おもしろかった。
出会うべくして出会うということって、あるんだな~と思った。
説明できる気がしないので、言われたことを思い出して、そのまま書いてみます。
武術ですが、動くことよりも説明の方が長いです。
いろいろ追及していったら、見た目あんまり武術じゃない感じになりました。
という、前置きの話から始まった。
・「こうしなければならない」という考えが、一番自然な動きを邪魔する。
・もうすでに、自分の体を使っていて、自然と歩いて、ここまで来ている。
・体を100%使えばよいだけ。
・意識をしていないだけで、すでに自然に動いている。
・一番動きやすい動きって、どんな動きだろう?
実際に、手を前や横に動かすという簡単な動きをしながら、
ちょいちょい、話が付け加わっていきました。
動きをマネするではなく、動きが体にどう伝わっていっているか、
体が常に準備(いつでも足踏みできる状態)になっているか、
というようなことを、感覚として掴んでいく感じかな?と思いました。
・体の機能、あるものは全部使ったらいい。
・ぼーっとするでもなく、何事もないように振る舞っている余裕もない、常に必死。
・自分の体を充分に使えているか。
・手の動きを感じてみる。
・体全体を使っていると、手だけを動かしているつもりでも体のどの部分も動いている。
・体のどの部分かが止まっていると、ぎこちない動きになる。普段はそんな動きはしてない。
・誰かに腕をつかまれると、体が身構えるのは当然。
・相手がこう来るだろうから、こう避けようというのは、過去の幻想にしがみついているだけ。
・相手にここに打ってきてほしい、というくらいなら、殴らないでと言った方がいい。
・どこから攻撃があったとしても避けられる、どうのようにも動けるような。
・1点を意識してしまうと、とっさの対応ができない。自由な動きはできない。
・自分の体、手とか足とかはいつも仲良しなので心配することない。
・力を込めたくなるのは、自分の力を信じられない時。
・力を入れると弱くなってしまう
・自分の感覚
・何もはっきり区別できるものはない。
・緑の中にいると自然っていいな、と言うが、自分の体も自然。
・体のどこかが動かないなら動かないなりの最大限を。
・手を天井にと言われた時に、出来ているかチラッと確認するのは到達していない証拠。「うまくできたかな?」と確認するのは、その瞬間過去に縛られている。
・ネコに近づいた時に、ネコが身構える姿を思い出して、そのイメージで。
・急に気がついてパニックに、ということがないように、いつも、準備している感じ。
・いつ何が起こるかわからない、という危険はいつもある。
・災害などがあると、そのこを教えてくれる。
・平和ボケをするような幸せな環境にある、というのはありがたいことでもある。
・自然にできている=自覚がない。
・実感がないから、うまくできた、というのがわからない。
・なので出来た時に、どうして出来たというのは考えなくてもいい。わからないから。
・今動いている感覚だけ。
・とても強い力を出して相手に殴りかかって、相手に避けられると、ダメージが大きい。
・力で押す時は、相手が押し返す力がないと、その場に留まれないし、相手が引いていまえば前につんのめる。
・力を使うということは相手に依存しているのと同じ。
・「問題」に頭で考えて解決をしてしまうと、また新たな問題が増えるだけ。
・相手に押されると押し返してしまう、というような自分の「問題」は、気づいた時点でほぼ解決。
・「問題」が全く解決しないのは、気づいていない時。
・歩き始めた子が体全体を使っている時、自分の機能をフルで使おうと試している。
・その時の楽しさの記憶はなく残念だが、その時の感覚を、味わいなおそうとしている感じかも。
・武術というのは、常に危機の状態。
・避けなければ死んでしまうという時にする行動。
・相手を傷つけることが目的ではない。
・おそらく見ている人は、どこが武術ですか?と思うだろう
・こういう会に来る人は変わった人、まあ、変人です。変人と思っておくのもいいでしょう。
・夜更かしした次の日、2時間遅く起きるというのが体の自然な流れとしても、2時間遅刻して仕事に行くというのは難しい。そういう世の中で生きていく、ということも前提としている。熟練した人々もそのズレには苦労すると言っている。
何かを追及するのが楽しくてしょうがない人の話はおもしろい。
先生に、韓氏意拳を始めたきっかけを始めたきっかけを聞いた。
そしたら。
もともと武術を習っていた師匠がいて、その人がある講習に出て帰ってきたら、
急に「今まで教えたのはウソでした。解散します」と言い、
興味のある人は、こっちを一緒にやらない?と誘われて行ったのが韓氏意拳だった。
というのも、なんと魅力的!と思った。
東中神という初めて降りた駅は、人がわんさかいる駅から、3つくらいしか離れてないのに、
生まれ故郷にある駅に似ていて、そこをちょっとにぎやかにした感じだった。
おばあちゃんが、駅前で座って井戸端会議をしていたり、
ちょっと歩くと、木枠の窓の家があったり、ほっとする感じだった。
駅前で、おばあちゃんが売ってた、大根やら玉ねぎは、帰って食べたらおいしかった。
ばあちゃんの話は長い、っていうのも久しぶりに味わって、
なんとも、おもしろい日だった。
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