2011/10/08

他力本願

ふと思い出した。

小学生の頃、両親と車で、三重のお寺に日帰りで行った。
小学4年か、5年くらいだったと思う。

お寺で住職をしていた母方の遠い親戚のおじさんが亡くなって、
お葬式に出ようという話になったのだと思う。
母も小さい頃に会っただけで、父はそういう親戚がいるのも、
知らなかったようだった。
でも、連絡をくれたんだから行こう、となったのだろう。

子どもの頃は、学校を休んで車で出かける、ということだけで、
ウキウキしていて、どこに行くのでも楽しかった。
父も、車の運転ができるからか、少しウキウキしていたように思う。
長距離トラックの運転手を長年して、引退したばかりだった父は、
車を運転するのが大好きだった。
だけど、用もないのに車を走らせるということができず、
いつも車で出かけるのは、お葬式、お通夜、たまに結婚式。
時々「学校なんか休め。お父ちゃんとでかけよう。」と言ってきた。
必ず横で母が聞いていて、たしなめられていた。
私はがっかりして、学校が休みの日に遊びに行くと父と約束をした。

ルパンの銭形警部と同じ、昭和3年生まれの父。
そのくらいの年代の人は、みんなそうなのだろうか?

話を戻して。
父は、車で出かける前日は、いつも、虫眼鏡で地図を見て、
家から目的地までを、何回も行ったり来たりする。
夕食を食べた後から寝る頃まで、ずっと虫眼鏡をもっていた。

三重のお寺までは、実家から車で5~6時間くらいかかったと思う。
車のエンジンをかけて出発する時に、
父がウキウキしていると、一瞬車がふわっと浮く気がした。
三重に行くときは、ふわっとはしなかった。
ああ、今日は遊びに行くのでなくて、お葬式に行くんだったと思った。

お寺の近くまでは順調に進んだ。
そして、いつもの通り、あと少し、という所で迷う。
地図に載っていない道に入ると、父の勘で走る。
カーナビも携帯電話もない時代には、それが当たり前だったんだと思う。

車で田んぼ道をウロウロしても、お寺らしきものはない。
父が「お寺は大きいから見える。見逃すなよ。」と言うので、
母と私で、周りをキョロキョロ見ていた。
どこまでも、田んぼと、すすき畑しかなかった。

お葬式の時間が近づいてきたのか、せっかく来たのに遅刻だと、
母が焦り始めたのがわかった。
ここでいつもの夫婦ゲンカと思った時のことだった。

「他力本願」と父が言った。

私も母もあっけにとられて、私は「どういう意味?」と聞いた。
「亡くなったおじさんが、お葬式に来てほしいと思ったら、
道がわかってお寺に着くし、もし、来てほしくないと思ってたら、
お寺に寄らないで帰れっていうことやから、帰ればいい」

私も母も、ああそうか、という雰囲気になった。
「大人ってすごい」と思った。
肝が据わっている、という言葉を聞くと、今でも、
この時の父のことを思い出す。

それからしばらくして、お寺に着いた。
遠い親戚の人々には「遠くからよく来てくれましたね」
と、何回も言われた。

その時に、お寺の前で撮った写真が、
アルバムのどこかに残っているかもしれない。
今度探してみよう。

0 件のコメント:

コメントを投稿