2018年4月25日より、移行しました。 今までありがとうございました。 note(ノート) https://note.mu/kuronekokuroko/n/n446abf3d5597
私が小さい頃に、よく母が言っていた困った時のおまじない。
ただし。残念ながら。
そういう人を見かけると
「終点ですよ」
と声をかけずにいられない。
そんなにお節介な方ではないけど、
終点に着いても起きる気配のない人がいると、ついつい気になってしまう。
終着駅について「この電車は車庫に入ります〜」とか、
「折り返し運転になります〜」とアナウンスがなっても、
ピクリとも動かない人を見つけると、少し待ってみて、
他の人がいなくなったかならないかの時をみはらかって、
絶妙のタイミングで「終点ですよ」と声をかける。
声をかける瞬間はドキドキする。
タイミングが悪いと近づいた瞬間に起きてしまい、気まずいこともあるし、
走ってきた駅員さんに、「降りてください」と注意されることもある。
タイミングが重要だ。
こんなにハラハラしながら「終点ですよ」をしているのは。。。
学生の頃、経費を浮かすために、実家まで青春18切符を使って帰った。
東京から実家のある福井県まで、片道2000円ちょっとで帰れる。
べらぼうに安い。
もちろん普通列車だけなので、朝早く出ても着くのは夜。
だぶん16〜17時間はかかる。
普通列車の終点までを何回も乗り継いで行くと、
途中で本当にぐっすり寝てしまう。
終点に着く度に、誰かが起こしてくれた。
驚いたのは、駅員さんに起こされるより、
乗客の人に起こされることが多かった。
しかも、みんな優しい。
普通列車の旅は、乗り換えも急いでだったり、食べ物を調達するにも、お手洗いにも困る。
電車に乗るのは好きだけど、かなり疲れる。
そんな中、終点で起こしてもらえるという優しさは、かなり嬉しかった。
電車で終点についても眠りこけている人を見ると、
ついつい、そんな懐かしい旅を思い出す。
そうそう。
うちの両親は、新婚旅行から帰ってきた時、
電車で二人して眠りこけて、地元の駅の、真っ暗な車庫の中で目が覚めたと言っていた。
新幹線もない時代。
確かに眠りこけるだろうなと思う。
でも。
誰も起こしてくれないなんて、ありえないと思ったけど。
新婚だったから、誰も起こしてくれなかったのかもな。
そういえば、私も「終点ですよ」とつい声をかけるのは、一人で眠りこけている人だけだな〜。
さっきも一人、眠りこけおじさんを起こした。
起きた瞬間大抵の人は「はっ!」と言う。
起こすのはドキドキするけど、
この「はっ!」を聞くのは、結構楽しかったりする。
もっと言うと、正確に思っていることを伝えないと、何も伝わらないんじゃないかと思っていた。
のですが。
あれ?本当にそうなのかな?と疑問がわいてきた。
思いに近い言葉を言えなくても、話足りた感じがすることもある。
一人だと、思いに近い言葉は考えないと出てこない。
しぼり出すようなイメージ。
なのに会話をしていると、
あれあれ?私はこんなことを考えてたんだ!
そうそう、それが言いたかったんですよ
ということを自分でサラサラ言っていて、おどろく時がある。
しぼり出して思いを言葉にしなくても、会話に身を任せたらいいだけなのかもしれない。
そんな楽な話だったのか。
身を任せてもいいな、と思えるかどうかが、カギってことか。
という話を、中学生と話している時にした。
そうしたら
「感想だけなら、お題があってもなくても一緒ですよ。自由に書く時と同じで、その時に思ったことを思い出して書けばいいだけじゃないですか?」と言われて、なるほどと思った。
それでついでに、文章を書くのが苦手だから、入試の小論文も就職の時の課題文も苦労したと話してみた。
そうしたら、
「それはまた違いますね。お題の内容についてまず知ってないと書けないので、まず知ることからですね」と言われ、確かに、と思った。
さらについでに、今も職場で、イベントの企画書をかくのに苦労していると話してみた。
そうしたら、
「私、そういうの書くの大好きです。まず内容を書いて、注意することを書いて‥云々」と言うのを聞いて、得意なことは年齢関係なく得意なんだなと思った。
苦手なことを苦痛を感じながら続けるよりも、得意な人の知恵を借りれば、すごく楽に考えられるもんだなと思った。
得意なことって、何の苦もなく思い付くこととか出来ることなんだな〜。
しかしまあ。
勉強が苦手なはずで、私が一応教える形になっているのだけど。
逆でもいいか。
もう来なくていいよって言われるまでは。
なんとなく、人の役に立っていないと、いけないんじゃないか、
と思っていた時期もあった。
ひどいことをしてきたのを帳消しにしようとして、
人の役に立っているような仕事を選んでいた頃もあった。
人の役に立つことを、いきり立って探そうとしていた時もあった。
今は、いきり立って人の役に立つことを探すより、
人を追い詰めない物言いを心掛けるのが、
人の役に立つような気もしている。
今頃になって、冬服は意外とかさばることを発見。ついでに押せばかなり小さくなることも発見した。
イメージでは余裕で入ったのだけど。次回はもっと早く準備を始めようっと。
ふと思い出した。
母 「うちは、もう死んだと思ってや。もう死んだ、もうおらん。」
クロコ 「えっ、まだ死んでないやん。」
母 「もうすぐ死ぬわ。」
クロコ 「ほな、死んだら葬式せなあかんな。
来てくれた人に出すお弁当、松・竹・梅どれにする?」
母 「竹」
クロコ 「竹やと海老フライ、入ってないかもしれんで。」
母 「海老フライ、あったほうがええな。」
クロコ 「ほな、松やな。でも松は高いんと違う?」
母 「そうやな。ほな、梅でもいいわ。」
クロコ 「どっちにしても、おかんは死んどるから、食べんやろ。」
母 「ほんまやな。ふふふ。」
3回読み返す余裕がない時とか、3回読んでもわからない時は、諦める。
転職って転機だった?と思った時に、そうじゃなかったかもと思った。
自分の転機を感じないように生活すれば、もう転職しないで済むかもしれない。
何年か前に、根底に思っている自分へのイメージが、
180度変わった瞬間があった。
先月、そんなことを思うきっかけがあった。
こういう希望が感じられる瞬間を、転機って言うんだろうな、って思う。
なんのことかと思ったら、
てるてるぼーずを逆さにつるす、だそうです。
すごく楽しかった。
いつもより気兼ねしないで好きなことができるので。