2011/12/29

よいお年を。

今年は、ふと思いたって、ブログを始めました。

1か月続けられるかな~と思っていたブログですが、
おかげさまで、数か月は続きました。

ブログおもしろい」と声をかけていただいたり、
メールをいただいたりと、本当にありがとうございました。
すごく嬉しかったです。
見てくれる人がいると思うと、
また書こう!!!という気持ちが湧いてきます。

コメントに返信しようとすると、自分のブログなのに、
自分のコメントがはじかれるという有り様は続いており、
返信できないままで恐縮です。

引き続き、コメント返しはできないわけですが、
ゆったりした気持ちを大切にして、
のんびり更新していきたいと思っております。

来年も、よろしくお願いします。
みなさま、よいお年を~。

年の瀬

食べやすい大きさに切られて、
一つずつビニール包装してあるお餅が売っている。
これは、すばらしいことだと思う。

実家では、年の瀬になると、のし餅という平べったい大きなお餅が届いて、
それを食べやすい大きさに切るというのが、正月の準備だった。
確か、1枚が一升分だったと思う。
みんなお餅が大好きだったので、毎年4~5枚頼んでいた。

お餅はだいたい29日頃に届く。
お餅を切ると、すぐに包丁がべたべたするので、
濡れ布巾でちょいちょい濡らしながら、食べやすい大きさに切る。
柔らかいうちは、切っても餅と餅が重なるとくっついてしまうので、
半紙を敷いて、餅と餅がくっつかないように、一つ一つ並べる。

小さい頃は、餅を切って並べる父や母の姿がかっこよく見えて、
「切らせて~」と言っていた。
その頃は、手を切ると危ないからと言って切らせてもらえず、
半紙を敷く係をしながら、毎年、
餅が小さく切られていくのを、じっと見ていたような記憶がある。

中学生くらいになると、ようやく餅切り見習いとして
切り方を教えてもらって、意気揚々と餅を切って並べていた。
それからは、餅きりが私の仕事になった。

と、餅切りがキラキラして楽しかったのも2年くらいなもので、
高校生くらいになると、だんだん面倒になってきた。
年の瀬にゆっくりしていると、餅が届く。
母が「お餅が来たよ。よろしく」と私に言う。

すぐに切るのは面倒だけど、届いてから早めに切らないと、
だんだん硬くなってきて、切る時にかなり手が痛い。
なかなか餅切りを始めない私に、母が、
「はやくした方が、お餅柔らかいかもしれへんな。」と言う。

硬くなった餅を切るのも面倒だけど、すぐにはやりたくない。
硬くなった餅は、母の力では切れない(と母が言う)ので、
結局硬くなった餅を切るのは私になる。
あ~面倒くさいけど、今切った方が楽か・・・はぁ
とため息をつきながら餅を切るはめになった。

実家の辺りは丸餅が主流で、餅を切らなくてもいい。
なのに、父が関東出身だったために、
うちだけは餅切りをしなければならないとは・・・トホホ・・・と、
小さい頃は、うらやましかった餅切りを恨めしく思ったりもした。

今は、すでに切られたお餅が、手に入る。
包丁で切る時に、こういう大きさになったら最高、
という形で、一つずつビニール包装されている。
しかも、結構おいしい。
なんてすばらしいことだと思う。

年の瀬に、大掃除もしなければ、凝ったおせちを作ることもなく、
母がざくざくと、いろんな具を煮た煮物がおせち代わりという、
のんびりしていた実家で、唯一の大仕事は餅切りだった。

もう、お餅を切ることもなくなって、
いつ餅が届くかとハラハラすることもなく、
実家に習って、大掃除もしない12月29日は、
こうやって、ブログを書いて、のんびりしている。

切ったお餅を売ってくれて、本当にありがとう、と思う。

2011/12/21

困った時のおまじない、と言えば?

『天空の城ラピュタ』で、
主人公のシータという女の子が、
小さい頃に泣いておばあさんの所に行った時に、
おばあさんから教えてもらった、おまじない。

「リーテ、ラトバリタ、ウルス、アリアロス、バール、ネトリール」

たぶん、こんな感じだった。

たしか、

「我を助けよ、光よよみがえれ、という意味だよ」
と、おばあさんがシータに説明していた。と思う。
『千と千尋の神隠し』ほどではないが、『天空の城ラピュタ』も、
かなり見ているので、だいたい合っていると思う。

私が小さい頃に、よく母が言っていた困った時のおまじない。

「押してダメなら、引いてみろ」

どうにもならない事があると、頭の中で、この言葉が響く。
何かが出来ない時、全く反対のことをしてみると、
意外とスルッとできたりするので、ビックリする時がある。

ただし。残念ながら。

時々、押しても引いても開かないドアを、
「横にスライドするドアですよ」と言われるまで、
押したり、引いたりしていることは、あったりする。

ってことは、応用すると、

「押してダメなら、引いてみろ。引いてダメなら、ズラしてみろ」

って、所でしょうか?

これを困った時に思い出せれるようになれば、
頭が柔軟になったりして?

2011/12/15

終点ですよ。

電車に乗っていて終点に着いたのに、
眠りこけている人をよく見かける。

そういう人を見かけると
「終点ですよ」
と声をかけずにいられない。

そんなにお節介な方ではないけど、
終点に着いても起きる気配のない人がいると、ついつい気になってしまう。

終着駅について「この電車は車庫に入ります〜」とか、
「折り返し運転になります〜」とアナウンスがなっても、
ピクリとも動かない人を見つけると、少し待ってみて、
他の人がいなくなったかならないかの時をみはらかって、
絶妙のタイミングで「終点ですよ」と声をかける。

声をかける瞬間はドキドキする。

タイミングが悪いと近づいた瞬間に起きてしまい、気まずいこともあるし、
走ってきた駅員さんに、「降りてください」と注意されることもある。

タイミングが重要だ。

こんなにハラハラしながら「終点ですよ」をしているのは。。。


学生の頃、経費を浮かすために、実家まで青春18切符を使って帰った。

東京から実家のある福井県まで、片道2000円ちょっとで帰れる。
べらぼうに安い。

もちろん普通列車だけなので、朝早く出ても着くのは夜。
だぶん16〜17時間はかかる。

普通列車の終点までを何回も乗り継いで行くと、
途中で本当にぐっすり寝てしまう。
終点に着く度に、誰かが起こしてくれた。

驚いたのは、駅員さんに起こされるより、
乗客の人に起こされることが多かった。
しかも、みんな優しい。

普通列車の旅は、乗り換えも急いでだったり、食べ物を調達するにも、お手洗いにも困る。

電車に乗るのは好きだけど、かなり疲れる。

そんな中、終点で起こしてもらえるという優しさは、かなり嬉しかった。

電車で終点についても眠りこけている人を見ると、
ついつい、そんな懐かしい旅を思い出す。


そうそう。
うちの両親は、新婚旅行から帰ってきた時、
電車で二人して眠りこけて、地元の駅の、真っ暗な車庫の中で目が覚めたと言っていた。

新幹線もない時代。
確かに眠りこけるだろうなと思う。

でも。
誰も起こしてくれないなんて、ありえないと思ったけど。

新婚だったから、誰も起こしてくれなかったのかもな。

そういえば、私も「終点ですよ」とつい声をかけるのは、一人で眠りこけている人だけだな〜。

さっきも一人、眠りこけおじさんを起こした。

起きた瞬間大抵の人は「はっ!」と言う。

起こすのはドキドキするけど、
この「はっ!」を聞くのは、結構楽しかったりする。

2011/12/13

言われて嬉しかった言葉

何か話があるわけではないけど、一緒にご飯を食べに行きませんか?

2011/12/10

話足りた感じ

考えていることと言葉が近ければ近いほど、話足りた感じが味わえると思っていた。

もっと言うと、正確に思っていることを伝えないと、何も伝わらないんじゃないかと思っていた。

のですが。

あれ?本当にそうなのかな?と疑問がわいてきた。


思いに近い言葉を言えなくても、話足りた感じがすることもある。

一人だと、思いに近い言葉は考えないと出てこない。
しぼり出すようなイメージ。

なのに会話をしていると、
あれあれ?私はこんなことを考えてたんだ!
そうそう、それが言いたかったんですよ

ということを自分でサラサラ言っていて、おどろく時がある。

しぼり出して思いを言葉にしなくても、会話に身を任せたらいいだけなのかもしれない。

そんな楽な話だったのか。


身を任せてもいいな、と思えるかどうかが、カギってことか。

2011/12/06

お題があっても、ないのと変わらない!?

私は好き勝手に文章を書くのは好きだけど、
お題があることについて文章を書くのは苦手。
お題を言われた時点で、頭が真っ白になる。

という話を、中学生と話している時にした。

そうしたら
「感想だけなら、お題があってもなくても一緒ですよ。自由に書く時と同じで、その時に思ったことを思い出して書けばいいだけじゃないですか?」と言われて、なるほどと思った。


それでついでに、文章を書くのが苦手だから、入試の小論文も就職の時の課題文も苦労したと話してみた。

そうしたら、
「それはまた違いますね。お題の内容についてまず知ってないと書けないので、まず知ることからですね」と言われ、確かに、と思った。


さらについでに、今も職場で、イベントの企画書をかくのに苦労していると話してみた。

そうしたら、
「私、そういうの書くの大好きです。まず内容を書いて、注意することを書いて‥云々」と言うのを聞いて、得意なことは年齢関係なく得意なんだなと思った。


苦手なことを苦痛を感じながら続けるよりも、得意な人の知恵を借りれば、すごく楽に考えられるもんだなと思った。

得意なことって、何の苦もなく思い付くこととか出来ることなんだな〜。


しかしまあ。
勉強が苦手なはずで、私が一応教える形になっているのだけど。
逆でもいいか。
もう来なくていいよって言われるまでは。

2011/12/01

中立

どちらの味方にもならない、
ということは、
どちらも敵になる可能性がある。

もしかすると、
どちらかの味方になるのは簡単なことで、
どちらの味方にもならないことは、
努力し続けないとできないような、
難しいことなのかもしれない。

そういう考えもあるね、なんて一言言っただけで、
「え、あの人の味方をするの?」と言われたりするし、
敵とか、味方とか、面倒くさい。
誰かが誰かに怒りがある時に、
この、敵、味方ができやすい気がする。
しかも、小さいことなら、よくある話。

人を巻き込みやがって。。。
と思うことも多いけど。
今日はそういうことで、面倒な日になりそうなのだけど。
自分もやっているかもしれない。

うわ~~~。
気をつけようっと。