夜行バスに乗るとワクワクする。
高速道路に入ると、バスが真っ暗になる。
運よく窓側の席になると、カーテンに頭を突っ込んで、
高速道路から夜景を見ながら、音楽を聴く。
通路側の時は、夜景は思い浮かべるだけになるが。
この時間が、たまらない。
頭の中を、いろんなことが行ったり来たりして、
知らない間に心地よく眠っている。
実家に帰る時に、父がいた頃は、
夜行バスを降りると必ず迎えに来てくれていた。
朝早くて薄暗くても、夜でも、父の車は、
ピカピカしていてよく目立つ。
小学1年か2年の頃に、父の運転するトラックに乗って、
「小松」という所に行ったことがあった。
その時が生まれて初めて、夜行の車に乗った時だった。
鉄工所に務めていた父は、車の運転が得意で、
鉄鋼を運んで、トラックを運転していた。
大きなトラックが動くのが、すごいと思った事以外は、
途中で食べたラーメンがおいしかったことしか、
その時の記憶はない。
実家にいた頃、父と母と遠出をする時も、必ず車で夜出発だった。
リタイヤしてから、家でイライラ、ウロウロしている父を見かねて、
母が「車を買おう」と言いだし、うちに車がきた。
父がだいすきな、あずき色で玉虫のように光る軽ワゴン。
自分の自転車も、毎日磨いてピカピカにしていた父は、
毎日のように車をピカピカにして、本当の玉虫のようになっていた。
毎日磨くのは大変だろうから洗車に行ったら?と聞いたことがあった。
すると、「洗車をすると車が汚れるからイヤ。」と言っていた。
ピカピカの車で、誰かを送る、という用事を作っては走っていた。
父の生まれ故郷は東京で、法事があったりすると、
500kmの道のりを玉虫の軽自動車で、夜走った。
軽自動車でも、トラックと互角に高速道路を走っていた。
私はいつも助手席で、地図を持たされた。
助手席に乗る人は、車の修理と道案内ができなければいけない、
というのが父の持論で、
単純に前がよく見えるから助手席に乗りたかった私も、
助手席に乗るために、仕事を覚えなくてはいけなかった。
さすがに小学生に修理はさせなかったものの、
車のエンジンの仕組みや、工具の使い方、
四駆の活躍する道はどこか、軽自動車がいかに効率がいいかという話、
燃費のいい運転の仕方、雪が降った時の対処から、
高速道路での車間距離の取り方、標識の見方まで教わった。
というより、父が一方的に話してきた。
車を運転するには、こういうことを覚えておかないと、
自分が困る事になると、聞かされていたので、
18歳で自動車学校に行った時に、故障車を直せなくても、
車に乗ってもいいと聞いて安心した。
しかも兄に聞いたら、今はJAFがあるから大丈夫、
父の時代には自分で直すしかなかったらしいよ、と教えてくれた。
今も、夜行バスに乗ると、父のことを思い出すことが多い。
「バスに乗ったら運転手さんが見える位置に座って、よく見て運転を覚えなさい」
という父の教訓は無視して、カーテンに頭を突っ込んでいるが。
昔から車のことを聞いていた割には、私は運転が下手で、
誰かに運転してもらって乗る方が、断然すきだ。
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