽しくなって、ためらいもなくなった、と話していた。
椅子に座った人は、もう頼まれてもしたくない、と言っていた。

これは実験で「もうやめましょう」という人が何人かいた。

もし、実験に参加している人が1000人ずついて、
やめましょう、と言う人が一人だったら、
実験を中止にできたのかな、と思うと、ぞっとした。

でも現実には、どこの国でも、過去にも、
今も、同じようなことが起こっている。
きっと、起こっている最中には、スイッチを押していた人みたいに、
気がつきにくいんだと思う。
でも、誰かがどこかの時点で、あれ?と思って、
大勢の人が、あれ?と思うようになると、変わるのかもしれない。


ちょっとおかしいな、という感覚は、とても大切だと思う。

「ちょっとおかしいと思うんです」と言える環境ができるかどうかは、
言う人に勇気がある、ということでもなく、
集まっている人みんなが「自分が本当にしたいこと」を、じっくり考えたり、
それを話できたり、行動できたりする時なのかも、と思う。

叔母は「病気」だと名づけられ40年入院し、老人ホームで亡くなった。
もし、「自分が本当にしたいこと」を、じっくり考える人たちの中にいたら、
一生病気だった、と言われることはなかったかもしれないし、
本当に自分のしたいことを、じっくり考えられたかもしれない。

「ちょっとおかしい」という感覚を磨くのと、
おもしろいな、と感じて思わず戯れてみる」という感じ、
通じるものがあるように思う。

2015/04/15

ぎゃーてーぎゃーてー

4月に~IPS~IPS矢花~矢が花に変わる~の3日間に参加しました。
今回は、とってもうまく、こんな感じだったと説明できそうな気が。

まず、話がそれます。


仏教系の学校の寮に、1年間暮らしていたことがあった。
その時に、月・水・金の朝8時~勤行(ごんぎょう)の時間てのがあって、
仏壇の前で、般若心経をみんなで唱えることになっていた。
寮監が木魚を叩くのだけど、後に用事がある時は早め、
出かけない時は、ゆっくりになったりと、速度も臨機応変。

般若心経も、最初は本を見ながらなので、早い時はめくるのが大変。
でもま、だいたいみんな覚えてくると、最後の方に
「ぎゃーてーぎゃーてー」というのが出てきて、
ぎゃーてーっておもしろいよね、と話題になってきた。

今日、授業行く?
「ぎゃーてー!」
てな風に、普段からぎゃーてーと戯れるようになってきた。
みんな、何も見なくてもスラスラ言えるようになって、
ぎゃーてーの辺りになると、ニヤッとする人が増えて、
しかも、スピードが恐ろしく速い日は、最高に楽しくて、
木魚を叩く寮監の後ろで、ガッツポーズをする人とか。
笑わないように気をつけるのが大変な時もあったり、
みんなノリノリで、ぎゃーてーぎゃーてー、と唱えてたり。

こんな風に、おもしろいな、と思ったら一緒に戯れてみてもいいんじゃないですか?

てなことを、
もしかすると、きちんとしなければと考える人がいたら、
言いにくかったり、もしかすると怒られたりすることもあるかもしれない。

でも幸い、寮の勤行では怒られることもなく、諭されることもなく、
暗記の苦手だった私も、知らない間に、全部覚えていて、
私の中で、般若心経は、とても楽しかった思い出になっている。
今でも般若心経を聞くと、懐かしいな~てのと、ワクワクした感じがよみがえる。

研修で学ぶということも、こんな感じでできるんじゃないかと。

つらくて苦しい方が身になる研修、って前は思ってたけど、
なんで、そんな風に思うようになってたんだろうと、
今となっては不思議に思う。

仕事も、我慢して嫌なこと、をわざわざ選ばなくてもいいんだよな~なんて思ったり。


という話が、一番、今回の3日間を表現できそうな気がしたのですが。
あれ?何を言いたかったんだっけ?私。

う~ん。
今回も、3日間楽しかったです。
また、思いついたら、どんなだったか書くことにします。

2015/02/01

あ、なんかできそう、と思えること

今日2月1日は、両親の結婚記念日だった。
生前、父が新婚旅行の思い出を話していたことを思い出した。
いつも出てくる話は、2つ。

夫婦ぜんざいを2つ注文したら、大きい器と小さい器2人分が、2セット出てきた。
父も母も甘いものは大好きだったので、
大きい方と小さい方をどちらが食べるかケンカにならず、ちょうど良かった。

そして、電車で帰ってきて、2人とも疲れて眠りこけてしまい、起きたら車内が真っ暗。
寝たまま2人で、電車ごと車庫に片付けられてしまっていたらしく、
慌てて荷物を持って脱出した。

本当なのか、冗談なのか、わからないけど
あ、なんか、大人になっても、別にしっかりしてなくてもいいんだ、と思った記憶がある。

あれ?
おおお。ずれたずれた。

冒頭から、今日書こうと思ったこと違う話を書き始めてた。
今日は何日だっけ?って考えた瞬間に、頭がとんでた。

頭を戻してみて、えっと。

実家を出てから、いつかはネコと一緒に暮らしたい、とずっと思っていた。
でも、東京で暮らしはじめて、家賃の高さ、その割の狭さに驚いて、
ねこと一緒に暮らせるなんて大金持ちだけ、夢のまた夢だな、と思っていた。

ところが去年の春。

ほぼ日刊イトイ新聞を何気なく見ていて、
ミグノンの人との対談を偶然見て、
ホームページをあれこれ見ているうちに、
「あれ、都会でネコを飼うのも、そんな難しくないのかも?」
と、ふと思った。
これとこれとこれがあれば、ネコ譲ります、という内容だった。

まあ、もともと夢のまた夢だったから、
いろいろやってみて出来なければ、その時点で諦めたらいい。
てな軽い気持ちで、条件を整えていったら、
気がついたらネコが来て、もう半年経った。

これとこれをしなさい、と強制されたわけでもなく、
一つ一つ練習して、クリアしないと結果は得られない、と言われたわけでもなく、
いかにそれが大変か、というのを、くどくど言われもしなかった。

事前の情報が少なくて、ネコが来てから、
あれ、こういう時はどうするんだっけ?と困ったこともあったけど、
すったもんだしているうちに、お互いいい感じになってきた。
ネコの体の不調のことは、ミグノンで、いつでも無料で相談に乗ってくれて、
切り傷が広がった時も、薬はなるべく使わず、
食べ物で改善していく方法を教えてもらえた。
バランスのとれた食べ物も、サプリメントも、ずっと割引で売ってもらえる。

そして、事前のアンケート用紙で、聞かれた内容を時々思い出す。
「あなたが、また、あなたの子どもが動物アレルギーになったら、どうしますか?」

あ、なんかできそう、って思う。
何が起こるかわからないけど、なんとなく自分なりの方法を見つけていける気がする。
まあ、どうしようもないことは起きるかもしれないけど、誰も答えは出してくれないから自分で考えていくんだよ、というメッセージ。

なんだか、こういうのが福祉の原点なのかもしれないな、と思う。

社会福祉の学校で、もし、こういうことを教えてくれたら、
また、学び直してみたいな、と思う。

2015/01/26

休みの日に

休みの日。

朝、ねこに起こされて、ご飯を出した後、二度寝。
昼ごろ起きて、ネコとねずみのおもちゃで遊んで、
遅いご飯をたべて、
洗濯して、
ネコのトイレの砂を全とっかえして、
ネコたちの寝顔を見て、
ネコが起き出したら掃除機をかけて、
夜のネコご飯を出して、人間もごはんを食べて、
また、ねずみのおもちゃで遊んで、
お風呂に入って、寝る準備。

てな風に、1日ゆったり家で過ごせる日は幸せだな~と感じます。

今日は間違えて、おもちゃのねずみを、一緒に洗濯してしまい、
ねずみのしっぽがとれた。

平和です。なんだか、ありがとう。

2015/01/01

あけましておめでとうございます。

今年は、元旦にご挨拶してみました。
年越しに、ネコたちには大好きなターキーの缶詰を、いつもより少し多めに進呈しました。
ほんの数分でたいらげて、いつもどおりゴロゴロしてます。

除夜の鐘が聞こえてます。
それ以外は、いつもと変わらない夜です。

♪まったりまったりまったりね、急がず焦らず、参ろうか~

時々、おじゃるまるの主題歌が、ふっと浮かびます。
これから先も、そんな感じでいけたらいいな~。

本年もよろしくお願いいたします。