初めて学童で働き始めた時に1年生だった子たちが卒業を迎えたので、
お見送りに行ってきた。
みんな大きくなっていた。
何年も会ってなかったのに、顔を見たら、あんな話をしたなとか、
こんなことで泣いてたな、とか、いろんな記憶がよみがえってきた。
くるくる一人で回っていて、何してるの?と聞いたら
「空気と遊んでるの」と楽しそうにしていた子も、
まだ遊ぶから帰りたくないと、校庭の隅っこでうずくまっていた子も、
順番ねと言っても、割り込んで先におやつを持って行ってた子も、
きちんと並んで卒業式に出ていて、、、
こういうのを成長と呼ぶのかな、と思ったとこで疑問が湧いた。
ちらっとのぞいた卒業式では、
校長先生が立った途端に、一斉にみんな起立したり、
順番に一人ずつ、卒業証書を受け取るという恒例の儀式。
誰も目立つこともなく、同じように式を進行していて、
何回も練習したんだろうな、というのが伝わってきた。
自分が小学校の卒業式に出たときのことを思い出した。
みんなと同じように、きちんとできることが大人、なような感じがしてたこと。
こういう風に、きちんとできることが成長、と言われてきたこと、
でも、それって。
それって本当にそうなんだろうか?
成長するって、なんなんだろう。
得体のしれない違和感を感じながらも、
6年生別れの言葉と歌を聞いてたら、泣けてきた。
小さい頃の顔がちらつく子たちが、
急に大きくなって、どっかにいってしまったような感じっていうか。
式の後、学童の頃にみんなでワイワイ遊んでいた子は、
いろんな人と写真を撮ってはしゃいでいて、
相変わらずだな~と、ボーッと眺めていたら、
1年生の時に、友だちとのことで話をして、すっきりしないまま、2年になったら学童にあまり来なくなっていた子に声をかけられた。
仲のいい子とケンカをした、仲直りをするにはどうしたらいい?と聞かれて、
どんなことが起こっているのか、ああだこうだと、話を聞いて、
何か方法はないか、いろいろ話をしたけど、結局アイデアが出て来なくて、
「解決しないね、しょうがないか」という曖昧なまま終わった話は印象的だった。
ケンカしたけど、自分の言いたいことは伝えたかったから、あのケンカはしょうがなかった、仲直りしたい気持ちはあるけど、友だちはすごく怒っているから難しい。
困ったことがあったら大人に言ってって言うけど、大人に言っても解決しないよね、と。
特にしたい遊びもないし、つまらない、と言っていた。
すっきりしなかったこの話は、今でも覚えている。
なんなんだかなあ、と。
何とも言えない後味。
どうにもならない現実は子どもにも襲ってくる。
今思うと、それを7歳で正面から受け取っていたのかもな、と。
力強かったんだな、と。
その時は、なんだか子どもらしくないことを話す子だな、
何もしてあげられなかったな、と思っていた。
声はかけられたけど、特に話はないみたいで、
1年生の頃によく学童にきてたよね?と聞いてみたら、
そうそう、たしか2年生になって、友だちと遊んだり留守番をできるようになったから、学童は行かなくなったんだ~と。
そして、中学校に行ったら部活入るの?と聞いてみた。
「バスケ部に入るんだ~やってみたかったから」と
ちょっと下を向いて、でも、にこっとして楽しみにしているのが伝わってきた。
ちょっと驚いた。
やってみたいことができたんだ。
相変わらず、はしゃいだ様子もないけど、これからちょっと楽しみという感じがにじみ出る。
なんだか、知らない間に成長したんだなと思った。
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