休みの日。
朝、ねこに起こされて、ご飯を出した後、二度寝。
昼ごろ起きて、ネコとねずみのおもちゃで遊んで、
遅いご飯をたべて、
洗濯して、
ネコのトイレの砂を全とっかえして、
ネコたちの寝顔を見て、
ネコが起き出したら掃除機をかけて、
夜のネコご飯を出して、人間もごはんを食べて、
また、ねずみのおもちゃで遊んで、
お風呂に入って、寝る準備。
てな風に、1日ゆったり家で過ごせる日は幸せだな~と感じます。
今日は間違えて、おもちゃのねずみを、一緒に洗濯してしまい、
ねずみのしっぽがとれた。
平和です。なんだか、ありがとう。
2018年4月25日より、移行しました。 今までありがとうございました。 note(ノート) https://note.mu/kuronekokuroko/n/n446abf3d5597
2015/01/26
2015/01/01
あけましておめでとうございます。
今年は、元旦にご挨拶してみました。
年越しに、ネコたちには大好きなターキーの缶詰を、いつもより少し多めに進呈しました。
ほんの数分でたいらげて、いつもどおりゴロゴロしてます。
除夜の鐘が聞こえてます。
それ以外は、いつもと変わらない夜です。
♪まったりまったりまったりね、急がず焦らず、参ろうか~
時々、おじゃるまるの主題歌が、ふっと浮かびます。
これから先も、そんな感じでいけたらいいな~。
本年もよろしくお願いいたします。
年越しに、ネコたちには大好きなターキーの缶詰を、いつもより少し多めに進呈しました。
ほんの数分でたいらげて、いつもどおりゴロゴロしてます。
除夜の鐘が聞こえてます。
それ以外は、いつもと変わらない夜です。
♪まったりまったりまったりね、急がず焦らず、参ろうか~
時々、おじゃるまるの主題歌が、ふっと浮かびます。
これから先も、そんな感じでいけたらいいな~。
本年もよろしくお願いいたします。
2014/12/21
2014/12/20
苦しい時
私はこう思ったからこうしたんですけど、と話しをするたびに、
「そんな風に考えるのはあなただけよ。他の人はそうは思わないわ」と言われて、
最初は、人の思うことは、みんないろいろじゃないか、と思っていたのに、
何回も何回も同じ人に、繰り返し言われ続けているうちに、
やっぱり、私っておかしいのかな?と思い始めた。
そういえば、幼稚園の時も、小学生のころも、私だけが変だった、
なんてことを、思い始めていたりする。
そんなことを言ってくる人とは、話をしないのが一番なのだけど、
それが上司となると、話をしないわけにもいかない。
だんだん自分だけが、とっても変な、異質な存在に思えてくる。
こいつは嫌い、嫌な奴だと思わないと、やってられない。
なのに「ごめんなさい。私はあなたを傷つけたのね。傷ついたってことがあったらその時に言ってちょうだい、私は気がつかないから…。」と謝られたりすると、そんなの知らないし言葉で伝えられたら苦労しないよ・・・と、絶句して返す言葉も見つからないのだけど、でも、悪気はないんだよな、と思ったりしてしまい、「嫌い」と言いきれなくなってしまう。
だから、ますます混乱してしまう。
話は変わって、幼稚園の頃に何ヶ月か、児童相談所に母親と通っていたことがあって、
その時に会った「先生」に、会わなくなった後もずっと、
小学校を卒業するまで、毎年バレンタインデーにチョコを送ってた。
たぶん手紙も書いて、まとめて母が送ってくれていた。
ということを、ふっと思いだした。
職場の近くで毎日会う、バスロータリーの交通整理のおじさんと顔見知りになって、
顔を合わせると、お互いに少しだけニコッとして、あいさつをするようになった。
会話はしたことがない。いつも挨拶だけ。
今日急に、ふっと、そのおじさんにチョコをあげたいな、というのが頭によぎって、
児童相談所の先生のことを思いだした。
朝、憂鬱な感じで駅から職場に向かう時に、
そのおじさんと顔を合わせると、ちょっと肩の力が抜ける。
仕事を変えると、そのおじさんとも、顔を合わせることはなくなるんだな、
なんて、まったく仕事に関係のないことで、寂しく思ったりする。
退職をする時には、お世話になりました、とあいさつに行こうかな。
ふっと肩の力が抜ける瞬間。
それは一人では起きにくくて、何か、があるとでき易いのかもしれない。
何か。
何か、って、何なんだろうな。
わからないな。
わからないけど。
でも、その「何か」、があると力が抜けやすい気がする。
「そんな風に考えるのはあなただけよ。他の人はそうは思わないわ」と言われて、
最初は、人の思うことは、みんないろいろじゃないか、と思っていたのに、
何回も何回も同じ人に、繰り返し言われ続けているうちに、
やっぱり、私っておかしいのかな?と思い始めた。
そういえば、幼稚園の時も、小学生のころも、私だけが変だった、
なんてことを、思い始めていたりする。
そんなことを言ってくる人とは、話をしないのが一番なのだけど、
それが上司となると、話をしないわけにもいかない。
だんだん自分だけが、とっても変な、異質な存在に思えてくる。
こいつは嫌い、嫌な奴だと思わないと、やってられない。
なのに「ごめんなさい。私はあなたを傷つけたのね。傷ついたってことがあったらその時に言ってちょうだい、私は気がつかないから…。」と謝られたりすると、そんなの知らないし言葉で伝えられたら苦労しないよ・・・と、絶句して返す言葉も見つからないのだけど、でも、悪気はないんだよな、と思ったりしてしまい、「嫌い」と言いきれなくなってしまう。
だから、ますます混乱してしまう。
話は変わって、幼稚園の頃に何ヶ月か、児童相談所に母親と通っていたことがあって、
その時に会った「先生」に、会わなくなった後もずっと、
小学校を卒業するまで、毎年バレンタインデーにチョコを送ってた。
たぶん手紙も書いて、まとめて母が送ってくれていた。
ということを、ふっと思いだした。
職場の近くで毎日会う、バスロータリーの交通整理のおじさんと顔見知りになって、
顔を合わせると、お互いに少しだけニコッとして、あいさつをするようになった。
会話はしたことがない。いつも挨拶だけ。
今日急に、ふっと、そのおじさんにチョコをあげたいな、というのが頭によぎって、
児童相談所の先生のことを思いだした。
朝、憂鬱な感じで駅から職場に向かう時に、
そのおじさんと顔を合わせると、ちょっと肩の力が抜ける。
仕事を変えると、そのおじさんとも、顔を合わせることはなくなるんだな、
なんて、まったく仕事に関係のないことで、寂しく思ったりする。
退職をする時には、お世話になりました、とあいさつに行こうかな。
ふっと肩の力が抜ける瞬間。
それは一人では起きにくくて、何か、があるとでき易いのかもしれない。
何か。
何か、って、何なんだろうな。
わからないな。
わからないけど。
でも、その「何か」、があると力が抜けやすい気がする。
2014/12/07
昔も今も
とっても疲れて、何もする気が起きない時は、ぼーっとするに限ります。
・・・というか、ぼーっとしかできない、って方が近いかも。
ぼーっとパソコンをいじっていたら、
高校の頃に、録画して穴があくほど観た映像をみつけた。
今は、穴があかないから、便利だな。
この歌もすきなんだけど、なんでか、この映像がとってもすきで、
こんな風に、なんだか知らないけど人をほっとさせられる人になりたいもんだ、と思ってた。
これを見てた頃は、となりでクロネコが寝てた。
今は、シロクロと、トラネコが、近くで寝てる。
将来、働くいて食べていくことができるのだろうか、と、いつも不安に思ってた。
その頃と今と、あんまり変わった気がしない。
20年以上経った今も、なんとか食いつないで、生き延びてこれた、ということはわかった。
寒い日にストーブをつけて、あったかい場所でぬくぬくとして、
しかも、となりに、ネコがいる。
意外になんとか、なってきたんだ。
きっと、これからだって、何とかなる。
たぶん。
寒くてもストーブを付けられない時、
お腹が減っても食べ物がない時、
何かすごく困った時に、どうすればいいか考えればいいや、ということにしよう。
すやすや寝てるネコの寝顔を見てたら、
明日食べられるかなんて、全く心配してない感じだもんな。
明日、ごはんが食べられるなんて保障はどこにもないのに、
なんにも気にしてないんだもんな、
と思ったら、
この先のことを心配してるのが、アホらしく思えてきた。
そういえば、試験やら宿題やらに追われている時、
ネコの寝顔を見て、「気楽なもんだな、人間はそうはいかない」
と思ってたのに、いつの間にか一緒に寝てしまってたことがよくあった。
ネコと暮らすのは、私にとって、ちょうどいい塩梅なのかもな、と思った。
2014/11/30
難しいこと
ななせ
こたつに入ってたら、ななせが恐る恐るひざの上に乗ってきた。
何回もひざに乗ってきてるのに、まだ、乗る時はおそるおそる。
寝ているところを、なでてたら、
初めて会ったときのことを思い出した。
ねこシェルターのゲージの中の、さらに洗面器の中にまるまって、
出入りする人間を時々チラッと見ては、
寝たふり?をして息をひそめているようだった。
なぜか、すごく親近感がわいた。
こわがりで、おどおどして、今でも忍び足で歩く。
シェルターのボラさんから、かぼそい声で遠慮がちにしか鳴かないと聞いた気がしたけど、
お腹が減った時は全力で呼ぶし、まあ、かぼそくは無いな。
姫
姫と初めて会ったのも、ななせと会ったのと同じ日。
ななせと同じ部屋のゲージにいて、ゲージには黒い布がかぶせてあって、
布の間から、きらっと光る眼をみた。
外が見えると落ち着かなかったらしい。
今となっちゃ、そんな影もみえないけど。
ななせの素性は、全く知らない。
姫は、1歳~2歳半くらいまで、預かりボランティアさんの家にいたみたい。
最近になって、そのボラさんが書いていたブログをみつけて、読んだ。
「姫」って名前は、そのボラさんが付けたらしい。
1歳までは、かなり苦労をしたようで、
保護された時は、4回洗ってもくさかったらしい。
しかも触れなかったそうで、麻酔をしている隙にシャンプーしてもらったんだって。
ななせと姫がうちに来ることになった時に、
保護をしていた人は、過去のことも、未来のことも何も言わなかった。
人間の世界にありがちな
「こういう経緯があるから、こう配慮してください」
なんてことを全く言われなかった。
もし、その時にたくさん聞いてたら、身構えただろうな。
最初に聞いたのは、
ゲージに目隠し布をすると安心して隠れていられるかも、
1~2年もすれば慣れてゲージから出てくると思います、
ということだけ。
姫とななせの行く先を心配しないわけはなく、
でも、くどくどと言わない。
潔い。
私には、なかなかできない、難しいこと。
人を信用する、って、そういうことなのかな、と思った。
2014/11/23
からっぽから
今月の始め、1週間ほど遠出をして、懐かしい人々に会ったり、
山の中を歩いたり、川を散歩したり、ぼ~っとしたり、
話をしないで1日過ごしてみたり、ゆったり話をしたり、
ゆっくり朝ごはんを食べたりした。
予定の詰まっていない、ゆったり流れる時間。
体の疲れが、ささ~と抜けた感じがした。
帰って来てから、今までは感じないようにしてたつもりの疲れを感じるのか、
疲れるのだけど、そうだよな、と、どこかで思っていたりする。
無理をしてるつもりはなかったけど、どこか無理をしてるんだよな。
体は正直なもんだ。
シェイカーズという、共同生活をしていた人々のコミュニティの跡も見た。
昔から、人はいろいろ考えて、いろんなことを試してきたんだ。
完璧ってのはありえなくても、人が生活するのに、どうするのが一番無理がないんだろう?って、
一生懸命考えて、試してきたのかもしれない。
本当に体がのびのびする暮らしって、どんななんだろう。
そういうことを、じっくり考えるのも悪くない。
ま、でも、実際に考え出すと、そうは言っても無理じゃない?
ということが、すぐに頭をかすめて難しいのだけど。
できるかどうかは別にして、こうだったらいいのかな?
って考えるだけなら簡単なはずなのに、
全くできそうもない、とか、今は無理だ、とか、お金がかかる、
な~んて、頭に少しチラつくだけで、考えが止まってしまうのが不思議。
山の中で、太鼓をたたいたのが、つい、昨日のことのような気もする。
あの、のびのびとした、なんとも言えないふわっとした感じ。
今も時々思い出す。
頭は、何にも考えてない時の方が、柔軟で、
こういう感じがいいって感覚も、研ぎ澄まされているんだろうな。
普段は、いろんなことで、頭がいっぱいだから。
たまには、頭をからっぽにしないと、
「何かしてみようかな」という気持ちも、どんどん消えていく気がする。
川の流れる音を、目を閉じて聞いてると、
水の中をプカプカ浮かんでいるような、心地よい感じだった。
しかも、川を遠くで見ている時と、近くに行ってみるのと、全然違って驚いた。
都内で川の音があるか?と思っていたけど、
帰って来てから、近くの公園とか、意外に水の音が聞ける場所をみつけて、
あるもんだ!と、それも驚いた。
たまには水の音を聴いて、頭をからっぽにしたいなと思う。
山の中を歩いたり、川を散歩したり、ぼ~っとしたり、
話をしないで1日過ごしてみたり、ゆったり話をしたり、
ゆっくり朝ごはんを食べたりした。
予定の詰まっていない、ゆったり流れる時間。
体の疲れが、ささ~と抜けた感じがした。
帰って来てから、今までは感じないようにしてたつもりの疲れを感じるのか、
疲れるのだけど、そうだよな、と、どこかで思っていたりする。
無理をしてるつもりはなかったけど、どこか無理をしてるんだよな。
体は正直なもんだ。
シェイカーズという、共同生活をしていた人々のコミュニティの跡も見た。
昔から、人はいろいろ考えて、いろんなことを試してきたんだ。
完璧ってのはありえなくても、人が生活するのに、どうするのが一番無理がないんだろう?って、
一生懸命考えて、試してきたのかもしれない。
本当に体がのびのびする暮らしって、どんななんだろう。
そういうことを、じっくり考えるのも悪くない。
ま、でも、実際に考え出すと、そうは言っても無理じゃない?
ということが、すぐに頭をかすめて難しいのだけど。
できるかどうかは別にして、こうだったらいいのかな?
って考えるだけなら簡単なはずなのに、
全くできそうもない、とか、今は無理だ、とか、お金がかかる、
な~んて、頭に少しチラつくだけで、考えが止まってしまうのが不思議。
山の中で、太鼓をたたいたのが、つい、昨日のことのような気もする。
あの、のびのびとした、なんとも言えないふわっとした感じ。
今も時々思い出す。
頭は、何にも考えてない時の方が、柔軟で、
こういう感じがいいって感覚も、研ぎ澄まされているんだろうな。
普段は、いろんなことで、頭がいっぱいだから。
たまには、頭をからっぽにしないと、
「何かしてみようかな」という気持ちも、どんどん消えていく気がする。
川の流れる音を、目を閉じて聞いてると、
水の中をプカプカ浮かんでいるような、心地よい感じだった。
しかも、川を遠くで見ている時と、近くに行ってみるのと、全然違って驚いた。
都内で川の音があるか?と思っていたけど、
帰って来てから、近くの公園とか、意外に水の音が聞ける場所をみつけて、
あるもんだ!と、それも驚いた。
たまには水の音を聴いて、頭をからっぽにしたいなと思う。
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