2012/01/09

ほっこり違い(ラジオ完結編)

新年早々風邪をひき、
治ってすぐに、田舎に帰ってきた。
つまみのとれたラジオと、新しい乾電池を持って、
母に会いに行った。

つまみがとれているけど、電池を入れれば電源がつくと伝えた所、
「新しいのはいらんよ、それでいい。何か聞こえればな。」と母。

・・・だから、つまみがとれてて、チューニングを合わせられないんだってば。。。
砂嵐しか聞こえないし。。。。。

と思った時に目に入ったボールペン。
ペン先で、つまみのとれた辺りを、
ちょいちょいと、つついてみた。

手ごたえがあった。
局が動いた。

人の声が聞こえる所までたどり着いた。
「それで、ええわ。ありがとう」と母。
ふ~と一安心。

と思った瞬間。
母がラジオをろくに聞いてみもしないで、
ぱっとラジオをベッドに置いた。

その瞬間イラッとして、
「ちゃんと聞いてみなよ!」と口走っていた。

苦労してせっかく聞けるようになったラジオを、
母があんまり大事に扱っていないように感じていた。

ラジオがないと不便だろうか、
新しいのを買った方がいいだろうか、
持って行っても聞こえなかったら、どこに買いに行こうか、
と、今までいろいろ気にかけていたのに、
なんだよその態度、と思った。

こうして、
私「ラジオ聞いてみなよ」
母「後で聞くって」
私「別にラジオいらんかったんか(怒)」
母「はいはい、ありがとう」
私「はいはいってなんや!もう会いにこんからな!!」
・・・
と、いつもの口げんかに発展する。

その時には、ラジオを聞くより、
久しぶりにあった娘と話をしたかったんだろうな~
ということは、全く頭に浮かんでこない。

ひとしきり口げんかして、だんだん怒りも消えて、
「またな」と言って別れる。
また、と言いつつ、また、はないかもしれない。
母と会うのは疲れるけど、別れ際は寂しい。

母に会った日の感想は「ほっこりする」がぴったり。
ほっとしたような感じのほっこりでなく、
疲れたという意味のほっこり。

私の田舎では、「ほっこりする」というのを、
「疲れた」という意味で使う。
ほっこりに、疲れたという意味があることを、
今回、田舎に帰るまで忘れていた。

「ほっこりする」の「疲れた」の中には、達成感というか、
やり遂げた感じというか、できて良かったというか、
そういうようなニュアンスも、含まれているような気がする。

0 件のコメント:

コメントを投稿