今月の始め、1週間ほど遠出をして、懐かしい人々に会ったり、
山の中を歩いたり、川を散歩したり、ぼ~っとしたり、
話をしないで1日過ごしてみたり、ゆったり話をしたり、
ゆっくり朝ごはんを食べたりした。
予定の詰まっていない、ゆったり流れる時間。
体の疲れが、ささ~と抜けた感じがした。
帰って来てから、今までは感じないようにしてたつもりの疲れを感じるのか、
疲れるのだけど、そうだよな、と、どこかで思っていたりする。
無理をしてるつもりはなかったけど、どこか無理をしてるんだよな。
体は正直なもんだ。
シェイカーズという、共同生活をしていた人々のコミュニティの跡も見た。
昔から、人はいろいろ考えて、いろんなことを試してきたんだ。
完璧ってのはありえなくても、人が生活するのに、どうするのが一番無理がないんだろう?って、
一生懸命考えて、試してきたのかもしれない。
本当に体がのびのびする暮らしって、どんななんだろう。
そういうことを、じっくり考えるのも悪くない。
ま、でも、実際に考え出すと、そうは言っても無理じゃない?
ということが、すぐに頭をかすめて難しいのだけど。
できるかどうかは別にして、こうだったらいいのかな?
って考えるだけなら簡単なはずなのに、
全くできそうもない、とか、今は無理だ、とか、お金がかかる、
な~んて、頭に少しチラつくだけで、考えが止まってしまうのが不思議。
山の中で、太鼓をたたいたのが、つい、昨日のことのような気もする。
あの、のびのびとした、なんとも言えないふわっとした感じ。
今も時々思い出す。
頭は、何にも考えてない時の方が、柔軟で、
こういう感じがいいって感覚も、研ぎ澄まされているんだろうな。
普段は、いろんなことで、頭がいっぱいだから。
たまには、頭をからっぽにしないと、
「何かしてみようかな」という気持ちも、どんどん消えていく気がする。
川の流れる音を、目を閉じて聞いてると、
水の中をプカプカ浮かんでいるような、心地よい感じだった。
しかも、川を遠くで見ている時と、近くに行ってみるのと、全然違って驚いた。
都内で川の音があるか?と思っていたけど、
帰って来てから、近くの公園とか、意外に水の音が聞ける場所をみつけて、
あるもんだ!と、それも驚いた。
たまには水の音を聴いて、頭をからっぽにしたいなと思う。
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