2014/09/07

 学ぶということ

亡き父の誕生日、お墓参りは行かないまま、1か月が過ぎてしまったけど、
一つ、父との思い出を文章に残したいと思う。

小学生のころ、休みの日には父がよく車で、いろんな所に連れて行ってくれた。
海や琵琶湖が近かったので、景色のいい所をドライブしたり、
一滴文庫という所やら、神社やお寺もそこらかしこにあって、
一言神社やら姫神社彦神社には、何回も行った記憶がある。
そんな中で、大飯の原発PRセンターも割と近くにあって、何回か行った。

PRセンターは、入ると電気がついて、とても驚いた記憶がある。
田舎では「すいな建物」と表現する部類に入ると思う。
子どもにもわかるように、原子力の仕組みが模型で紹介されていた。
爆発するとすごい威力なので、ちょっとだけ爆発させている、
ちょっとの爆発で充分、生活できる電気が出来る、
という説明があって、なんか怖いなと思った記憶がある。
爆発をコントロールなんてできるんだろうか、と思った。
でも、実際に今コントロールしている、と聞いて、驚いた。

「危なくない?」と父に聞いたら、
「わからない」と言っていた。
何を聞いても、「さあな、どうなんやろな、わからんな」
と言っていたような記憶がある。

入ると自動で電気がつく意外に、あんまりおもしろかった記憶はなかったけど、
父と遊びに行くドライブは、時々PRセンターが入っていた。
そのたびに、ちょっとずつ私は、そこで何かを見ていた。

特に、父は私に何の説明もしない。
いい、とも、悪い、とも言わない。
感想も何も言わない。
ただ、その場に連れていっているだけ、という印象だった。

小学校では、原発が爆発したら、福井県の人は県外に出られなくなる、
ガチャンと柵がおりて、周りに空気が漏れないように、
人も出られないようになるんだ、というウワサが広がったりしていた。
そんな話を父にしても、ドライブでPRセンターに時々行く、というのは変わらなかった。

原発のない市に住んでいたので、冷房なし、煙突ストーブが当たり前だと思っていたら、
原発のある町村の学校は、小学校から冷暖房完備だったと聞いて、
うらやましかったのも覚えている。

中学校の頃、ニュースで原発のことが批判されているのも見たし、
同級生の親が、原発で働いているというのも、聞いたりした。
仕事のない田舎で、食べていくのは大変だ、と母は言っていた。

そういうことについても、父に話したが、いい、とも、悪い、とも、
何も言わなかった。
中学生の頃は、はっきり意見を言わない父を情けないなと思ったりもした。
でも、今思うと、何も言われなかったから、いろいろ感じることができたのかもしれない。

批判も称賛もしないで学ぶ場を作る、というのは、とても難しいことなのかもしれない。


ある時、PRセンターの帰りに、一滴文庫に寄った。、
東京から来ていた、見知らぬ老夫婦が、父に写真を撮ってと頼んでいた。
父は写真も大好きで、人と話をするのも大好きだったので、
喜んで写真を撮っていた。

ちょっと明るいおばちゃんと、無口なおじさん。
おばさんは、死ぬ前に一度来てみたかったとキラキラ話していた。
最後に一緒に写真を撮りましょうと、おばさんは言って、
無口なおじさんは、カメラマンになっていた。
東京には何でもあると思っていたので、人が誰もいないような、
古い家を楽しみに見に来るなんて、変わった人もいるもんだと、思った。
写真を送りたいからと住所を聞いていて、
後になって、本当に写真が届いた。
今も、たぶん昔のアルバムに残っている。

学ぶって、思いがけない。
ひょんなことから、ふいに学べることもある。
楽しい。
眉間にしわを寄せなくても、眠気を我慢しなくても、大切なことを学ぶことはできるんじゃないかと思う。


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