2011/10/30

インテンショナルピアサポート(IPS)研修内容

2日間ゆっくり過ごした。
バーモントでの研修の話を、すごくしたいのだけど、
何から話していいかわからない。
言葉にしようとすると、どれもこれも違う気がする。
誰かに何か質問してもらえたら、話すきっかけになるんですけど、と、
ある方と話をしていたところ、何をしていたんですか?と聞かれた。
したことのを箇条書きでもあったら、質問のとっかかりになると言われ、
なるほど、と思った。
というわけで、さっそく、何をしたか予定表を見ながら書いてみる。

1日目
・自己紹介
・居心地の悪さと一緒にいるための合意について
・『ピア』の意味するところ
・他の人の課題の文章を読んで、フィードバックの練習

2日目
・問題解決に走りやすい状況での会話
・その練習
・集中研修で行う演習のねらいについて
・「恐れ」対「希望・可能性」
・共同スーパービジョンの練習

3日目
・共同スーパービジョンの実演
・衝突のある場面、ロールプレー実演と練習

4日目
・相互の責任について
・IPSを学ぶということについて
・身の安全に恐れを感じる状況での会話
・フィードバックについて

5日目
・フィードバックの練習
・共同スーパービジョンについて?
・感想&まとめ
へ~なるほど。
こういうことをしてたんだ。。

覚えがないこと

ポテトチップスを食べる夢を見た。
次の日の朝、ダンナから聞いた話。

私が眠っている横で、ダンナはテレビを見ていた。
ダンナが、ポテトチップスを手に取った。
私が寝ていたので、音を立てないように小さい音で袋を開けたらしい。
次の瞬間、私がカッと目を見開いたので、ダンナは驚いた。
でも、起きてはいないようだった。

ダンナは、ポテトチップスを食べ始めた。
すると、横たわったままの私が、ニョッキと手を出して、
「勉強させて」と言ったらしい。

何のことかとダンナは不思議に思ったらしいが、
もしかすると、と思って、ポテトチップスを1枚、私に手渡した。
おもむろに、私はポテトチップスを1枚食べた。
そうすると、また、横たわったままニョッキっと手を出して、
「もう1回勉強させて」と言ったらしい。
ダンナは私に、もう1枚ポテトチップスを手渡した。

2枚目のポテトチップスを食べ終えた後、私は、
「正解」
と一言いい、再び眠りについたらしい。

まさか。
そんなおもしろい話があるわけない。
上手い作り話をするね、と私はダンナに言った。
すると、ダンナは、
「こんなに、おもしろい話を作れるほどの腕は無い、
単に事実を言っただけ。すごくおもしろかった。」
と言う。

私は、寝ている時が、おもしろいらしい。

2011/10/29

旅のあとのダラダラ

だいぶダルさがとれてきた。
時差ぼけが、ようやく治ってきたんだなと実感。
やっぱり、1週間くらいかかるんだな。

旅行前に、いろいろとブログを書きたくなったのは、なんでだろうと思った。
飛行機に乗る前は、もしかすると帰ってこれないかもしれないと思った。

話は飛ぶが、向田邦子が生きていたら、友達になりたかった。
向田邦子は、飛行機に乗って帰って来れなかったうちの1人。
一度も会ったことがないけど、妙に親近感がわく人。
本を読んでいるだけで、友達だったかのような錯覚を覚える。
なので本を読んでいると楽しいし、もうこの世にいない人とは思えない。
今は会っていないだけで、どこかで生きている気もする。
そういう文章を書くことができたら、楽しいだろうなと思う。

でまあ、話を元に戻すと、
私も何か残しておきたいと思ったのです。

本当に帰ってくると、帰ってくるのは想定外なので、
自分の作り上げた現実と、実際の生活が一致するまで、時間がかかる。

こんな話を書いていて、ひとり芝居もいいところって、
自分で笑ってしまう。
なのに。
旅行に行くときには、いつも、こんなひとり芝居を繰り返している。
ひとしきり、ひとり芝居を終えたあと、
ようやく、今回の旅は、何があったっけ?と思い始める。

細かいことは忘れてしまっていて、少し残念だけど、
一緒に行った人と話をすると、思い出すことも多くて嬉しい。
1人旅の記憶がほとんどないのは、きっとこのせいだろう。

2011/10/25

心に残ること

今回の旅で、研修の最後に歌を聴いた。
2年半前の研修の最後にも歌ってくれた歌だった。
ニュージーランドの、昔からの・・・あれ?なんだっけ。
いわれは、忘れてしまった。
前と変わらず、すごく優しい歌声だった。

今回はICレコーダーという文明の器機を利用して、
歌声を録音できた。
研修から帰ってきてから何回か聴いた。
聴くたびに、いいなと思う。

2年前の歌声は、録音はできなかったけど、
今でも耳に残っている。

心に残ることは、残そうと思っても残せるものでもなく、
知らないうちに残っているものなんだなと思う。

いろいろなことが起こって、
自分の心に何が残るか、それが楽しみだなと思う。

2011/10/23

2011-10/14~22の旅

日本と時差が13時間ある所に行ってきた。
ニューハンプシャー州の近くのバーモント州。
帰って来てから、場所を地球儀で確認したが、正確な位置はわからない。
アメリカの東側の一番北のカナダとの国境が近い所だと思う。

寒いと思って、いっぱい持っていたセーターは、半分使わなかった。
帰りも風呂敷でギューッと詰め込んできた。

帰りの飛行機は、外がずっと昼だった。
窓から雪山のような土地も見えた。それは、アラスカ大陸らしかった。
「きっと、太陽を追いかけて、丸い地球の最短距離を飛んでるんだね」
という会話をしていた。

もし、地球が三角だと思っていたら、
「きっと、太陽を追いかけて、三角のてっぺんを回ったんだね」
という会話をしていたかもしれない。
なんてね。

飛行機に何十時間も乗っていた。
途中で日付が変わるので、何時間飛行機に乗っていたかもわからない。
その何十時間の間、隣に座っていた友達と、ずっと話をしていた。
話せば話すほど、そんなふうに考えていたとは知らなかった!と驚いた。
いくら話しても、話足りない感じがした。
今までも、たくさん話をしたつもりの人だった。

この8日間、何が起こっていたのかは、わからない。

何をしたかと言えば、5日間の研修と観光。

何を確信したかと言えば、
人間の本性は優しくて温かい、ということ。

まとめると、すごく楽しかった。

改めて気づいたことは、私はおおざっぱ、ということ。

2011/10/13

旅の準備

明日から8日間ほど旅立ってきます。

今頃になって、冬服は意外とかさばることを発見。ついでに押せばかなり小さくなることも発見した。

イメージでは余裕で入ったのだけど。次回はもっと早く準備を始めようっと。

夜行

夜行バスに乗るとワクワクする。
高速道路に入ると、バスが真っ暗になる。
運よく窓側の席になると、カーテンに頭を突っ込んで、
高速道路から夜景を見ながら、音楽を聴く。
通路側の時は、夜景は思い浮かべるだけになるが。
この時間が、たまらない。

頭の中を、いろんなことが行ったり来たりして、
知らない間に心地よく眠っている。

実家に帰る時に、父がいた頃は、
夜行バスを降りると必ず迎えに来てくれていた
朝早くて薄暗くても、夜でも、父の車は、
ピカピカしていてよく目立つ。

小学1年か2年の頃に、父の運転するトラックに乗って、
「小松」という所に行ったことがあった。
その時が生まれて初めて、夜行の車に乗った時だった。
鉄工所に務めていた父は、車の運転が得意で、
鉄鋼を運んで、トラックを運転していた。
大きなトラックが動くのが、すごいと思った事以外は、
途中で食べたラーメンがおいしかったことしか、
その時の記憶はない。

実家にいた頃、父と母と遠出をする時も、必ず車で夜出発だった。
リタイヤしてから、家でイライラ、ウロウロしている父を見かねて、
母が「車を買おう」と言いだし、うちに車がきた。
父がだいすきな、あずき色で玉虫のように光る軽ワゴン。
自分の自転車も、毎日磨いてピカピカにしていた父は、
毎日のように車をピカピカにして、本当の玉虫のようになっていた。
毎日磨くのは大変だろうから洗車に行ったら?と聞いたことがあった。
すると、「洗車をすると車が汚れるからイヤ。」と言っていた。
ピカピカの車で、誰かを送る、という用事を作っては走っていた。

父の生まれ故郷は東京で、法事があったりすると、
500kmの道のりを玉虫の軽自動車で、夜走った。
軽自動車でも、トラックと互角に高速道路を走っていた。

私はいつも助手席で、地図を持たされた。
助手席に乗る人は、車の修理と道案内ができなければいけない、
というのが父の持論で、
単純に前がよく見えるから助手席に乗りたかった私も、
助手席に乗るために、仕事を覚えなくてはいけなかった。

さすがに小学生に修理はさせなかったものの、
車のエンジンの仕組みや、工具の使い方、
四駆の活躍する道はどこか、軽自動車がいかに効率がいいかという話、
燃費のいい運転の仕方、雪が降った時の対処から、
高速道路での車間距離の取り方、標識の見方まで教わった。
というより、父が一方的に話してきた。

車を運転するには、こういうことを覚えておかないと、
自分が困る事になると、聞かされていたので、
18歳で自動車学校に行った時に、故障車を直せなくても、
車に乗ってもいいと聞いて安心した。
しかも兄に聞いたら、今はJAFがあるから大丈夫、
父の時代には自分で直すしかなかったらしいよ、と教えてくれた。

今も、夜行バスに乗ると、父のことを思い出すことが多い。
「バスに乗ったら運転手さんが見える位置に座って、よく見て運転を覚えなさい」
という父の教訓は無視して、カーテンに頭を突っ込んでいるが。

昔から車のことを聞いていた割には、私は運転が下手で、
誰かに運転してもらって乗る方が、断然すきだ。

2011/10/11

スポーツの楽しみ方

中学の部活でバドミントン部に入っている人から聞いた話。

『部活の大会に行った。
試合は負けてしまったけど、そこで、すばらしい人に出会った。
他校の同級生で、バドミントンがうまい人。
その人は、他の選手が試合をしている時に、大きな声で応援している。
応援するとコーチに「自分のことに集中しろ」と怒られていた。
それでも応援を続けていた。
怒られるのを覚悟で応援しているのだと思った。
大会に行って、すごく楽しかった。
そういう人に出会えるからスポーツは楽しい。』

その話を聞いて、
そういう楽しみ方があったのか!!と思った。

バドミントンは、夏でも窓を閉めて、無風の中で練習するらしい。
ハネが風に左右されるから、という理由で。
うまい、ということは、その練習に耐えているという前提があって、
しかも、その極限の中でも人のことも考える余裕もある、という、
すさまじい精神力を感じたのだろうか?と思った。

私は、運動部はキツイだけというイメージがあって、避けて通っていた。
運動部に入って経験しておきたかったなと、一瞬思った。
実際に経験すると、その人の素晴らしさが、
もっと身にしみて分かるのかもしれない。
ただ。
同じ経験をしても、素晴らしい人に出会える楽しみというのを、
私だったら見つけられなかったかもしれない。

2011/10/09

ブログを書くということ

頭の中がごちゃごちゃする時がある。
そういう時は、とりあえず頭の中から何でもいいから出したい。

長い独り言を、自分勝手につぶやけるのが、ありがたい。

それとは別に、忘れたくない記憶がある。
でも、忘れてしまう。
あの時に、ああ思った、ということも、
覚えておきたいのに、忘れてしまう。
忘れた方が都合がいいことの方が多いのだけど。

忘れたくないことを、
どこかに書きとめておけたらいいなと思う。

もし自分がどんな人なのか記憶がなくなってしまった時に、
自分のブログを読んだら、どう思うんだろう?
変な人って思うのかな?
おもしろい人って思うのかな?
どうなんだろう。

2011/10/08

他力本願

ふと思い出した。

小学生の頃、両親と車で、三重のお寺に日帰りで行った。
小学4年か、5年くらいだったと思う。

お寺で住職をしていた母方の遠い親戚のおじさんが亡くなって、
お葬式に出ようという話になったのだと思う。
母も小さい頃に会っただけで、父はそういう親戚がいるのも、
知らなかったようだった。
でも、連絡をくれたんだから行こう、となったのだろう。

子どもの頃は、学校を休んで車で出かける、ということだけで、
ウキウキしていて、どこに行くのでも楽しかった。
父も、車の運転ができるからか、少しウキウキしていたように思う。
長距離トラックの運転手を長年して、引退したばかりだった父は、
車を運転するのが大好きだった。
だけど、用もないのに車を走らせるということができず、
いつも車で出かけるのは、お葬式、お通夜、たまに結婚式。
時々「学校なんか休め。お父ちゃんとでかけよう。」と言ってきた。
必ず横で母が聞いていて、たしなめられていた。
私はがっかりして、学校が休みの日に遊びに行くと父と約束をした。

ルパンの銭形警部と同じ、昭和3年生まれの父。
そのくらいの年代の人は、みんなそうなのだろうか?

話を戻して。
父は、車で出かける前日は、いつも、虫眼鏡で地図を見て、
家から目的地までを、何回も行ったり来たりする。
夕食を食べた後から寝る頃まで、ずっと虫眼鏡をもっていた。

三重のお寺までは、実家から車で5~6時間くらいかかったと思う。
車のエンジンをかけて出発する時に、
父がウキウキしていると、一瞬車がふわっと浮く気がした。
三重に行くときは、ふわっとはしなかった。
ああ、今日は遊びに行くのでなくて、お葬式に行くんだったと思った。

お寺の近くまでは順調に進んだ。
そして、いつもの通り、あと少し、という所で迷う。
地図に載っていない道に入ると、父の勘で走る。
カーナビも携帯電話もない時代には、それが当たり前だったんだと思う。

車で田んぼ道をウロウロしても、お寺らしきものはない。
父が「お寺は大きいから見える。見逃すなよ。」と言うので、
母と私で、周りをキョロキョロ見ていた。
どこまでも、田んぼと、すすき畑しかなかった。

お葬式の時間が近づいてきたのか、せっかく来たのに遅刻だと、
母が焦り始めたのがわかった。
ここでいつもの夫婦ゲンカと思った時のことだった。

「他力本願」と父が言った。

私も母もあっけにとられて、私は「どういう意味?」と聞いた。
「亡くなったおじさんが、お葬式に来てほしいと思ったら、
道がわかってお寺に着くし、もし、来てほしくないと思ってたら、
お寺に寄らないで帰れっていうことやから、帰ればいい」

私も母も、ああそうか、という雰囲気になった。
「大人ってすごい」と思った。
肝が据わっている、という言葉を聞くと、今でも、
この時の父のことを思い出す。

それからしばらくして、お寺に着いた。
遠い親戚の人々には「遠くからよく来てくれましたね」
と、何回も言われた。

その時に、お寺の前で撮った写真が、
アルバムのどこかに残っているかもしれない。
今度探してみよう。

2011/10/06

濃いですね、完結編

「濃い」という言葉のことを、
今日、ある人と話をした。

濃い人=よくしゃべる人
自分の思っている印象にしっくりきた。

しかし。

自分のことを、もっと深く物事を考える人間だと思っていたけど、
よくしゃべるか、しゃべらないかだけで、
濃いかどうかを判断していたとは。。。

私はなんて単純な人間なんだろう・・・と思った。

自分のことを、まじめ、だと思っていた。
まじめ、ということは、物事を深く考えられて、
緻密な人なんだろうと思っていた。

自分が思い込みの塊のように感じた瞬間だった。

2011/10/05

濃いですね、の続き

※相変わらず、なぜだかコメント欄に投稿が出来ないので、
 こちらで失礼します。

薄い人、と言うと、濃い人の逆という感じがしない。
薄い人、というと、切れ長の目で、色白な人を、私は想像する。
濃い顔の人と、濃い人は、違う気がする。

あ~~~。
一つの言葉を聞いた時に、自分が思い描く事柄が、
いかに適当で、いい加減か、よくわかってきた。
いい加減なのに、いつも湧いてくるイメージは同じ。
これが、思い込みの基なのかな?

そして、ますます、濃いというのが何なのか、わからなくなってきた。

どういう時に「濃い」と言ってきたかと思うと、
少し独特な、少し癖のあるようなおもしろみを感じた時に、
思わず「濃いですね」と言ってきた気がする。
「濃い」と言っておいたら、良いとも悪いとも取られない、
都合のいい言葉だと思っていた。

なのに。
自分が人から言われてみたらショックだったので、驚いた。
まあ、そういうこともある、と思っておくことにしよ~。

2011/10/04

濃いですね。

「濃いですね」と、ある人に言ったら、
「あなたも充分、濃いですよ」と言われた。

衝撃的だった。

自分は何の変哲もない人間で、濃い人というイメージとは、
程遠い存在なんだろうと思っていた。

言われた途端に、いろいろ聞きたくなった。
付き合いづらいということですか?
ねちっこいということですか?
深みがあるということですか?
おもしろいというとこですか?
興味があるということですか?
しつこいということですか?
何か特別な特徴があるということですか?
どこを見て濃いと言ったのですか?
どんどん聞きたくなった。
そういう会話の流れの時じゃなかったので、質問はしなかった。

けど、自分が濃いと言った時に、こういう質問を、
次々と聞かれたら、答えに困るなと思った。
「濃い」という言葉を、よく使っていたけど、
その意味を、深く考えてなかったので、質問には答えられない。

しかも、こういう質問をするくらいだから、
やっぱり濃い人だ、と思うかもしれないと思った。

「濃い」って、なんだろう?

濃いと思った時に、もう少し詳しく考えてみてから、
話を始めた方がいいのだろうか?と思ったけど、
そんなことを考えてたら、何も言葉が浮かばなくなりそうな気もする。

とりあえず辞書をひいてみた。
①色が深い。色合いが強い。「―緑」
②水分が少ない。「―食塩水」
③味がしつこい。「―スープ」
④密である。「ひげが―」
⑤情愛が細やかである(⇔薄い)

⑤が、意外な感じがした。

う~ん。でも。。。
やっぱり、よくわからないので、今日はこの辺でやめよう。