20歳の時に、すごく驚いたことがあった。
当時、私は大学2年生だった。
夏休みになり、いつものごとく福井県小浜市の実家に帰省した。
兄や姉は、実家を出ていたので、家には両親だけがいるはずだった。
だけど、なんだか、家の様子がいつもと違った。
その日帰ると、今まで会ったことのない、おばあさんが家の中にいた。
お客さんが多くくる家ではなかったので驚いた。
母親とそっくりだったので、親戚かもしれないな、と思った。
ふんわりした優しい口調で、「こんにちは」と言われたので、
私もつられて、「こんにちは」と返した。
そして、キティーちゃんのハンカチをくれた。
玄関に『里枝』とマジックで大きく書かれた、
小学校で履くような上履きが置いてあったので、
そのおばあさんは、里枝さんというんだな、と思った。
母は、いつもより、ピリピリしていた。
父が何気なくいつものように言った冗談に、
「お姉さんの悪口、言わんといてな」と母は怒っていた。
今まで誰にも言えなかったことを、父にぶつけているようだった。
両親は、その里枝さんについては何も言わないまま、一晩過ごした。
翌日になると、里枝さんは両親とどこかに出かけて行き、
里枝さんは、もううちには、帰ってこなかった。
帰ってきた母は、急に里枝さんのことを話始めた。
里枝さんは母の姉で、25歳くらいまでは小浜市内に住んでいて、
警察で事務の仕事をしていたらしかったこと。
25歳くらいの時に何かがあり、舞鶴の方にある病院に入院したこと。
ずっと病院にいたが、65歳近くなるので、
小浜市内の老人ホームに入れば、他の人に変に思われずに、
小浜に戻ることができるから、老人ホームの見学に行ってきた、ということ。
なんじゃそりゃ?と思った。
母に姉がいる、というのも、初めて聞いたことだった。
なんで、そんなに長く入院してる?優しそうな人やね?
と聞いたら、
母は首をかしげて、ちょっと考えて、
「20歳の子に、キティーちゃんのハンカチは、ちょっとずれとるんかな?」
と誰かに質問するように言い、さらにこんな話をしていた。
里枝さんが25歳の時のことを、みんなが覚えてるから、
なかなか小浜へ戻りにくく、「そういう姉」がいると知られると、
母自身が結婚できないかもしれないと周りの人に心配されたこと。
でも父は、里枝さんのことを知っていて、母と結婚したこと。
あんなに頭の良かった姉が、どうして病院に入ってしまって、
今、こういう状況になっているのか、理解できないような感じもあった。
小さいころから、口癖のように母がよく言っていた言葉
「そんなことすると、変やと思われるよ」
そう言っていた理由が、少しわかった気がした。
私の兄姉も、里枝さんと会ったことはないらしく、
里枝さんの話をしたこともないらしかった。
私の帰省と、里枝さんの帰省が重なったのは偶然で、
日程をずらそうかと思ったけど、なんとなく、
まあ大丈夫かな、と思った、と言っていた。
里枝さんは、40年近くも病院にいる必要があったのだろうか?
それからまもなく、里枝さんは、小浜市内の老人ホームに入り、
私はたまに帰省すると、父と老人ホームに一緒に面会に行った。
父は、すごく楽しそうに老人ホームに行っていた。
1週間に1回くらいのペースで、差し入れを持って行っていたらしかった。
里枝さんのために、何かしたいとずっと思っていたのが、ようやくできた、
という感じだったのかもしれない。
大学を卒業して、私は偶然、精神科のケースワーカーとして働くようになった。
そこで初めて、里枝さんが入院していたのは、精神科だったんだと思った。
そして、里枝さんと同じような人がたくさんいることを知った。
うちの家だけだと思っていたので、驚いた。
長い人では50年近く、精神科に入院している人もいた。
このようなことが、全国各地で起きているということも知って驚いた。
たくさんの人が不幸になっているように感じた。
何とかしたい、と思ったものの、あまりにも根が深いように思い愕然としたし、
結局何もできないのだろうかと思い転職したり諦めたりしてきた。
けど今は、自分でやれることだけ、やってみればいいか、と思う。
いろいろと、偶然知ってしまったことではあるけど、
少しでも、なにかできたらいいな、と思う。
2018年4月25日より、移行しました。 今までありがとうございました。 note(ノート) https://note.mu/kuronekokuroko/n/n446abf3d5597
2013/10/31
2013/10/21
言葉になっていない感情を言葉にして縛る怖さ
人の話を聞いて、ああ自分もそう思うな、と思うことがある。
うんうん、自分もそう思うと、自分の気持ちの整理ができて、
新たな発見ができてスッキリする。
ふと、同じスッキリでも、自分の内から出てくる言葉を待たなくても、
一瞬はスッキリできる落とし穴があるように思った。
たとえば、言葉にならないたくさんの自分の感情がある時、
人から「 あなたはこういうタイプの人だね」とか
「単なるわがままだね」 とか
「それはこういうことで、こういう病名ですね」など と断定されたとすると、
わからないものが分かった気になって、
一瞬はスッキリした感覚が味わえるのかもしれない。
怖いのは、本当に自分の中から湧き出た言葉でなくても、
はっきり言われることで自分はこうだ、と
思うようになるのかもしれない。
それを自分で吟味しないでいるうちに何が起こるか。
自分の枠を自分で作っていくことになるのではないか。
やってもない犯罪の取り調べを受けるうちに、
自分が犯人だと錯覚を起こすように。
言葉にならない自分の感情の中に居続けるのは、
あまり気持ちのいいものではないのかもしれない。
自分の目の前にいる人が、 言葉にならない感情のうずの中にいると、
こっちまで不安になって「それはこうだ」 と言いたくなるのかもしれない。
人から言われたことが自分の中から出てくる言葉と同じこともある 。
違うこともある。
自分が感じて出てくる言葉やら、 自分の声を、
じっくり吟味できる時間って大切だなと思った。
あなたの感情はこうだ、 あなたの気持ちはこうだと、
誰かが誰かを断定することも、 されることなく、
誰もが自分のことを吟味できる。
WRAPクラスっていうのは、そういう空間だから、
終わった後に晴れやかな気持ちになるのかなと思った。
今回、福井でのWRAP2日間は、
進行するという役割を邪魔だと感じることもなく、
参加して輪の中に入っている感覚もずっとあって、
とても楽しかった。
ファシリテートをすることも楽しい、
これは、新しい発見だった。
昨日、福井からの帰り際に、福井駅で買った
八百比丘尼の椿がカギになっている、西村京太郎の本を読みながら、
今日は、つらつらと、そんなことを考えた。
ふと、同じスッキリでも、自分の内から出てくる言葉を待たなくても、
たとえば、言葉にならないたくさんの自分の感情がある時、
人から「
「単なるわがままだね」
「それはこういうことで、こういう病名ですね」など
わからないものが分かった気になって、
怖いのは、本当に自分の中から湧き出た言葉でなくても、
思うようになるのかもしれない。
それを自分で吟味しないでいるうちに何が起こるか。
自分の枠を自分で作っていくことになるのではないか。
やってもない犯罪の取り調べを受けるうちに、
言葉にならない自分の感情の中に居続けるのは、
自分の目の前にいる人が、
人から言われたことが自分の中から出てくる言葉と同じこともある
違うこともある。
自分が感じて出てくる言葉やら、
じっくり吟味できる時間って大切だなと思った。
あなたの感情はこうだ、
誰かが誰かを断定することも、
誰もが自分のことを吟味できる。
今回、福井でのWRAP2日間は、
進行するという役割を邪魔だと感じることもなく、
参加して輪の中に入っている感覚もずっとあって、
とても楽しかった。
ファシリテートをすることも楽しい、
これは、新しい発見だった。
昨日、福井からの帰り際に、福井駅で買った
八百比丘尼の椿がカギになっている、西村京太郎の本を読みながら、
今日は、つらつらと、そんなことを考えた。
2013/10/01
天国と地獄の違い
急に思い出した。
天国と地獄の違い、という話を、
たしか小学校の頃に、誰かから聞いた。
天国にも、地獄にも、同じように、おいしい食べ物はたくさんある。
天国にいる人は、みんなおなかいっぱいで、
みんなコロコロと太っている。
だけど、地獄にいる人は、みんなガリガリで、
いつもお腹をすかせている。
天国にも、地獄にも、同じ「おはし」がある。
その「おはし」は、すごく長ーいおはし。
地獄の人は、その長ーいおはしを使って、
自分で食べ物を食べようとするが、はしが長すぎて口に入らない。
おいしい食べ物があっても、誰もそれを食べることができない。
天国の人は、その長ーいおはしを使って、
他の人に食べ物を食べさせてあげた。
お腹が減った時も、誰かが食べさせてくれる。
なので、お腹が減っても何も心配はない。
天国と地獄の違いは、それだけのこと。
いつどこで聞いたかは、あんまり覚えてないけど、
なぜか、印象に残っている話。
毎月行っている勉強会に昨日も行っていた。
まさに、この天国だなと思った。
天国と地獄の違い、という話を、
たしか小学校の頃に、誰かから聞いた。
天国にも、地獄にも、同じように、おいしい食べ物はたくさんある。
天国にいる人は、みんなおなかいっぱいで、
みんなコロコロと太っている。
だけど、地獄にいる人は、みんなガリガリで、
いつもお腹をすかせている。
天国にも、地獄にも、同じ「おはし」がある。
その「おはし」は、すごく長ーいおはし。
地獄の人は、その長ーいおはしを使って、
自分で食べ物を食べようとするが、はしが長すぎて口に入らない。
おいしい食べ物があっても、誰もそれを食べることができない。
天国の人は、その長ーいおはしを使って、
他の人に食べ物を食べさせてあげた。
お腹が減った時も、誰かが食べさせてくれる。
なので、お腹が減っても何も心配はない。
天国と地獄の違いは、それだけのこと。
いつどこで聞いたかは、あんまり覚えてないけど、
なぜか、印象に残っている話。
毎月行っている勉強会に昨日も行っていた。
まさに、この天国だなと思った。
2013/09/23
最近のお気に入り
少し涼しくなって、ようやく体が目覚めてきた感覚。
今年の夏は暑かった~。
夏の疲れと、突然の職場の異動で疲れている時に、
なんとなく入った本屋で、なんとなく手に取った本。
「心が冴えわたる論語」
孔子が言ったことをまとめたのが、論語なんだ~。
かつて学校で習ったような気もするけど、すっかり覚えてない!
字も少なめだったので、あっと言う間に読めた。
しかも、なんと爽快な気分!
孔子という人は、人間関係や、一つ一つのことを、
すごく丁寧に考えて生きてきた人なんだな~と思った。
その中から、今の私にすごく響いたのを一つご紹介します。
辞は達するのみ~言葉は意味を伝えることが大切~
たくさんの言葉を費やせば、それだけ気持ちが通じるでしょうか?
ほとんどの人が、違う、と答えるはずです。
それでも私たちは、たくさんの言葉を重ねてしまいます。
まるで、言葉をたくさん積めば、
相手の心の壁を越えることができるかのように。
ところが、言葉は増えれば増えるだけ、意味を失い、
飾りとなり、大切なものを隠してしまいます。
言葉は本当に伝えたいことを伝えるためだけに。
多すぎず、少なすぎず。
それに気をつければ、気持ちはすっと伝わります。
『心が冴えわたる論語』 リベラル社 より抜粋
疲れている時は、言葉の多さに圧倒される。
本屋で、本の表紙の文字を見るだけでも疲れを感じる時もある。
そんな時は、私はどうして言葉や字が苦手なんだろう・・・
と思ってしまいがちなのだけど、
この文章を読んで、スッーっとした感覚があった。
今年の夏は暑かった~。
夏の疲れと、突然の職場の異動で疲れている時に、
なんとなく入った本屋で、なんとなく手に取った本。
「心が冴えわたる論語」
孔子が言ったことをまとめたのが、論語なんだ~。
かつて学校で習ったような気もするけど、すっかり覚えてない!
字も少なめだったので、あっと言う間に読めた。
しかも、なんと爽快な気分!
孔子という人は、人間関係や、一つ一つのことを、
すごく丁寧に考えて生きてきた人なんだな~と思った。
その中から、今の私にすごく響いたのを一つご紹介します。
辞は達するのみ~言葉は意味を伝えることが大切~
たくさんの言葉を費やせば、それだけ気持ちが通じるでしょうか?
ほとんどの人が、違う、と答えるはずです。
それでも私たちは、たくさんの言葉を重ねてしまいます。
まるで、言葉をたくさん積めば、
相手の心の壁を越えることができるかのように。
ところが、言葉は増えれば増えるだけ、意味を失い、
飾りとなり、大切なものを隠してしまいます。
言葉は本当に伝えたいことを伝えるためだけに。
多すぎず、少なすぎず。
それに気をつければ、気持ちはすっと伝わります。
『心が冴えわたる論語』 リベラル社 より抜粋
疲れている時は、言葉の多さに圧倒される。
本屋で、本の表紙の文字を見るだけでも疲れを感じる時もある。
そんな時は、私はどうして言葉や字が苦手なんだろう・・・
と思ってしまいがちなのだけど、
この文章を読んで、スッーっとした感覚があった。
あっ!
本の中に、知ったことはすぐに伝えたくなるけど、
その本質を考えて、しっかり・・・してから・・・伝えるといい、
って書いてあった。たぶん。
えええ~っと。
何をしてから伝えるんだっけ? 忘れた。
もう1回読むか。
2013/09/15
占い
新島出身の元同僚のおかげで、
数名で昨日から新島に行くはずだった。
だけど、台風がちょうど来てしまい、昨晩は残念飲み会、
今日は、せっかくなのでと、大江戸温泉に行ってきた。
温泉は広くて、中にいろんなお店もあって、占いもあり、
占いをしてみよう!、という話で盛り上がり始めた。
どうしようかなと思った。
どうせ適当なことを言われるだけなんだろうし、
それにお金を払うのはもったいないかな・・・と思った。
というのも。
母が小さい時から行っていたという神社での占いに凝っていて、
私も、兄や姉も、小さい頃から何かの節目には、
京都の神社まで占いをしてもらいに行っていた。
母は、一応聞いておくと安心できるらしかった。
名前と生年月日を伝えるだけで占ってくれる。
もちろんお金もかかる。
小さい頃のことは、覚えていないけど、一つ記憶にあるのは、
高校3年生になって、来年には実家を離れるという頃に、
占ってもらった時の事。
兄や姉は、東が良い、とか、西の方がよいとか、
具体的に言われたというのを聞いていたので、
そんなの当たるわけない、と思いながらも、
どっちの方角が自分に向いてると言われるんだろうと、ちょっと期待していた。
そしたら、結果は、
「あなたは、どの方角に行っても大丈夫。どこの水にも合います。」って。
拍子抜けした。
言ってた神主も、母親もなぜか大笑い。
お金払って笑われるって、なんだか失礼極まりない。
それ以降、私がどこに行きたいと言っても、
いいよいいよ、と、母は、何も心配してない様子だった。
そんなこんなで、占いとはいい加減なもんだな、と思ってきた。
ただ、母親が心配のあまり、私のしたいことにストップをかける、
ってことが全くなくなったのは、ありがたいことではあった。
そんな思い出話をしながら、結局占いをしに行くことになり、
私が1番に占ってもらうことになった。
特別セールで、生まれた日と時間での全体運に加えて、
手相も一緒に占ってもらえるってことで、
手を出した瞬間に言われたのが、
「あなたは、どこでもやっていけますね。」
隣で聞いていた友達は・・・大笑い。
そして、財運線がないらしい。
それは、ああ、やっぱりね、という感じだった。
お金には困らないけど、入った分だけ出ていってしまうだけですよ、
と言われた。
結局30分くらい、いろいろなことを話をしてくれて、
これが意外に面白かった。
さらに知ってる人が占ってもらってるのを聞くのは、
好き勝手にちゃちゃを入れられるので、もっとおもしろかった。
そして、18時になると、他の占い師に交代になるという話も、
おお、占い師もローテーションなのねと、親近感が湧いた。
本当に生まれた日で決まった運命ってものがあるのか、
手の出し方とか仕草とかで見極めているのか、
占いってのは、根拠があるかないかわからないけど、
ああ、時期が悪かったのね、と、妙に納得したこともあり、
へ~と思うこともあり。
自分の納得のいかない結果を言われた友達は、
他の人にも占ってもらいに行きたい、と言っていた。
占いはしてもらうものの、自分がこうしたいと思う答えは、
やっぱり、もう、自分の手のうちにあるんだな、
と、まあ、そんなもんだよな思った。
数名で昨日から新島に行くはずだった。
だけど、台風がちょうど来てしまい、昨晩は残念飲み会、
今日は、せっかくなのでと、大江戸温泉に行ってきた。
温泉は広くて、中にいろんなお店もあって、占いもあり、
占いをしてみよう!、という話で盛り上がり始めた。
どうしようかなと思った。
どうせ適当なことを言われるだけなんだろうし、
それにお金を払うのはもったいないかな・・・と思った。
というのも。
母が小さい時から行っていたという神社での占いに凝っていて、
私も、兄や姉も、小さい頃から何かの節目には、
京都の神社まで占いをしてもらいに行っていた。
母は、一応聞いておくと安心できるらしかった。
名前と生年月日を伝えるだけで占ってくれる。
もちろんお金もかかる。
小さい頃のことは、覚えていないけど、一つ記憶にあるのは、
高校3年生になって、来年には実家を離れるという頃に、
占ってもらった時の事。
兄や姉は、東が良い、とか、西の方がよいとか、
具体的に言われたというのを聞いていたので、
そんなの当たるわけない、と思いながらも、
どっちの方角が自分に向いてると言われるんだろうと、ちょっと期待していた。
そしたら、結果は、
「あなたは、どの方角に行っても大丈夫。どこの水にも合います。」って。
拍子抜けした。
言ってた神主も、母親もなぜか大笑い。
お金払って笑われるって、なんだか失礼極まりない。
それ以降、私がどこに行きたいと言っても、
いいよいいよ、と、母は、何も心配してない様子だった。
そんなこんなで、占いとはいい加減なもんだな、と思ってきた。
ただ、母親が心配のあまり、私のしたいことにストップをかける、
ってことが全くなくなったのは、ありがたいことではあった。
そんな思い出話をしながら、結局占いをしに行くことになり、
私が1番に占ってもらうことになった。
特別セールで、生まれた日と時間での全体運に加えて、
手相も一緒に占ってもらえるってことで、
手を出した瞬間に言われたのが、
「あなたは、どこでもやっていけますね。」
隣で聞いていた友達は・・・大笑い。
そして、財運線がないらしい。
それは、ああ、やっぱりね、という感じだった。
お金には困らないけど、入った分だけ出ていってしまうだけですよ、
と言われた。
結局30分くらい、いろいろなことを話をしてくれて、
これが意外に面白かった。
さらに知ってる人が占ってもらってるのを聞くのは、
好き勝手にちゃちゃを入れられるので、もっとおもしろかった。
そして、18時になると、他の占い師に交代になるという話も、
おお、占い師もローテーションなのねと、親近感が湧いた。
本当に生まれた日で決まった運命ってものがあるのか、
手の出し方とか仕草とかで見極めているのか、
占いってのは、根拠があるかないかわからないけど、
ああ、時期が悪かったのね、と、妙に納得したこともあり、
へ~と思うこともあり。
自分の納得のいかない結果を言われた友達は、
他の人にも占ってもらいに行きたい、と言っていた。
占いはしてもらうものの、自分がこうしたいと思う答えは、
やっぱり、もう、自分の手のうちにあるんだな、
と、まあ、そんなもんだよな思った。
2013/08/15
念願の講演会・ワークショップのお知らせです
ついに2013年11月末に、講演会と5日間のワークショップを開催できることになりました。
ipstky@ gmail.com までメールをいただければ、お知らせチラシをPDFファイルにてお送りします。お気軽にお問合わせいただけますと嬉しいです。
~以下、チラシの内容です~
『矢が花にかわる』こころの交流 講演会・ワークショップのご案内
案内役:スティーブン・ポクリントン氏(通訳、久野恵理氏、宮本 有紀氏)
【講演会】
2013年11月29日(金) 18:30~20:30 受付開始18:00~
参加費:当日参加 2,500円
事前申込 2,000円(前日まで)
会 場:東京大学医学部2号館本館 (医学部2号館1F小講堂)
※事前申込は下記メールまで参加される方のお名前をお知らせくだ さい。
【5日間ワークショップ】
2013年11/30(土)~12/4(水)9:30~17:3 0 初日受付:9:15~ 最終日は16:00で終了。
参加費: 1日 :10,000円(初日のみ)
2日間:20,000円(土日のみ)
5日間:40,000円(全日)
※参加費は、講師料・通訳代・備品代として使用させていただく予 定です。お支払いが難しい場合はご相談ください。
会 場:東京大学医学部3号館 (所在地:東京都文京区本郷7-3-1)
定 員: 20名・土日のみ30名(先着順)
※申込みは下記メールアドレスまでお願いします。定員になり次第 しめ切りとさせていただきます。5日間の参加が難しい方もお気軽 にご相談ください。
申込み・問い合わせ:ipstky@gmail.com(宮本・ 尾川)
○講演会は参加者氏名のみ、5日間ワークショップは氏名および連 絡可能なメールアドレスを添えて上記メールまでお申し込みくださ い。いずれも参加費は当日にいただきます。
○5日間ワークショップに参加される方は講演会が無料となります 。申込みの際に講演会参加の有無も合わせてお知らせいただけます と助かります。
○5日間ワークショップにご参加のみなさまには後日詳細をお知ら せ致します。
『矢が花にかわる』こころの交流
「いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。いい詩 はまた、生きとし生けるものへの、いとおしみの感情をやさしく誘 いだしてもくれます。」(茨木のり子
『詩のこころを読む』ページ iii)
私たちは、この『いい詩』にたとえられるような、人と人とのここ ろの交流が広がることを願い、講演会とワークショップを企画しま した。『いとおしみの感情』は、苦しみが少しでも和らぎ、喜びや 幸せを感じる瞬間の訪れを願う、生きとし生けるものへの慈しみの 気持ちにも通じるでしょう。人は本来、つながりの中で生きていて 、いとおしみや慈しみに根ざした交流によって関係がつむがれてい るはずなのに、普段の生活の中では、自分自身や人に対して、ここ ろを閉ざすような在り方でいることも、少なくはありません。
今、あなたには、日々の生活の中で、仕事の中で、周りの人とのつ ながりがどう感じられるでしょうか?もし、つながりが断たれてい るように感じるとしたら、特に、そこに暴力が介在するとしたら、 私たちの多くがそうであるように、あなたも傷つき、おびえ、ここ ろを閉ざした『対応』をしているかもしれません。自分に矢を放た れたように感じる言葉や姿勢に接すると、お互いのこころの奥底に ある真実の声を聞くことが、ますます難しくなっているのではない でしょうか。
もし、そこにある自分の傷つきやすさや恐れの根元にしっかりと目 を向け、受け止め、そこに現れる世界にこころを開くことができた ら、相手の人の姿はどんなふうに見えてくるでしょうか?その人の 痛みや苦しみにこころを開くことができるかもしれません。そして 自分と人への慈しみの気持ちに根ざした、『矢が花にかわる』スペ ースを開くことができるでしょう。そうしてはじめて、お互いの真 実の声を表現し、響き合わせる可能性が生まれるのではないでしょ うか。
この講演会とワークショップでは、人に本来備わっている、慈しみ の気持ちの土壌を耕し、慈しみに根ざした、こころの出会いと交流 のあり方を、ともに学び、試してみます。案内役のスティーブン・ ポクリントン氏は、ジェントルティーチングを学び、通常のコミュ ニケーションを通してはつながりを作りにくい状況で関係を築く実 践を行ってきました。また、ポクリントン氏は日本におけるWRA Pの活動に関わり、2007年以来10回近く来日しています。長 年にわたる瞑想の実践者でもあります。
講演会ではポクリントン氏の経験を交え、新たな出会いの可能性が 見出されるような対話の時間を持ちたいと考えています。5日間ワ ークショップでは、さらに実践的に、慈しみの気持ちに基づく交流 を感覚的に理解する対話と、それを試みる演習を用意しています。 ワークショップの初日から1日あるいは2日間(週末)のみの参加 も歓迎します。
経験や職種は問いません。『矢が花にかわる』ような、こころのあ り方と交流に関心をお持ちの方々のご参加を、こころよりお待ちし ています。
ipstky@
~以下、チラシの内容です~
『矢が花にかわる』こころの交流 講演会・ワークショップのご案内
案内役:スティーブン・ポクリントン氏(通訳、久野恵理氏、宮本
【講演会】
2013年11月29日(金) 18:30~20:30 受付開始18:00~
参加費:当日参加 2,500円
事前申込 2,000円(前日まで)
会 場:東京大学医学部2号館本館 (医学部2号館1F小講堂)
※事前申込は下記メールまで参加される方のお名前をお知らせくだ
【5日間ワークショップ】
2013年11/30(土)~12/4(水)9:30~17:3
参加費: 1日 :10,000円(初日のみ)
2日間:20,000円(土日のみ)
5日間:40,000円(全日)
※参加費は、講師料・通訳代・備品代として使用させていただく予
会 場:東京大学医学部3号館 (所在地:東京都文京区本郷7-3-1)
定 員: 20名・土日のみ30名(先着順)
※申込みは下記メールアドレスまでお願いします。定員になり次第
申込み・問い合わせ:ipstky@gmail.com(宮本・
○講演会は参加者氏名のみ、5日間ワークショップは氏名および連
○5日間ワークショップに参加される方は講演会が無料となります
○5日間ワークショップにご参加のみなさまには後日詳細をお知ら
『矢が花にかわる』こころの交流
「いい詩には、ひとの心を解き放ってくれる力があります。いい詩
『詩のこころを読む』ページ iii)
私たちは、この『いい詩』にたとえられるような、人と人とのここ
今、あなたには、日々の生活の中で、仕事の中で、周りの人とのつ
もし、そこにある自分の傷つきやすさや恐れの根元にしっかりと目
この講演会とワークショップでは、人に本来備わっている、慈しみ
講演会ではポクリントン氏の経験を交え、新たな出会いの可能性が
経験や職種は問いません。『矢が花にかわる』ような、こころのあ
2013/08/09
冷凍バナナ
今年の夏は暑い。
と、毎年言っている気もする。
けれど。
冷房をつけっぱなしの部屋の中で、
バナナが驚異的な速さで黒くなっているのを見ると、
やっぱ暑いよな~と思う。
小学生の頃、黒くなってきたバナナをラップに包んで、
冷凍して食べるのが楽しかった時期があった。
久しぶりに思いだして、冷凍して食べてみたら、おいしかった。
そうそう。思い出した。
小学生の頃に、家の冷蔵庫が新しくなって、
ちゃんと冷凍ができるようになったのをいいことに、
なんでも凍らせて楽しんでいたのは、父だった。
バナナを始め、スイカ、くずまんじゅうも。
バナナはよかったけど、スイカは固いだけで甘くなくておいしくなかったし、
くずまんじゅうに至ってはパッサパサで、
あまりのまずさに、甘いものが大好きな母が怒り始めたくらいだった。
氷を出そうとしたら、氷が全部薄茶色になってて、なんじゃこりゃと思ったら、
父がだし汁を製氷機に入れて凍らしてたってこともあった。
その出汁で冷やし中華のようなものを作ってくれた。
またまた思い出した。
料理が好きだった父は、時々変わったものを作ってた。
ご飯に紅茶をかけたらどんな味になるかな、
焼いたニンニクに牛乳を入れて煮たらおいしんじゃないかな、
つぶやいた瞬間に、もう準備に取り掛かっている。
砂糖入りの紅茶をかけたご飯は、意外においしかった記憶があるけど、
他の創作料理は、あんまりおいしかった記憶が無い。
一度、デジタル時計を分解したらどうなるかな、
と言った瞬間に、ねじまわしを持っていた時があって、
戻らなくなったらどうするの?とみんなが心配する中、
みるみる時計をバラバラにしたことがあった。
大丈夫大丈夫、元に戻せばいいから、と言っていたのに、
全部きれいに分解してバラバラになった部品が山になったまま、1週間。
いつ戻すの?と聞いたら、
「こんなもん、戻せるか!」となぜか怒ってたこともあった。
やろうと思ったことは、とりあえずやってみる父は、
まあ、たいがい失敗しているように見えたけど、
楽しそうでもあった。
と、毎年言っている気もする。
けれど。
冷房をつけっぱなしの部屋の中で、
バナナが驚異的な速さで黒くなっているのを見ると、
やっぱ暑いよな~と思う。
小学生の頃、黒くなってきたバナナをラップに包んで、
冷凍して食べるのが楽しかった時期があった。
久しぶりに思いだして、冷凍して食べてみたら、おいしかった。
そうそう。思い出した。
小学生の頃に、家の冷蔵庫が新しくなって、
ちゃんと冷凍ができるようになったのをいいことに、
なんでも凍らせて楽しんでいたのは、父だった。
バナナを始め、スイカ、くずまんじゅうも。
バナナはよかったけど、スイカは固いだけで甘くなくておいしくなかったし、
くずまんじゅうに至ってはパッサパサで、
あまりのまずさに、甘いものが大好きな母が怒り始めたくらいだった。
氷を出そうとしたら、氷が全部薄茶色になってて、なんじゃこりゃと思ったら、
父がだし汁を製氷機に入れて凍らしてたってこともあった。
その出汁で冷やし中華のようなものを作ってくれた。
またまた思い出した。
料理が好きだった父は、時々変わったものを作ってた。
ご飯に紅茶をかけたらどんな味になるかな、
焼いたニンニクに牛乳を入れて煮たらおいしんじゃないかな、
つぶやいた瞬間に、もう準備に取り掛かっている。
砂糖入りの紅茶をかけたご飯は、意外においしかった記憶があるけど、
他の創作料理は、あんまりおいしかった記憶が無い。
一度、デジタル時計を分解したらどうなるかな、
と言った瞬間に、ねじまわしを持っていた時があって、
戻らなくなったらどうするの?とみんなが心配する中、
みるみる時計をバラバラにしたことがあった。
大丈夫大丈夫、元に戻せばいいから、と言っていたのに、
全部きれいに分解してバラバラになった部品が山になったまま、1週間。
いつ戻すの?と聞いたら、
「こんなもん、戻せるか!」となぜか怒ってたこともあった。
やろうと思ったことは、とりあえずやってみる父は、
まあ、たいがい失敗しているように見えたけど、
楽しそうでもあった。
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