20歳の時に、すごく驚いたことがあった。
当時、私は大学2年生だった。
夏休みになり、いつものごとく福井県小浜市の実家に帰省した。
兄や姉は、実家を出ていたので、家には両親だけがいるはずだった。
だけど、なんだか、家の様子がいつもと違った。
その日帰ると、今まで会ったことのない、おばあさんが家の中にいた。
お客さんが多くくる家ではなかったので驚いた。
母親とそっくりだったので、親戚かもしれないな、と思った。
ふんわりした優しい口調で、「こんにちは」と言われたので、
私もつられて、「こんにちは」と返した。
そして、キティーちゃんのハンカチをくれた。
玄関に『里枝』とマジックで大きく書かれた、
小学校で履くような上履きが置いてあったので、
そのおばあさんは、里枝さんというんだな、と思った。
母は、いつもより、ピリピリしていた。
父が何気なくいつものように言った冗談に、
「お姉さんの悪口、言わんといてな」と母は怒っていた。
今まで誰にも言えなかったことを、父にぶつけているようだった。
両親は、その里枝さんについては何も言わないまま、一晩過ごした。
翌日になると、里枝さんは両親とどこかに出かけて行き、
里枝さんは、もううちには、帰ってこなかった。
帰ってきた母は、急に里枝さんのことを話始めた。
里枝さんは母の姉で、25歳くらいまでは小浜市内に住んでいて、
警察で事務の仕事をしていたらしかったこと。
25歳くらいの時に何かがあり、舞鶴の方にある病院に入院したこと。
ずっと病院にいたが、65歳近くなるので、
小浜市内の老人ホームに入れば、他の人に変に思われずに、
小浜に戻ることができるから、老人ホームの見学に行ってきた、ということ。
なんじゃそりゃ?と思った。
母に姉がいる、というのも、初めて聞いたことだった。
なんで、そんなに長く入院してる?優しそうな人やね?
と聞いたら、
母は首をかしげて、ちょっと考えて、
「20歳の子に、キティーちゃんのハンカチは、ちょっとずれとるんかな?」
と誰かに質問するように言い、さらにこんな話をしていた。
里枝さんが25歳の時のことを、みんなが覚えてるから、
なかなか小浜へ戻りにくく、「そういう姉」がいると知られると、
母自身が結婚できないかもしれないと周りの人に心配されたこと。
でも父は、里枝さんのことを知っていて、母と結婚したこと。
あんなに頭の良かった姉が、どうして病院に入ってしまって、
今、こういう状況になっているのか、理解できないような感じもあった。
小さいころから、口癖のように母がよく言っていた言葉
「そんなことすると、変やと思われるよ」
そう言っていた理由が、少しわかった気がした。
私の兄姉も、里枝さんと会ったことはないらしく、
里枝さんの話をしたこともないらしかった。
私の帰省と、里枝さんの帰省が重なったのは偶然で、
日程をずらそうかと思ったけど、なんとなく、
まあ大丈夫かな、と思った、と言っていた。
里枝さんは、40年近くも病院にいる必要があったのだろうか?
それからまもなく、里枝さんは、小浜市内の老人ホームに入り、
私はたまに帰省すると、父と老人ホームに一緒に面会に行った。
父は、すごく楽しそうに老人ホームに行っていた。
1週間に1回くらいのペースで、差し入れを持って行っていたらしかった。
里枝さんのために、何かしたいとずっと思っていたのが、ようやくできた、
という感じだったのかもしれない。
大学を卒業して、私は偶然、精神科のケースワーカーとして働くようになった。
そこで初めて、里枝さんが入院していたのは、精神科だったんだと思った。
そして、里枝さんと同じような人がたくさんいることを知った。
うちの家だけだと思っていたので、驚いた。
長い人では50年近く、精神科に入院している人もいた。
このようなことが、全国各地で起きているということも知って驚いた。
たくさんの人が不幸になっているように感じた。
何とかしたい、と思ったものの、あまりにも根が深いように思い愕然としたし、
結局何もできないのだろうかと思い転職したり諦めたりしてきた。
けど今は、自分でやれることだけ、やってみればいいか、と思う。
いろいろと、偶然知ってしまったことではあるけど、
少しでも、なにかできたらいいな、と思う。
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