2012/03/29

送別会

送別会って、残る人のためにあるんだよな、と、
この時期になると思うことがある。

見送る側になった時、別れがたい人が去っていくことに、
しょうがないと気持ちの区切りをつけるのに時間がかかる。
そういうときに、送別会があると、ここまで、と
きっぱり別れやすい。
さらに、この人がいなくなって、この先どうしようか、
という次への話で、残った人の結束力が強くなったりもする。

もう、いち早く離れたいと思うような人を見送る時も、
双方別れるとなると、後腐れなく別れたいという気持ちが出るからか
送別会では不思議と、意外と今まで話さなかったようなことを、
話しできたりする。

今は、そういうことも考えるのだけど。

20代の終わり頃、最初の職場を退職する時は失敗した。
イヤなことがたまり過ぎての退職だったということもあって、
「送別会はしないでください、迷惑です」
と言いきって、飲み会にも一切出なかった。
腐った組織にいる人が、みんな腐った生活をしているように見えて、
早くそういう場所から抜け出したかった。

全く会っていなかった上司から、数年後に、
「なにも力になれなくて、今でもすまないと思っている」と、
年賀状か、メールをもらった時に、しまったと思った。

新卒で礼儀も何もわからない私に、電話の取り方から、
自分の判断で人のしたいことを決めない、ということまで、
一つ一つ教えてくれた上司だった。
人手が激減している中で、私が風当たりなく
気持ちよく辞められたのは、この上司のおかげだと思う。
その上司が、私に悪いことをしたと、ずっと思っていたとは。。。
そういう話をする機会も閉ざしていたとは、気が付かなかった。

送別会は、自分で企画してでも、お世話になった人に、
ありがとうございました、と言うべきだった・・・と思った。

見送られる側の送別会って、
花をもらったり、お礼を言われたり、こっぱずかしいし、
でも、残る人たちの次への会話には入れないという、
独特の疎外感を感じたりもするので、居心地は悪い。

それでも、送られる側になったら、
送別会は必ず出席したいと思う。

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