2011/12/29

よいお年を。

今年は、ふと思いたって、ブログを始めました。

1か月続けられるかな~と思っていたブログですが、
おかげさまで、数か月は続きました。

ブログおもしろい」と声をかけていただいたり、
メールをいただいたりと、本当にありがとうございました。
すごく嬉しかったです。
見てくれる人がいると思うと、
また書こう!!!という気持ちが湧いてきます。

コメントに返信しようとすると、自分のブログなのに、
自分のコメントがはじかれるという有り様は続いており、
返信できないままで恐縮です。

引き続き、コメント返しはできないわけですが、
ゆったりした気持ちを大切にして、
のんびり更新していきたいと思っております。

来年も、よろしくお願いします。
みなさま、よいお年を~。

年の瀬

食べやすい大きさに切られて、
一つずつビニール包装してあるお餅が売っている。
これは、すばらしいことだと思う。

実家では、年の瀬になると、のし餅という平べったい大きなお餅が届いて、
それを食べやすい大きさに切るというのが、正月の準備だった。
確か、1枚が一升分だったと思う。
みんなお餅が大好きだったので、毎年4~5枚頼んでいた。

お餅はだいたい29日頃に届く。
お餅を切ると、すぐに包丁がべたべたするので、
濡れ布巾でちょいちょい濡らしながら、食べやすい大きさに切る。
柔らかいうちは、切っても餅と餅が重なるとくっついてしまうので、
半紙を敷いて、餅と餅がくっつかないように、一つ一つ並べる。

小さい頃は、餅を切って並べる父や母の姿がかっこよく見えて、
「切らせて~」と言っていた。
その頃は、手を切ると危ないからと言って切らせてもらえず、
半紙を敷く係をしながら、毎年、
餅が小さく切られていくのを、じっと見ていたような記憶がある。

中学生くらいになると、ようやく餅切り見習いとして
切り方を教えてもらって、意気揚々と餅を切って並べていた。
それからは、餅きりが私の仕事になった。

と、餅切りがキラキラして楽しかったのも2年くらいなもので、
高校生くらいになると、だんだん面倒になってきた。
年の瀬にゆっくりしていると、餅が届く。
母が「お餅が来たよ。よろしく」と私に言う。

すぐに切るのは面倒だけど、届いてから早めに切らないと、
だんだん硬くなってきて、切る時にかなり手が痛い。
なかなか餅切りを始めない私に、母が、
「はやくした方が、お餅柔らかいかもしれへんな。」と言う。

硬くなった餅を切るのも面倒だけど、すぐにはやりたくない。
硬くなった餅は、母の力では切れない(と母が言う)ので、
結局硬くなった餅を切るのは私になる。
あ~面倒くさいけど、今切った方が楽か・・・はぁ
とため息をつきながら餅を切るはめになった。

実家の辺りは丸餅が主流で、餅を切らなくてもいい。
なのに、父が関東出身だったために、
うちだけは餅切りをしなければならないとは・・・トホホ・・・と、
小さい頃は、うらやましかった餅切りを恨めしく思ったりもした。

今は、すでに切られたお餅が、手に入る。
包丁で切る時に、こういう大きさになったら最高、
という形で、一つずつビニール包装されている。
しかも、結構おいしい。
なんてすばらしいことだと思う。

年の瀬に、大掃除もしなければ、凝ったおせちを作ることもなく、
母がざくざくと、いろんな具を煮た煮物がおせち代わりという、
のんびりしていた実家で、唯一の大仕事は餅切りだった。

もう、お餅を切ることもなくなって、
いつ餅が届くかとハラハラすることもなく、
実家に習って、大掃除もしない12月29日は、
こうやって、ブログを書いて、のんびりしている。

切ったお餅を売ってくれて、本当にありがとう、と思う。

2011/12/21

困った時のおまじない、と言えば?

『天空の城ラピュタ』で、
主人公のシータという女の子が、
小さい頃に泣いておばあさんの所に行った時に、
おばあさんから教えてもらった、おまじない。

「リーテ、ラトバリタ、ウルス、アリアロス、バール、ネトリール」

たぶん、こんな感じだった。

たしか、

「我を助けよ、光よよみがえれ、という意味だよ」
と、おばあさんがシータに説明していた。と思う。
『千と千尋の神隠し』ほどではないが、『天空の城ラピュタ』も、
かなり見ているので、だいたい合っていると思う。

私が小さい頃に、よく母が言っていた困った時のおまじない。

「押してダメなら、引いてみろ」

どうにもならない事があると、頭の中で、この言葉が響く。
何かが出来ない時、全く反対のことをしてみると、
意外とスルッとできたりするので、ビックリする時がある。

ただし。残念ながら。

時々、押しても引いても開かないドアを、
「横にスライドするドアですよ」と言われるまで、
押したり、引いたりしていることは、あったりする。

ってことは、応用すると、

「押してダメなら、引いてみろ。引いてダメなら、ズラしてみろ」

って、所でしょうか?

これを困った時に思い出せれるようになれば、
頭が柔軟になったりして?

2011/12/15

終点ですよ。

電車に乗っていて終点に着いたのに、
眠りこけている人をよく見かける。

そういう人を見かけると
「終点ですよ」
と声をかけずにいられない。

そんなにお節介な方ではないけど、
終点に着いても起きる気配のない人がいると、ついつい気になってしまう。

終着駅について「この電車は車庫に入ります〜」とか、
「折り返し運転になります〜」とアナウンスがなっても、
ピクリとも動かない人を見つけると、少し待ってみて、
他の人がいなくなったかならないかの時をみはらかって、
絶妙のタイミングで「終点ですよ」と声をかける。

声をかける瞬間はドキドキする。

タイミングが悪いと近づいた瞬間に起きてしまい、気まずいこともあるし、
走ってきた駅員さんに、「降りてください」と注意されることもある。

タイミングが重要だ。

こんなにハラハラしながら「終点ですよ」をしているのは。。。


学生の頃、経費を浮かすために、実家まで青春18切符を使って帰った。

東京から実家のある福井県まで、片道2000円ちょっとで帰れる。
べらぼうに安い。

もちろん普通列車だけなので、朝早く出ても着くのは夜。
だぶん16〜17時間はかかる。

普通列車の終点までを何回も乗り継いで行くと、
途中で本当にぐっすり寝てしまう。
終点に着く度に、誰かが起こしてくれた。

驚いたのは、駅員さんに起こされるより、
乗客の人に起こされることが多かった。
しかも、みんな優しい。

普通列車の旅は、乗り換えも急いでだったり、食べ物を調達するにも、お手洗いにも困る。

電車に乗るのは好きだけど、かなり疲れる。

そんな中、終点で起こしてもらえるという優しさは、かなり嬉しかった。

電車で終点についても眠りこけている人を見ると、
ついつい、そんな懐かしい旅を思い出す。


そうそう。
うちの両親は、新婚旅行から帰ってきた時、
電車で二人して眠りこけて、地元の駅の、真っ暗な車庫の中で目が覚めたと言っていた。

新幹線もない時代。
確かに眠りこけるだろうなと思う。

でも。
誰も起こしてくれないなんて、ありえないと思ったけど。

新婚だったから、誰も起こしてくれなかったのかもな。

そういえば、私も「終点ですよ」とつい声をかけるのは、一人で眠りこけている人だけだな〜。

さっきも一人、眠りこけおじさんを起こした。

起きた瞬間大抵の人は「はっ!」と言う。

起こすのはドキドキするけど、
この「はっ!」を聞くのは、結構楽しかったりする。

2011/12/13

言われて嬉しかった言葉

何か話があるわけではないけど、一緒にご飯を食べに行きませんか?

2011/12/10

話足りた感じ

考えていることと言葉が近ければ近いほど、話足りた感じが味わえると思っていた。

もっと言うと、正確に思っていることを伝えないと、何も伝わらないんじゃないかと思っていた。

のですが。

あれ?本当にそうなのかな?と疑問がわいてきた。


思いに近い言葉を言えなくても、話足りた感じがすることもある。

一人だと、思いに近い言葉は考えないと出てこない。
しぼり出すようなイメージ。

なのに会話をしていると、
あれあれ?私はこんなことを考えてたんだ!
そうそう、それが言いたかったんですよ

ということを自分でサラサラ言っていて、おどろく時がある。

しぼり出して思いを言葉にしなくても、会話に身を任せたらいいだけなのかもしれない。

そんな楽な話だったのか。


身を任せてもいいな、と思えるかどうかが、カギってことか。

2011/12/06

お題があっても、ないのと変わらない!?

私は好き勝手に文章を書くのは好きだけど、
お題があることについて文章を書くのは苦手。
お題を言われた時点で、頭が真っ白になる。

という話を、中学生と話している時にした。

そうしたら
「感想だけなら、お題があってもなくても一緒ですよ。自由に書く時と同じで、その時に思ったことを思い出して書けばいいだけじゃないですか?」と言われて、なるほどと思った。


それでついでに、文章を書くのが苦手だから、入試の小論文も就職の時の課題文も苦労したと話してみた。

そうしたら、
「それはまた違いますね。お題の内容についてまず知ってないと書けないので、まず知ることからですね」と言われ、確かに、と思った。


さらについでに、今も職場で、イベントの企画書をかくのに苦労していると話してみた。

そうしたら、
「私、そういうの書くの大好きです。まず内容を書いて、注意することを書いて‥云々」と言うのを聞いて、得意なことは年齢関係なく得意なんだなと思った。


苦手なことを苦痛を感じながら続けるよりも、得意な人の知恵を借りれば、すごく楽に考えられるもんだなと思った。

得意なことって、何の苦もなく思い付くこととか出来ることなんだな〜。


しかしまあ。
勉強が苦手なはずで、私が一応教える形になっているのだけど。
逆でもいいか。
もう来なくていいよって言われるまでは。

2011/12/01

中立

どちらの味方にもならない、
ということは、
どちらも敵になる可能性がある。

もしかすると、
どちらかの味方になるのは簡単なことで、
どちらの味方にもならないことは、
努力し続けないとできないような、
難しいことなのかもしれない。

そういう考えもあるね、なんて一言言っただけで、
「え、あの人の味方をするの?」と言われたりするし、
敵とか、味方とか、面倒くさい。
誰かが誰かに怒りがある時に、
この、敵、味方ができやすい気がする。
しかも、小さいことなら、よくある話。

人を巻き込みやがって。。。
と思うことも多いけど。
今日はそういうことで、面倒な日になりそうなのだけど。
自分もやっているかもしれない。

うわ~~~。
気をつけようっと。

2011/11/28

風邪

ここ1週間ほど体が重かった。
いつもなら、ささっとできることが出来なかった。
一体どうしたんだ私、と思っていた。
寝ても寝ても眠かった。
1日10~12時間寝るのを続けたら、急に体が軽くなった。
そして、鼻水が。。。
体は、かなりスッキリした。

もしかして。

風邪をひいていたらしい。
そうならそうと、早く言ってくれ。

そんなにへこむようなことを誰かに言われたっけ?、とか
何か悪い病気なんじゃないか、とか、
余計なことを考えてしまった。

熱くらいでれば、風邪だってわかるけど、
熱も出ないし、鼻が詰まって少しのどが痛いだけじゃ、
風邪と気づくわけがない!!

風邪の時は、さっさと熱でも出て、風邪だとわかりやすいので、
お願いしたい。

「怒り」という本を読んで、菩薩のような心になって、
いろいろ考えた(と思っていた)末に、
風邪に気付かなかったことで怒っている私。
怒りってどこに潜んでいるかわからないなと思ったりして。。。

怒りって、やっぱりおもしろい。

2011/11/22

怒り

自分の怒りを優しく包みこんでいたわる、
それって、どういうことだろう・・・
ということを考え中。

ティクナットハンの「怒り」という本を読んだ。
すごく影響されている。

分かりたいのに、わからない、このモヤモヤ。
そういうのが楽しかったりするのだけど、
なんとなく、ふに落ちる瞬間を、心待ちにしています。

そころで、この本を訳をした人が、同じ年だった。
怒りという本なのに、温かさを感じた。
訳した人に手紙を書いてみたいな~と思った。

2011/11/16

たばこの思い出

私は小さい頃、父に頼まれて、よくタバコを買いに行った。
私が子どもの頃は、子どもでも自動販売機で買えたので、
「ハイライト、ハイライト、ハイライト」と、
呪文のように唱えて、自販機まで行った。
ドキドキしながらも、ちゃんと買って帰ってこられると、
大人になったように思って、清々しい気持だった。
生まれて初めて、一人で自販機で買ったものは、ハイライトだった。

父は、よくタバコを吸っていた。
私は部屋で寝転がりながら、タバコの煙を見るのが好きだった。
今思うと、雲の動きに似ている。
ゆらゆら漂って、左右に揺れて、ふわんと天井近くで消える。
父は黙ってタバコを吸っていて、
私は黙ってタバコの煙を見ていた。
煙を見ていると飽きなかった。

壁が黄色くなるのがタバコのせいだと知ったのは、
一人暮らしをするときに、物件を見ながら説明を聞いた時だった。

母は「あ~タバコが煙い」
「タバコ代で、豪邸が建つわ」
「肺がんになったら、お父ちゃんのせいやから」
などと、よく愚痴をこぼしていた。

父はハイライトから、JSP?JPSだったかな?
というタバコに、途中で銘柄を変え、
タバコを吸える年齢から、ずっと生涯、禁煙をしなかった。
一度入院した時にも、先生に「質問は?」と聞かれて、
「喫煙場所はどこですか?」と聞いていた。
かなり、きついタバコをずっと吸っていたけど、
最後まで、肺ガンにはならなかった。
「タバコを止めたら、死ぬ」と、ずっと言い続けていた。

心臓が悪くなった時も、
ニトログリセリンの頓服薬を、
タバコのビニールに挟んでいた。
そうすれば、持ち歩くのを忘れないから、と。
医者に「こうやって持ち歩いています」と、
ニコニコと、頓服を挟んだタバコを見せて、
医者が唖然としていた。

タバコは体に害があると、たばこの箱に書いている。
だが私は、どうしても、たばこが悪いものとは思えないでいる。

たばこ

コンビニの朝バイトを始めてから、
たばこに詳しくなってきた。
国産たばこには、消費期限が記載してあるが、
輸入たばこには、記載がないということも覚えた。
「マルメンライト」という謎の暗号も解読した。
最初は「もう一度お願いします、もう一度・・・」と、
何回も聞いてもわからなかった。
マルボロのメンソールのライトの略だった
仮面ライダーの仲間じゃなかった。

ある人から聞いた話。
銘柄を新作のたばこに変えた。
よく買いに行っているコンビニに行った。
レジに立つと、店員さんは、すばやく「おタバコですね」と言って、
今まで買っていた銘柄のたばこを、ささっと出してくれた。
銘柄を覚えていてくれて、せっかく出してくれて、
レジが混んでいたのもあって、
「今日は違うタバコを・・・」とは言えずに、
出してきてくれたタバコを買ったらしい。

レジを打つ方にすると、いつも来るお客さんの、
タバコの銘柄を覚えているのは、気のきいたスタッフ。

そうか、そういうこともあるのか。。。と思った。

私はタバコは吸わないけど、
エコーを開封して在庫を出す時に、
いつも、いい香りがするな~と思う。
もし、タバコを吸うようになったら、
エコーにしようかな。

2011/11/15

髪が伸びてきた。
ほったらかしておいても気にならない長さから、
また更に伸びると、重くなったように感じる。
サイヤ人のように髪が伸びなかったら楽だろうなと思う。
でもまあ、サイヤ人ではなくで地球人なので、髪が伸びる。
だんだん面倒になってきた。
そろそろばっさりいってもいいだろう、
と思って、美容院に行く日を考えていた。

髪を切りに行くのは楽しい。
「もう髪が伸びないように切って下さい」
と無理な注文をしても笑ってくれる所。
気が付いたら、その美容院に、12~13年通っている。
いろいろ環境は変わったのに、美容院だけは変わってないな。

なんてことを考えていて、
昨日、ふと思い出したことがあった。

去年の冬に、かぎ針編みのうまい人が、
シュシュの作り方を教えてくれた。
意外と簡単で楽しくて、何個も作った。
でも、私は髪が短かくて自分では使えなかった。
なので、髪を伸ばして、来年の冬は自分でも使おう、
と思っていたんだった。

間一髪。危なかった。
そんなことをすっかり忘れて、髪を切るところだった。

シュシュに飽きてから、美容院に行こう。

2011/11/13

人の役に立つ?

何か人の役に立ちたいと思うことが多かった。


なんとなく、人の役に立っていないと、いけないんじゃないか、
と思っていた時期もあった。


ひどいことをしてきたのを帳消しにしようとして、
人の役に立っているような仕事を選んでいた頃もあった。


人の役に立つことを、いきり立って探そうとしていた時もあった。


今は、いきり立って人の役に立つことを探すより、
人を追い詰めない物言いを心掛けるのが、
人の役に立つような気もしている。

まあ別に、人の役に立たなくてもいいんだけど。

2011/11/10

永遠

ずっとずっとず~っと、
永遠に続くことって、何もないと思う。

「今」を大事にしたい。

2011/11/05

たこ壺からイカ

学童に来ている子どもが出ている音楽会に行った。

子どもに強制的に音楽を演奏させて、
子どもをストレスにさらす小学校の音楽会なんて、
子どもは犠牲者だ、
いったいどんなものか、確かめに行く、

と、批判的な気持ちで見に行った音楽会。
だったはずなのに。

一曲目の3年生の合唱から‥感動して泣いてしまった。

最後まで見てきた。

なんなんだ、これは。

模様

紅茶にミルクを入れて、ちょっとだけ器を持ち上げる。

だんだんミルクが溶けていく時の、夕焼け雲みたいな模様を見るのが楽しい。

2011/11/03

飲み会

私は飲み会が苦手。
このところ、苦手なことばっかり書いている気がする。

寒くなってくると、ゆううつになるのが、少しわかってきた。
寒いのも苦手、飲み会も苦手。
年末年始と言えば、忘年会と新年会の時期。
仕事をしていて一番嫌なのが飲み会の誘い。
行きたくないというと角が立つし、行っても気を遣う。
予定が空いているのに行かない、というのは、
すごく後ろめたい気持ちになる。

しかも「年末年始ぐらい、パーっと騒ごうよ」
この言葉を聞くと、気を失いそうになるくらい、気が遠くなる。
「そんなに普段からストレスがあるのですか?」
と、つい聞きたくなってしまう。
「結構いつも、楽しくやっているので結構です」
などと言いたくなってしまう。
そんなこと言ったら、ぜったい気まずい。

この人と話は合わないんだろうな、なんて、
職場では先入観の塊のまま
なるべく人と違わないようにと気を使ってみて、結局

「ああ、ええ、まあ、そうですね。。。」
挙動不審の極み。

こういう苦手な時期に、苦手な会話。
しかも、寒い。
これじゃあ、ゆううつになるのも、あたりまえだな。

飲み会の何が苦手か、というと・・・なんだろう。

帰ってきたときに、あんまり楽しくなかったと思う時と、
あ~~~楽しかったと思う時がある。

楽しくなかったとき、自分の話している内容を思い返すと、
過去の話ばかりしている気がする。
あの時は、こんなに嫌だった、
こんなひどいことがあった、
変えようがないことを延々と話していることが多い気もする。
しかも、あの上司は責任を取らない、と人を批判している。
自分の思い込みが変わることもなく、思い込みをそのまま披露しているだけ。
それで、ああつまらないことを話してしまったと、後で疲れてしまう。
そういうことを言いたくなければ、
こんな、おもしろいことがあったと、しゃべり倒す。
そうすれば、自分の批判的な思い込みを披露しなくて済む。
どちらにせよ、労力を使う。

会話も、各自話したいことを順番に話しているだけのような気もする。
「だれだれさんに~~~って言われた」
と誰かが話したとすると、
「あ、ほんと?私はだれだれさんに、~~~って言われたよ、でね・・・」
というように会話が続く。

おおお、こうして書いてみると、
みんなが自分のことだけを話していて、
誰も受け止めずに、次々に自分の話をしていっても、
会話っていうのは続くものなんだって、驚いた。
それは、会話と呼ばない気がするけど、
はたから見たら、グループで仲良く、
会話をしているようにみえるんだろうなと思う。

楽しかった時は、何を話しているんだろうと思うと、
覚えてない。
その場の流れで、どんどん変わっていくので、
何を話したか覚えてない。
楽しかった~という感覚だけが残る。

過去の話をしていないわけでもなく、
先のことばかりを話しているわけでもない。
明るい話でも暗い話でもない。
批判的な思い込みを披露する前に、
ああ、そういう考えもあったのかと思って、
批判的な気持ちが消えてしまっていることもある。

帰ってから、まずこれをしてみようと思えていたり、
脳みそが、溢れだしそうな感じもする。

そういう飲み会に行きたいな~。
てなことを、あれこれ考えてしまう時期が、やってくる。

2011/11/01

冬の楽しみ?

私は冬が苦手。
寒いと何もする気が起きない。
今のうちに、冬の楽しみを考えてみたりして。

お風呂に入ること。

寒くなってくると外に出るのが嫌になる。
お風呂に入るのが楽しみで帰ってくる時もある。

そして、もっと寒くなると、
ホットカーペットで、岩盤浴気分を味わう。
これも楽しい。
そのまま寝てしまうと、のどがカラカラになる。

ううううう。
他には何かあったっけ?

思いつかない。

やっぱり、冬は苦手だな。

2011/10/30

インテンショナルピアサポート(IPS)研修内容

2日間ゆっくり過ごした。
バーモントでの研修の話を、すごくしたいのだけど、
何から話していいかわからない。
言葉にしようとすると、どれもこれも違う気がする。
誰かに何か質問してもらえたら、話すきっかけになるんですけど、と、
ある方と話をしていたところ、何をしていたんですか?と聞かれた。
したことのを箇条書きでもあったら、質問のとっかかりになると言われ、
なるほど、と思った。
というわけで、さっそく、何をしたか予定表を見ながら書いてみる。

1日目
・自己紹介
・居心地の悪さと一緒にいるための合意について
・『ピア』の意味するところ
・他の人の課題の文章を読んで、フィードバックの練習

2日目
・問題解決に走りやすい状況での会話
・その練習
・集中研修で行う演習のねらいについて
・「恐れ」対「希望・可能性」
・共同スーパービジョンの練習

3日目
・共同スーパービジョンの実演
・衝突のある場面、ロールプレー実演と練習

4日目
・相互の責任について
・IPSを学ぶということについて
・身の安全に恐れを感じる状況での会話
・フィードバックについて

5日目
・フィードバックの練習
・共同スーパービジョンについて?
・感想&まとめ
へ~なるほど。
こういうことをしてたんだ。。

覚えがないこと

ポテトチップスを食べる夢を見た。
次の日の朝、ダンナから聞いた話。

私が眠っている横で、ダンナはテレビを見ていた。
ダンナが、ポテトチップスを手に取った。
私が寝ていたので、音を立てないように小さい音で袋を開けたらしい。
次の瞬間、私がカッと目を見開いたので、ダンナは驚いた。
でも、起きてはいないようだった。

ダンナは、ポテトチップスを食べ始めた。
すると、横たわったままの私が、ニョッキと手を出して、
「勉強させて」と言ったらしい。

何のことかとダンナは不思議に思ったらしいが、
もしかすると、と思って、ポテトチップスを1枚、私に手渡した。
おもむろに、私はポテトチップスを1枚食べた。
そうすると、また、横たわったままニョッキっと手を出して、
「もう1回勉強させて」と言ったらしい。
ダンナは私に、もう1枚ポテトチップスを手渡した。

2枚目のポテトチップスを食べ終えた後、私は、
「正解」
と一言いい、再び眠りについたらしい。

まさか。
そんなおもしろい話があるわけない。
上手い作り話をするね、と私はダンナに言った。
すると、ダンナは、
「こんなに、おもしろい話を作れるほどの腕は無い、
単に事実を言っただけ。すごくおもしろかった。」
と言う。

私は、寝ている時が、おもしろいらしい。

2011/10/29

旅のあとのダラダラ

だいぶダルさがとれてきた。
時差ぼけが、ようやく治ってきたんだなと実感。
やっぱり、1週間くらいかかるんだな。

旅行前に、いろいろとブログを書きたくなったのは、なんでだろうと思った。
飛行機に乗る前は、もしかすると帰ってこれないかもしれないと思った。

話は飛ぶが、向田邦子が生きていたら、友達になりたかった。
向田邦子は、飛行機に乗って帰って来れなかったうちの1人。
一度も会ったことがないけど、妙に親近感がわく人。
本を読んでいるだけで、友達だったかのような錯覚を覚える。
なので本を読んでいると楽しいし、もうこの世にいない人とは思えない。
今は会っていないだけで、どこかで生きている気もする。
そういう文章を書くことができたら、楽しいだろうなと思う。

でまあ、話を元に戻すと、
私も何か残しておきたいと思ったのです。

本当に帰ってくると、帰ってくるのは想定外なので、
自分の作り上げた現実と、実際の生活が一致するまで、時間がかかる。

こんな話を書いていて、ひとり芝居もいいところって、
自分で笑ってしまう。
なのに。
旅行に行くときには、いつも、こんなひとり芝居を繰り返している。
ひとしきり、ひとり芝居を終えたあと、
ようやく、今回の旅は、何があったっけ?と思い始める。

細かいことは忘れてしまっていて、少し残念だけど、
一緒に行った人と話をすると、思い出すことも多くて嬉しい。
1人旅の記憶がほとんどないのは、きっとこのせいだろう。

2011/10/25

心に残ること

今回の旅で、研修の最後に歌を聴いた。
2年半前の研修の最後にも歌ってくれた歌だった。
ニュージーランドの、昔からの・・・あれ?なんだっけ。
いわれは、忘れてしまった。
前と変わらず、すごく優しい歌声だった。

今回はICレコーダーという文明の器機を利用して、
歌声を録音できた。
研修から帰ってきてから何回か聴いた。
聴くたびに、いいなと思う。

2年前の歌声は、録音はできなかったけど、
今でも耳に残っている。

心に残ることは、残そうと思っても残せるものでもなく、
知らないうちに残っているものなんだなと思う。

いろいろなことが起こって、
自分の心に何が残るか、それが楽しみだなと思う。

2011/10/23

2011-10/14~22の旅

日本と時差が13時間ある所に行ってきた。
ニューハンプシャー州の近くのバーモント州。
帰って来てから、場所を地球儀で確認したが、正確な位置はわからない。
アメリカの東側の一番北のカナダとの国境が近い所だと思う。

寒いと思って、いっぱい持っていたセーターは、半分使わなかった。
帰りも風呂敷でギューッと詰め込んできた。

帰りの飛行機は、外がずっと昼だった。
窓から雪山のような土地も見えた。それは、アラスカ大陸らしかった。
「きっと、太陽を追いかけて、丸い地球の最短距離を飛んでるんだね」
という会話をしていた。

もし、地球が三角だと思っていたら、
「きっと、太陽を追いかけて、三角のてっぺんを回ったんだね」
という会話をしていたかもしれない。
なんてね。

飛行機に何十時間も乗っていた。
途中で日付が変わるので、何時間飛行機に乗っていたかもわからない。
その何十時間の間、隣に座っていた友達と、ずっと話をしていた。
話せば話すほど、そんなふうに考えていたとは知らなかった!と驚いた。
いくら話しても、話足りない感じがした。
今までも、たくさん話をしたつもりの人だった。

この8日間、何が起こっていたのかは、わからない。

何をしたかと言えば、5日間の研修と観光。

何を確信したかと言えば、
人間の本性は優しくて温かい、ということ。

まとめると、すごく楽しかった。

改めて気づいたことは、私はおおざっぱ、ということ。

2011/10/13

旅の準備

明日から8日間ほど旅立ってきます。

今頃になって、冬服は意外とかさばることを発見。ついでに押せばかなり小さくなることも発見した。

イメージでは余裕で入ったのだけど。次回はもっと早く準備を始めようっと。

夜行

夜行バスに乗るとワクワクする。
高速道路に入ると、バスが真っ暗になる。
運よく窓側の席になると、カーテンに頭を突っ込んで、
高速道路から夜景を見ながら、音楽を聴く。
通路側の時は、夜景は思い浮かべるだけになるが。
この時間が、たまらない。

頭の中を、いろんなことが行ったり来たりして、
知らない間に心地よく眠っている。

実家に帰る時に、父がいた頃は、
夜行バスを降りると必ず迎えに来てくれていた
朝早くて薄暗くても、夜でも、父の車は、
ピカピカしていてよく目立つ。

小学1年か2年の頃に、父の運転するトラックに乗って、
「小松」という所に行ったことがあった。
その時が生まれて初めて、夜行の車に乗った時だった。
鉄工所に務めていた父は、車の運転が得意で、
鉄鋼を運んで、トラックを運転していた。
大きなトラックが動くのが、すごいと思った事以外は、
途中で食べたラーメンがおいしかったことしか、
その時の記憶はない。

実家にいた頃、父と母と遠出をする時も、必ず車で夜出発だった。
リタイヤしてから、家でイライラ、ウロウロしている父を見かねて、
母が「車を買おう」と言いだし、うちに車がきた。
父がだいすきな、あずき色で玉虫のように光る軽ワゴン。
自分の自転車も、毎日磨いてピカピカにしていた父は、
毎日のように車をピカピカにして、本当の玉虫のようになっていた。
毎日磨くのは大変だろうから洗車に行ったら?と聞いたことがあった。
すると、「洗車をすると車が汚れるからイヤ。」と言っていた。
ピカピカの車で、誰かを送る、という用事を作っては走っていた。

父の生まれ故郷は東京で、法事があったりすると、
500kmの道のりを玉虫の軽自動車で、夜走った。
軽自動車でも、トラックと互角に高速道路を走っていた。

私はいつも助手席で、地図を持たされた。
助手席に乗る人は、車の修理と道案内ができなければいけない、
というのが父の持論で、
単純に前がよく見えるから助手席に乗りたかった私も、
助手席に乗るために、仕事を覚えなくてはいけなかった。

さすがに小学生に修理はさせなかったものの、
車のエンジンの仕組みや、工具の使い方、
四駆の活躍する道はどこか、軽自動車がいかに効率がいいかという話、
燃費のいい運転の仕方、雪が降った時の対処から、
高速道路での車間距離の取り方、標識の見方まで教わった。
というより、父が一方的に話してきた。

車を運転するには、こういうことを覚えておかないと、
自分が困る事になると、聞かされていたので、
18歳で自動車学校に行った時に、故障車を直せなくても、
車に乗ってもいいと聞いて安心した。
しかも兄に聞いたら、今はJAFがあるから大丈夫、
父の時代には自分で直すしかなかったらしいよ、と教えてくれた。

今も、夜行バスに乗ると、父のことを思い出すことが多い。
「バスに乗ったら運転手さんが見える位置に座って、よく見て運転を覚えなさい」
という父の教訓は無視して、カーテンに頭を突っ込んでいるが。

昔から車のことを聞いていた割には、私は運転が下手で、
誰かに運転してもらって乗る方が、断然すきだ。

2011/10/11

スポーツの楽しみ方

中学の部活でバドミントン部に入っている人から聞いた話。

『部活の大会に行った。
試合は負けてしまったけど、そこで、すばらしい人に出会った。
他校の同級生で、バドミントンがうまい人。
その人は、他の選手が試合をしている時に、大きな声で応援している。
応援するとコーチに「自分のことに集中しろ」と怒られていた。
それでも応援を続けていた。
怒られるのを覚悟で応援しているのだと思った。
大会に行って、すごく楽しかった。
そういう人に出会えるからスポーツは楽しい。』

その話を聞いて、
そういう楽しみ方があったのか!!と思った。

バドミントンは、夏でも窓を閉めて、無風の中で練習するらしい。
ハネが風に左右されるから、という理由で。
うまい、ということは、その練習に耐えているという前提があって、
しかも、その極限の中でも人のことも考える余裕もある、という、
すさまじい精神力を感じたのだろうか?と思った。

私は、運動部はキツイだけというイメージがあって、避けて通っていた。
運動部に入って経験しておきたかったなと、一瞬思った。
実際に経験すると、その人の素晴らしさが、
もっと身にしみて分かるのかもしれない。
ただ。
同じ経験をしても、素晴らしい人に出会える楽しみというのを、
私だったら見つけられなかったかもしれない。

2011/10/09

ブログを書くということ

頭の中がごちゃごちゃする時がある。
そういう時は、とりあえず頭の中から何でもいいから出したい。

長い独り言を、自分勝手につぶやけるのが、ありがたい。

それとは別に、忘れたくない記憶がある。
でも、忘れてしまう。
あの時に、ああ思った、ということも、
覚えておきたいのに、忘れてしまう。
忘れた方が都合がいいことの方が多いのだけど。

忘れたくないことを、
どこかに書きとめておけたらいいなと思う。

もし自分がどんな人なのか記憶がなくなってしまった時に、
自分のブログを読んだら、どう思うんだろう?
変な人って思うのかな?
おもしろい人って思うのかな?
どうなんだろう。

2011/10/08

他力本願

ふと思い出した。

小学生の頃、両親と車で、三重のお寺に日帰りで行った。
小学4年か、5年くらいだったと思う。

お寺で住職をしていた母方の遠い親戚のおじさんが亡くなって、
お葬式に出ようという話になったのだと思う。
母も小さい頃に会っただけで、父はそういう親戚がいるのも、
知らなかったようだった。
でも、連絡をくれたんだから行こう、となったのだろう。

子どもの頃は、学校を休んで車で出かける、ということだけで、
ウキウキしていて、どこに行くのでも楽しかった。
父も、車の運転ができるからか、少しウキウキしていたように思う。
長距離トラックの運転手を長年して、引退したばかりだった父は、
車を運転するのが大好きだった。
だけど、用もないのに車を走らせるということができず、
いつも車で出かけるのは、お葬式、お通夜、たまに結婚式。
時々「学校なんか休め。お父ちゃんとでかけよう。」と言ってきた。
必ず横で母が聞いていて、たしなめられていた。
私はがっかりして、学校が休みの日に遊びに行くと父と約束をした。

ルパンの銭形警部と同じ、昭和3年生まれの父。
そのくらいの年代の人は、みんなそうなのだろうか?

話を戻して。
父は、車で出かける前日は、いつも、虫眼鏡で地図を見て、
家から目的地までを、何回も行ったり来たりする。
夕食を食べた後から寝る頃まで、ずっと虫眼鏡をもっていた。

三重のお寺までは、実家から車で5~6時間くらいかかったと思う。
車のエンジンをかけて出発する時に、
父がウキウキしていると、一瞬車がふわっと浮く気がした。
三重に行くときは、ふわっとはしなかった。
ああ、今日は遊びに行くのでなくて、お葬式に行くんだったと思った。

お寺の近くまでは順調に進んだ。
そして、いつもの通り、あと少し、という所で迷う。
地図に載っていない道に入ると、父の勘で走る。
カーナビも携帯電話もない時代には、それが当たり前だったんだと思う。

車で田んぼ道をウロウロしても、お寺らしきものはない。
父が「お寺は大きいから見える。見逃すなよ。」と言うので、
母と私で、周りをキョロキョロ見ていた。
どこまでも、田んぼと、すすき畑しかなかった。

お葬式の時間が近づいてきたのか、せっかく来たのに遅刻だと、
母が焦り始めたのがわかった。
ここでいつもの夫婦ゲンカと思った時のことだった。

「他力本願」と父が言った。

私も母もあっけにとられて、私は「どういう意味?」と聞いた。
「亡くなったおじさんが、お葬式に来てほしいと思ったら、
道がわかってお寺に着くし、もし、来てほしくないと思ってたら、
お寺に寄らないで帰れっていうことやから、帰ればいい」

私も母も、ああそうか、という雰囲気になった。
「大人ってすごい」と思った。
肝が据わっている、という言葉を聞くと、今でも、
この時の父のことを思い出す。

それからしばらくして、お寺に着いた。
遠い親戚の人々には「遠くからよく来てくれましたね」
と、何回も言われた。

その時に、お寺の前で撮った写真が、
アルバムのどこかに残っているかもしれない。
今度探してみよう。

2011/10/06

濃いですね、完結編

「濃い」という言葉のことを、
今日、ある人と話をした。

濃い人=よくしゃべる人
自分の思っている印象にしっくりきた。

しかし。

自分のことを、もっと深く物事を考える人間だと思っていたけど、
よくしゃべるか、しゃべらないかだけで、
濃いかどうかを判断していたとは。。。

私はなんて単純な人間なんだろう・・・と思った。

自分のことを、まじめ、だと思っていた。
まじめ、ということは、物事を深く考えられて、
緻密な人なんだろうと思っていた。

自分が思い込みの塊のように感じた瞬間だった。

2011/10/05

濃いですね、の続き

※相変わらず、なぜだかコメント欄に投稿が出来ないので、
 こちらで失礼します。

薄い人、と言うと、濃い人の逆という感じがしない。
薄い人、というと、切れ長の目で、色白な人を、私は想像する。
濃い顔の人と、濃い人は、違う気がする。

あ~~~。
一つの言葉を聞いた時に、自分が思い描く事柄が、
いかに適当で、いい加減か、よくわかってきた。
いい加減なのに、いつも湧いてくるイメージは同じ。
これが、思い込みの基なのかな?

そして、ますます、濃いというのが何なのか、わからなくなってきた。

どういう時に「濃い」と言ってきたかと思うと、
少し独特な、少し癖のあるようなおもしろみを感じた時に、
思わず「濃いですね」と言ってきた気がする。
「濃い」と言っておいたら、良いとも悪いとも取られない、
都合のいい言葉だと思っていた。

なのに。
自分が人から言われてみたらショックだったので、驚いた。
まあ、そういうこともある、と思っておくことにしよ~。

2011/10/04

濃いですね。

「濃いですね」と、ある人に言ったら、
「あなたも充分、濃いですよ」と言われた。

衝撃的だった。

自分は何の変哲もない人間で、濃い人というイメージとは、
程遠い存在なんだろうと思っていた。

言われた途端に、いろいろ聞きたくなった。
付き合いづらいということですか?
ねちっこいということですか?
深みがあるということですか?
おもしろいというとこですか?
興味があるということですか?
しつこいということですか?
何か特別な特徴があるということですか?
どこを見て濃いと言ったのですか?
どんどん聞きたくなった。
そういう会話の流れの時じゃなかったので、質問はしなかった。

けど、自分が濃いと言った時に、こういう質問を、
次々と聞かれたら、答えに困るなと思った。
「濃い」という言葉を、よく使っていたけど、
その意味を、深く考えてなかったので、質問には答えられない。

しかも、こういう質問をするくらいだから、
やっぱり濃い人だ、と思うかもしれないと思った。

「濃い」って、なんだろう?

濃いと思った時に、もう少し詳しく考えてみてから、
話を始めた方がいいのだろうか?と思ったけど、
そんなことを考えてたら、何も言葉が浮かばなくなりそうな気もする。

とりあえず辞書をひいてみた。
①色が深い。色合いが強い。「―緑」
②水分が少ない。「―食塩水」
③味がしつこい。「―スープ」
④密である。「ひげが―」
⑤情愛が細やかである(⇔薄い)

⑤が、意外な感じがした。

う~ん。でも。。。
やっぱり、よくわからないので、今日はこの辺でやめよう。

2011/09/29

ラジオの続き

3件目の小売店に入ると、広くはない店内に、
程良い程度の電化製品が、ゆったりと並んでいた。
ところが、お店の人がなかなか出てこない。

しょうがないので、少し奥に進んで「ごめんください」と言ってみた。
その時に『心』と、毛筆でかかれた墨の字が見えた。
入口からは見えない、店主の椅子からはよく見えそうな位置だった。
『心』の横に、「松下幸之助」と書いてあった。
その瞬間に、父だか母だかが、以前に、
電化製品は、松下電器なら信頼できるから、松下電器で買う、
と言っていたことを思い出した。
東京に来て、量販店の電化製品の安さに驚いて、
高いお金を出して、田舎の地元の電気屋で電製品を買っている両親に、
なんでそんなに、もったいないことをするのだろうと思っていたことも、
ついでに、一緒に思い出したりしていた。

ようやく、人の良さそうな中年の男性が出てきて、回想が止まった。
お店には、いくつか持ち運べるラジオがあった。
1件目で説明したことと、同じことを説明した。

店頭に並んでいるラジオを指して、
「安いですね」と話しかけてみると、
「安いけど、電池式で小さいのはアンテナが無くて、室内だと音が悪い、
コードがついているものは、コードがアンテナ代わりになるから、
アンテナがついてなくても、音がいい。
室内でなら、しっかりアンテナがついたものがいいな・・・」
と半分ひとり言のような説明をしながら、
1件目のお店の時に見たカタログを出していた。

そして、1件目と全く同じ品を指して、
「これくらいしか、ないね」と言う。
いくらか聞くと計算してくれて、「6,500円はするね」
と無造作に言って、カタログを閉じてしまった。
この店主は、商売をする気がないのかな?と思った。

そこまでで、ラジオの事より『心』の書の方が気になっていたので、
「そこの書は、松下幸之助の直筆ですか?」と聞いてみた。
そうしたら店主は、急にぱっと笑顔になって、
「そうですよ。まだ生きてらっしゃる頃に書かれたものなんですよ。
今の政治家の~はね、松下幸之助が始めた塾の一期生で・・・・・」
と話が続く。
興味本位に話題を出してしまったんじゃないかと思って、
ちょっと後ろめたく思いながら聞いた。

「松下幸之助の言葉もいいんですよ。今年のカレンダー、
まだ余ってますから、良かったら一つ持っていきます?
松下幸之助の言葉が書いてあるんですよ。」

という説明を聞くか聞かないかのうちに、
私はもう、カレンダーを手に持っていた。

「毎年、カレンダーが出るから、もし気に行ったら、
来年のが出たら差し上げますよ。」
という店主の説明を聞きながら、私はここに何をしに来たんだっけ?
どうしてカレンダーを手に持っているんだっけ?と不思議に思いながら、
ちょっと得したような気分になっていた。

そうそう、それで、ラジオ。
同じものが4,200円で手に入る、
親切に調べてくれた店に注文に行こうか、
職人気質の6,500円の店に行って、店主とお近づきになろうか、
未だに決められずに、1週間が経とうとしている。

今度、母に会いに行った時に、つまみの取れたラジオに、
電池を入れて持って行って、どっちで買うといいと思う?
って聞いてみる、ってのもおもしろいかもな、と思った。
カレンダーがほしい、って言われたりして?

そういうわけで、今家に、松下幸之助『勇気』という表紙の
2011年のカレンダーが、無造作にかかっている。

ラジオ

入院中の母から、ラジオがならなくなったから、
直して送り返してほしいと言われたのが、もう1か月前。
「直らなかったら、いいから」という、いつものセリフ。
電池を換えれば直ると思って「はいはい」と、
簡単に引き受けてしまったのが運のつきだった。

家に持ち帰って、電池を交換して電源をつけた。
やっぱり、電池がなかっただけだった。一安心。
ところが。
選局ボタンを押してみても、雑音がひどい。
そういえば、地域が違うから、登録したボタンは役に立たなかったと気づく。
チューニングを合わせようと思ったら、つまみが取れて壊れていた。

そこで、やられた・・・と思った。
電池だけでは、すまなくなってしまった。
直らなかったらいい、と言いながら、送り返さないと、
あのラジオはどうなった?と、いつまでも言われる。

しょうがないので、近所の電気屋さんに行ってみた。
まあ、そんなに高くないだろうと思っていた。

おしつけがましくない感じのいい中年の女性の店員さんに、
事情を説明して、同じタイプのラジオを探してもらった。
大きさ、FMも入る、使いやすさ、壊れたラジオとほぼ同じものだと、
4,200円で、しかも取り寄せになる、という。
思っていたより高い。

丁寧にお礼を言って、近所にある、某量販店へ。
パソコンが主流のお店で、「ラジオはないですね」
と、けんもほろろに言われてしまい、退散。

そして、他にも小売りの電気屋さんが2件あったのを思い出し、
2件目の小売店へ行った。
1件目と違い、店の中が電化製品だらけ。
まあ、電気屋だから、あたりまえなのだけど。
ラジオは、防災用の一つのタイプしかないと、
忙しそうに言っていた。

こうなったら、もう、3件目も行くしかない、という気持ちになる。
3件目は「パナソニック」と遠くから文字が見えた。
いつも通っている道だけど、看板をじっくり見たのは、初めてだった。

続く。。。ちょっと休憩~

2011/09/27

会話

会話をしていて、私は考えが浅い、と思ってしまうことがある。
私は考えが浅いと思い始めると、会話に集中できなくなる。
相手の話より、自分がいかにあさはかか、ということに集中してしまう。

私も考えることは考えている、けど、すべてのことを、
深く考えているわけじゃないだけだ、と、最近ふと思う瞬間があった。
それに気づいたのは、今回の研修中のこと。

そしたら、自分が想像もしてなかった話を聴く、
というのが、おもしろくてしょうがなくなった。
自分が、あさはかかどうか、というこを考えている暇がなくなった。

そんなおもしろいことに、今まで気づいてなかったのか、と思って、
過去の自分に、なんじゃそりゃ、と、言いたくなった。

こういうことに気づけたりするので、研修に出るのが、
楽しくてしょうがないんだな~と思う。

真実

人の数だけ真実がある、と言っていた人がいた。
誰にも共通する真実なんてのは、きっと、ないんだろうと思う。

自分の考えていることも、よくわからないし、
他の人が考えていることも、知りつくすことはできない。
ふと思うと、わからないことだらけ。

それでも、できることは、人の話を聴いて、
今感じたことを話す、ということかなと思う。
それを、会話って言うのかな、と思ったりした。

旅行

ここ3年くらい、旅行と研修がセットになっている。

というわけで、松本に5日間行った後、
兵庫の相生(あいおい)に3日間行ってきた。
相生では、肉眼で初めて天の川を見たり、
特大の天体望遠鏡で、4000年前の星やら、木星を見た。

何をした、というのは言えるのだけど、
何を思ったというのは、簡単には言えないものですね。

やっぱり、頭の中が、まだ旅行から帰ってきていないので、
研修セット旅行のことは、これから、ぼちぼち書きたいと思います。

2011/09/22

完璧な人

完璧な人はいない、はずなのに、
そのことを、すぐに忘れてしまう。
話は変わって、
5日間、松本に行ってきた。
どんな5日間だったか、すぐには言葉にできそうにないので、
これから一つ一つ、機会があったら書いてみようかと思う。
あそうだ。
一つだけ今書けることがあった。
「今まで自分を支えてきたものは何ですか?」
という質問を聞いて、いろんな想像が膨らんだ。
私を支えてきたものは『思い出』かもしれないと思った。
今がいいと、思い出も楽しいものに変わっていく。
楽しくない思い出も、自分の考えや気持ちが変われば、
楽しい思い出に変化していくように思う。
思い出には、一緒にいた人がいて、場所があって、その時の感覚があって、
たくさんの人が一緒にいたとしても、みんな感じていることは違って、
思い出だけは、私だけが思っている特別な感覚なのだろうと思う。
過去の事実は変わらないのに、思い出だけは変わっていく。
おっと、タイトルと内容が、合ってないですね。
文章をまとめられるほどの、落ち着いた心が、
まだ旅から帰ってきてないみたいです。

試し投稿

携帯からアップすると、どんな感じ?

2011/09/14

直感

自分の直感は当たる。
と思った。

なんでそう思ったかは、忘れてしまった。
あ、思い出した。

ここで働くのは大変ですよ、と言われても、
そう思わないで楽しく働けることが多いから。だった。

「ああ、楽しい~」と思ってやっていることは、
はたから大変にみえても、自分にとっては大変でもない。
自分の直感は大切にしていこうと思う。

2011/09/13

脚本家になりたい人の気持ち

「砂の器」が、テレビでドラマ化されていて、
2夜連続を楽しみにして見た。のだけど。
ちょっと期待外れだった。

てな文句は、いくらでも簡単に言えるので、文句を言う。
すごく期待してたのに、がっかり。。。
戸籍を変えてまで生き延びないと道がなかった少年の葛藤に、
なんとも言えない惹かれるところがあって、そこを見たかったのに、
薄っぺらいような理由になって描かれていた。

小説をドラマにするのは、すごく難しいんだな~と思った。
自分が見たいような映像を見るためには、
まず自分で脚本を書くしかないのかな~と思った。
脚本家になりたい人って、こういう気持ちなのかな?

自分でもし脚本を書くんだったら、と思いながら、
もう一度、砂の器を読み始めてみたけど・・・
難しいもんだなと思う。

2011/09/10

お葬式のお弁当

1年に数回しか会わない母と、ここ数年あいさつ代わりになっている話題。

母 「うちは、もう死んだと思ってや。もう死んだ、もうおらん。」

クロコ 「えっ、まだ死んでないやん。」

母 「もうすぐ死ぬわ。」

クロコ 「ほな、死んだら葬式せなあかんな。

 来てくれた人に出すお弁当、松・竹・梅どれにする?」

母 「竹」

クロコ 「竹やと海老フライ、入ってないかもしれんで。」

母 「海老フライ、あったほうがええな。」

クロコ 「ほな、松やな。でも松は高いんと違う?」

母 「そうやな。ほな、梅でもいいわ。」

クロコ 「どっちにしても、おかんは死んどるから、食べんやろ。」

母 「ほんまやな。ふふふ。」

てな会話をいっつもしているな~と、今日、電車に乗りながら思った。
実際に弁当の松竹梅を選ばなければいけない日が来ないといいな、
と思う。

2011/09/06

言葉

たくさんの文字を見ると、圧倒される。
何を書いてあるか、わけがわからないと思った時、
3回読み返せば、何かが見えてくるというのを、小さい頃に聞いて、
確かに3回読むとなんとなく、何について書いてあるのか分かってきて、
おもしろいもんだな~と思うことが多いので、
今でも分からない時は、3回読むようにしている。

3回読み返す余裕がない時とか、3回読んでもわからない時は、諦める。

話だと、もう1回言って下さい、もう1回言って下さい、と、
3回聞きなおすわけにもいかないので、難しいな~と思う。

自分が何かを言葉にする時に、だだだだと言葉が多くなってしまう時は、
自分でも何を言いたいのかわからない時のような気がする。
とりあえず、何か言ってみたくなる時がある。
あれ?もしかして。
自分でも言いたいことを3回言ってみられたら、
自分の言いたいことが見えてきたりして?

2011/09/04

転機を感じる

まちもさんのコメントを受けて思い出したこと。
過去の自分を振り返って、あの時に、よく転職したよな私、
すごいな~過去の私、と、ふと自分を誉めたくなった。
というのも、転職すると決めて、実際に職を変わってから2年くらいは、
今から思うと、やっぱり大変だった。
できれば、もう転職はしたくないと思う。

転職って転機だった?と思った時に、そうじゃなかったかもと思った。

自分にとって一番自然な流れで一番したいことを選んだだけだった。
こういう選択が出来たのは、考えや感じ方が変わった、
あの瞬間があったおかげだったなと思った。

自分の転機を感じないように生活すれば、もう転職しないで済むかもしれない。

その代わり、自分にとって一番自然な流れで、
一番したいことを選んで生活する楽しみは、なくなるかもしれない。

2011/09/03

希望を感じられること

本当の自分は、暗くて何もできない人、と思うか、
本当の自分は、明るくて、なんでもやればできる人、と思うかで、
自分で選ぶ道が、ものすごく変わると思う。

何年か前に、根底に思っている自分へのイメージが、

180度変わった瞬間があった。

人と話をして失敗した、余計なことを言った・・・と思って、くよくよすると、
嫌われたかもしれないとか、怒らせたかもしれないとか、
余計なことをどんどん考えて、人と話をするのが怖くなる。
会話は失敗するものだし、そんなことよりも、話をしたい相手と、
どういう風な関係になっていきたいか考えられたら、次に話す言葉が、
自然と出てくるようになるのかもな、と思った。

先月、そんなことを思うきっかけがあった。

こういう希望が感じられる瞬間を、転機って言うんだろうな、って思う。

コメントありがとうございます。

コメントに返信しようとしているのですが、
どうしても、コメントを投稿できません(汗)

まちもさん、毎度ありがとうございます。

2011/09/02

雨が降ってほしい時のおまじない

ズーボルテルテ。
雨が降ってきてほしい時のおまじない。
ちなみに、ズーボルテルテをいっぱい飾ると、
台風が来るそうです。
明日台風が来て学校が休みになればいいのに・・・と言っていた中学生に、
「台風が来る呪文でもあったらいいのにね」と冗談で言ったら、
おまじないはあると教えてくれました。

なんのことかと思ったら、

てるてるぼーずを逆さにつるす、だそうです。

2011/08/30

昨日の夜、寝る直前に「School of rock」のDVDを見たら、
夢に出てきた。

すごく楽しかった。

思っていることが映し出されるのって、
寝てる時に見る夢も将来したいことの夢も、
同じなんだ~と思った。

2011/08/27

雨の日の楽しみ

雨の時には、なるべく家にいたい。
雨の音のおかげで、いつもはできないことができる。

いつもより大きな音で音楽を聴く、とか、
いつもより大きな声で歌う、とか、
いつもよりDVDを大きな音で見られる、とか。

いつもより気兼ねしないで好きなことができるので。

雨の日にでかけるのは、おっくうだけど、
雨の日に出かけないでいい時は、すごく得した気分になる。
次の雨の日は、何をしよっかな~。

2011/08/25

背中を押された言葉

「とりあえず、やってみたらいい」

今までしたことがないことをしようとすると、
本当に自分に出来るのか?と、まず自分を疑いたくなる。

やってみると、意外とできることも多かったもんな。
と、一瞬思ったけど、
できなかったことは、都合よく忘れただけかもしれない。

緊張することは楽しい

人前で話す、ライブに行く、仕事に行く、人と会う、時間通りに到着する、
毎日、どれもこれも、よく考えたら緊張することばかり。
緊張することがなくなったら、すごく楽なのかもしれないけど、
つまらないだろうな、と思う。

続けることは難しい

「下手だね」「才能がないね」「向いてないね」と言われることがある。
そんなことは言われなくてもわかるから、言われたくない。
しかも、言われると気になる。
そんな言葉を気にしないで続けてみる、って方法も
あったんだな~と時々思うことがあるけど、
自分が苦手だと思っていることをやり続けるのは、すごく難しいと思う。
はずかしいとさえ思わなければ、何でもできるのかもしれないけどね

2011/08/23

偉そうな人は偉くない?

始めて会った瞬間に「ああ、この人が上司だ」という雰囲気をプンプン匂わしている人がいる。
逆に、紹介されないと上司だと気がつかないような人もいる。
前者の上司は、嫌味だったり、焦っている時に限って口出しされて、余計に焦らされたり、
だんだんイヤな上司だと思うようになってくることが多い。
後者の上司は、思うようにやってみてダメだったら責任をとるからと、
自由に仕事をさせてくれて、この人の下で働けて良かったなと思うことが多い。
一見偉そうな人=要注意人物、というのは思い込みかもしれないけど、
この直感が、また当たった。

2011/08/22

その時は本当に嫌いなんじゃない?

仕事をしていて、子どもから「きらい!!!」と言われることがある。
ある人にその話をした時に、
「その時は本当に嫌いなんじゃない?その時は、ね。ただそれだけ。」
と言われた。子どもに嫌われているのか…と思って、ショックだった。
その言葉に、ひっかかっていた。2年くらいずっと。
今日ふと、その時は本当に嫌いでも、その一瞬が過ぎれば好きに変わるかもしれないし、
瞬間的にきらいと言われても、嫌われているってこととは違うのかも?って思った。
子どもに嫌われたらおしまいと思ってたから、
嫌われているわけがないと思いたかったのか、私は。
その人は、気にすることないよ、と言いたかったんだと今頃気がついた。
また会いたいなと思う。久しぶりに電話してみようかな。

必要とされる感じ

「必要とされている」と私は感じていたとしても、
その人が本当に、私のことを必要かどうかはわからない。
楽しいな~と感じた時に、必要とされていると感じることも多いなって思う。
自分が楽しいと感じられたり、必要とされていると思えるかどうかが、勝負と思う。

2011/08/19

ブログを始めてみます。

今日は、これから遠出をするので、早起きしました。
家の中から朝やけをみました。きれいだった。
おっと、こういうのを写真に撮っておくといいのか!
今朝は、十代の頃に、渡辺美里のラジオでハガキを読まれたくて、
毎週ハガキを書いていたことを思い出しながら起きました。
また、思いついたことを、つらつら書いてみようっと。