ネコの姫と、ななせがうちに来て、明日でちょうど1年になります。
記念に、プロフィールを考えてみました。
【姫】
毛色:毛は短め、シロクロの八割れ
性格:やんちゃなびびり
好きな人間:おもちゃのネズミをくわえて持っていったら、すぐに遊んでくれる人
苦手なこと:インターホンの音
これだけはやめられない:ななせに狙いを定めてダッシュして、ちょっかいを出すこと
最近はまっていること:壁紙を少しずつはがすこと、と、ティッシュを1枚だけ引っ張り出してびりびりに裂くこと
【ななせ】
毛色:毛は少し長め、キャッツに出てくるようなきれいなトラ柄
性格:優しいびびり
好きな人間:ちょうどいい柔らかさのご飯を出してくれる人
苦手なこと:のんびりしている時に、急に姫にちょっかいを出されること
これだけはやめられない:飯、飯、飯~
最近はまっていること:ソファーの端っこ、今にも落ちそうなギリギリで昼寝すること
血のつながりはない、タイプの違う2人にしては、
気がつくと一緒に寝てたり、仲がよいんだよな~。
おもしろいヤツらです。
2018年4月25日より、移行しました。 今までありがとうございました。 note(ノート) https://note.mu/kuronekokuroko/n/n446abf3d5597
2015/06/28
2015/06/11
生命力?
なんだかわからないけど、自分の生命力が弱まってるな、と思う時がある。
明確な理由がわかる時もあれば、それほど思い当たらない時もある。
特に何があったわけでなくても、1か月に何回も風邪をひいたり、
いつも腰やら肩やら、どこかが痛かったりする時もある。
寝ても寝ても眠かったり、「おいしい」と感じにくくなっていたりする時もある。
でも、そういう時があっても、
何ヶ月か経って、ふっと気がつくと、
とても爽やかな感じで、のんびり座っていたりする。
身体も軽い感じがして、今までのあれはなんだったんだろう?
あれ?、もしかして生命力が弱まってたのかな、と急に思ったりする。
不思議なもんですね。
妙な話ですが。
自分のブログを読み返すと、すごい生命力があるな、と思う。
しなっ~となっている時に読むと、本当にこれは私が書いたのだろうか?
と驚くこともある。
とっても丁寧に生きている感じまでしてくる。
過去の自分と今の自分が同じとは、全く思えない。
そして、書いたときに感じたことは、
完全にと言っていいほど、見事に忘れてしまっていて、
読むと思いだすこともできる。
文字に残すっていうのは、おもしろいな~と思う。
明確な理由がわかる時もあれば、それほど思い当たらない時もある。
特に何があったわけでなくても、1か月に何回も風邪をひいたり、
いつも腰やら肩やら、どこかが痛かったりする時もある。
寝ても寝ても眠かったり、「おいしい」と感じにくくなっていたりする時もある。
でも、そういう時があっても、
何ヶ月か経って、ふっと気がつくと、
とても爽やかな感じで、のんびり座っていたりする。
身体も軽い感じがして、今までのあれはなんだったんだろう?
あれ?、もしかして生命力が弱まってたのかな、と急に思ったりする。
不思議なもんですね。
妙な話ですが。
自分のブログを読み返すと、すごい生命力があるな、と思う。
しなっ~となっている時に読むと、本当にこれは私が書いたのだろうか?
と驚くこともある。
とっても丁寧に生きている感じまでしてくる。
過去の自分と今の自分が同じとは、全く思えない。
そして、書いたときに感じたことは、
完全にと言っていいほど、見事に忘れてしまっていて、
読むと思いだすこともできる。
文字に残すっていうのは、おもしろいな~と思う。
2015/06/03
出会いは、まぼろし
人との出会いって、実は、まぼろしかもしれない。
同じ人に何度も会っているように思っても、
まったく何も変わらない人なんていない。
自分も人も、刻一刻と、何もかもが変化している。
「同じ人にまた会えた」と思うことの方が、
幻想なのかもしれない。
どの瞬間も、最初で最後の時間なのかもしれない。
一瞬一瞬を大切にできたらいいな、と思う。
同じ人に何度も会っているように思っても、
まったく何も変わらない人なんていない。
自分も人も、刻一刻と、何もかもが変化している。
「同じ人にまた会えた」と思うことの方が、
幻想なのかもしれない。
どの瞬間も、最初で最後の時間なのかもしれない。
一瞬一瞬を大切にできたらいいな、と思う。
2015/05/18
人の評価はあてにならない、と思ったこと
5月から、また学童で働き始めた。
何を言われても好き勝手なことをする子どもを見るのは、とても楽しいけど、
息苦しい時もある。
「宿題は自分でやらないと意味がないでしょ」
「砂場で裸足で遊ぶなんて危ないでしょ」
などと、当たり前のように言う大人がいる。
それを言われる子どもたちは、どう思っているんだろう?
私は、小学校の頃、あらゆる宿題を家族に手伝ってもらっていた。
漢字を書いたり、計算をしたり、日記を書いたりというのは、まあまあ好きだったけど、
読書感想文、工作関係は、本当に苦手だった。
宿題をしてないと学校に行けなくなってしまう性格を、母がわかってくれていたのもあり、
末っ子だったからか、みんな割と楽しそうに手伝ってくれた。
3日に1回、読書感想文を出さなければならなかった時は、
毎回母に感想文の下書きを描いてもらっていた。
母は、本を読むのが好きで、私が借りてくる本を喜んで読んでいた。
母とのルールがいくつかあった。
自分でも読めそうな本を見つけて借りてきて早めに母へ渡すこと、
はじめにと終わりにだけは自分で読むこと、
母が書いた下書きを読んで、意味のわからない所があれば省くこと、
夏休みの読書感想文の時だけは自分で全部読んで書くこと、など。
自由研究で本棚を作ることになった時は、設計図だけ書いた所で力尽き、
木工は苦手な母が、日曜大工の好きな父に協力を依頼してくれた。
父は、私が書いた設計図を見て、「これはすごい!」と言い、
これがあれば、その通りに作れると言い、
さっさと材料を集め、作り始めたらおもしろくなったのか、
見ている間に、どんどん本棚になっていって、
カンナまでかけて、とても小学生が作ったとは思えない、
すばらしい仕上がりにしてくれた。
母が、何も作ってないのは、やってないってばれるかもねぇと言い、
側面に彫刻刀で、何か絵を彫ったらどうだろうという話になって、
ネコの絵を彫ると決めて、彫った。
作ったものは、担任の先生が、出来栄えを金か銀か決める。
銀だったら、父ががっかりするな、とドキドキしていたら、
父が作った本棚は、「金」と判定がついた。
毎年夏には、アイデア貯金箱を作って出す宿題があって、
一度、姉が以前に作ったものを持って行ったこともあった。
作り方を聞かれたら困るので、姉に作り方の聞きとりだけした。
その時も、学校では、すばらしい出来栄え、と褒められた。
褒められながら、姉は手先が器用だからね、と思っていた。
そんなこんなで、宿題をクリアしていった。
すると、だんだん、自分でできることも増えてきて、
それほど手伝ってもらわなくてもできることも、少しずつ増えてきた。
ある時、もう、宿題は自分で全部しようと思ったことがあって、
自由研究で、自分の着られなくなった洋服を再利用して、
ぬいぐるみの服を作った。
自分ではアイデアも自分で考えて、すばらしいと思ったし、
何と言っても、誰にも手伝ってもらうことなく、一人で仕上げた。
これは絶対「金」がもらえるだろうと思っていたら、
なんと評価が「銀」だった。
ああ、人の評価なんて、いい加減なもんだな、と思った。
評価なんて、結局、ほんの一部しか見ないで、適当につけている。
私にとっては、小学校の自由研究で一番の力作は、ぬいぐるみの洋服なんだ。
自分で作ってはないけど、本棚の時も、読書感想文の時も、
その時の、父や母との会話も、楽しかった。
得体のしれない学校、という怪物に、みんなで一緒に立ち向かっている感じだった。
砂場を裸足で遊ぶな、と言われた子に、
私の小学校は、体育で校庭に出るときは、1年中いつでも裸足だったよ、
靴を履いて走りたいと、その時は思ってたけど、
そういえば、6年間で足を切って困ったことはなかったよ、
と言いたい。
大人が大きい声で言うことも、結局一つの見方でしかない、
と、思ってもらえたらいいな~と、心から思う。
何を言われても好き勝手なことをする子どもを見るのは、とても楽しいけど、
息苦しい時もある。
「宿題は自分でやらないと意味がないでしょ」
「砂場で裸足で遊ぶなんて危ないでしょ」
などと、当たり前のように言う大人がいる。
それを言われる子どもたちは、どう思っているんだろう?
私は、小学校の頃、あらゆる宿題を家族に手伝ってもらっていた。
漢字を書いたり、計算をしたり、日記を書いたりというのは、まあまあ好きだったけど、
読書感想文、工作関係は、本当に苦手だった。
宿題をしてないと学校に行けなくなってしまう性格を、母がわかってくれていたのもあり、
末っ子だったからか、みんな割と楽しそうに手伝ってくれた。
3日に1回、読書感想文を出さなければならなかった時は、
毎回母に感想文の下書きを描いてもらっていた。
母は、本を読むのが好きで、私が借りてくる本を喜んで読んでいた。
母とのルールがいくつかあった。
自分でも読めそうな本を見つけて借りてきて早めに母へ渡すこと、
はじめにと終わりにだけは自分で読むこと、
母が書いた下書きを読んで、意味のわからない所があれば省くこと、
夏休みの読書感想文の時だけは自分で全部読んで書くこと、など。
自由研究で本棚を作ることになった時は、設計図だけ書いた所で力尽き、
木工は苦手な母が、日曜大工の好きな父に協力を依頼してくれた。
父は、私が書いた設計図を見て、「これはすごい!」と言い、
これがあれば、その通りに作れると言い、
さっさと材料を集め、作り始めたらおもしろくなったのか、
見ている間に、どんどん本棚になっていって、
カンナまでかけて、とても小学生が作ったとは思えない、
すばらしい仕上がりにしてくれた。
母が、何も作ってないのは、やってないってばれるかもねぇと言い、
側面に彫刻刀で、何か絵を彫ったらどうだろうという話になって、
ネコの絵を彫ると決めて、彫った。
作ったものは、担任の先生が、出来栄えを金か銀か決める。
銀だったら、父ががっかりするな、とドキドキしていたら、
父が作った本棚は、「金」と判定がついた。
毎年夏には、アイデア貯金箱を作って出す宿題があって、
一度、姉が以前に作ったものを持って行ったこともあった。
作り方を聞かれたら困るので、姉に作り方の聞きとりだけした。
その時も、学校では、すばらしい出来栄え、と褒められた。
褒められながら、姉は手先が器用だからね、と思っていた。
そんなこんなで、宿題をクリアしていった。
すると、だんだん、自分でできることも増えてきて、
それほど手伝ってもらわなくてもできることも、少しずつ増えてきた。
ある時、もう、宿題は自分で全部しようと思ったことがあって、
自由研究で、自分の着られなくなった洋服を再利用して、
ぬいぐるみの服を作った。
自分ではアイデアも自分で考えて、すばらしいと思ったし、
何と言っても、誰にも手伝ってもらうことなく、一人で仕上げた。
これは絶対「金」がもらえるだろうと思っていたら、
なんと評価が「銀」だった。
ああ、人の評価なんて、いい加減なもんだな、と思った。
評価なんて、結局、ほんの一部しか見ないで、適当につけている。
私にとっては、小学校の自由研究で一番の力作は、ぬいぐるみの洋服なんだ。
自分で作ってはないけど、本棚の時も、読書感想文の時も、
その時の、父や母との会話も、楽しかった。
得体のしれない学校、という怪物に、みんなで一緒に立ち向かっている感じだった。
砂場を裸足で遊ぶな、と言われた子に、
私の小学校は、体育で校庭に出るときは、1年中いつでも裸足だったよ、
靴を履いて走りたいと、その時は思ってたけど、
そういえば、6年間で足を切って困ったことはなかったよ、
と言いたい。
大人が大きい声で言うことも、結局一つの見方でしかない、
と、思ってもらえたらいいな~と、心から思う。
2015/04/20
伝える、ということ
朝早くからネコに、朝ごはんはまだか~と、激しく起こされた。
ごはんをペロッと食べたネコたちは、横でグーグー寝てる。
ですよね。
私の方は、起きてみたら眠くなくなった。これはいつも不思議。
そして、ネコのごはんの缶詰の香りをかぐと、お腹が減る。
猫缶をたくさん買い置きして、緊急の時は分けてもらい、たくさん食べてやろう。
しかしまあ、昨日は充実した日だった。
~ココロの野遊び~というトークセッションに行ってみた。
案内文に惹かれて、ふらっと申込みをしたんだけど、やっぱりおもしろかった。
話題の一つ一つを本で読んだら、間違いなく私は熱を出すだろうな~
という話を、次から次からサラサラと話す2人は、見てて心地良かった。
「知ってしまったからやりたくなってやった」
とてもシンプルな話だった。
言葉はとても多かったのに、のどがカラッカラの時に井戸水を飲んだような
体にす~っと染み込むような感覚があった。
ちょっと思い出したことがあった。
小学校の卒業式で聞いた、父母から卒業生へ送る歌、私の子どもたちへ
思いがけない聞いたことのなかった歌だったけど、
1回しか聞いたことないのに、時々強烈によみがえってくる歌を、また思い出した。
この歌の続きで、じゃあ、実際に何をしたらいいのんだろう?
と、思うことがあって。
てのに「はいはい、知ってしまったことを一つ一つしてみてるだけです」てな感じというか。
そうそう。
もともと、WRAPもそう、IPSもそう。
知ってしまったことを発信するというのは、とても大切なことだったんだ。
誰でも、これをしてみようかな、と思ったらやってみることができる。
はずなのに、できないと思わされることが多すぎる。
というノリのまま、昔馴染みのようなIPSスカイプに、参加したら、
過去の爆発するような怒りを思い出した。
かつて精神科の病院で働いていたが、そこの先代の院長は、
パチンコ屋をするか、精神病院を作るか、どちらが儲かるだろう、
と考えて、精神科の病院を作った、という事実。
経営を安定させるために、ベットを満床にするには、と、
ホームレスの人々を「病気」と名付けて、次々に入院させていたこと。
私が働き始めたのは、病院が出来てすでに40年以上になっていた。
かなり前に連れてこられたまま、出られなくなっている人が、
「私は本当は病気じゃないんです。仕事がなかっただけ」と言っていたこと。
でも、どうすることもできなくて、すべてを諦めて生活していたこと。
そういう人がたくさん入院して経営の要になっていた事実。
医療費削減になったら、長期の入院患者が居ては経営が成り立たなくなって、
私が入った頃は、退院を一人一人に説得する仕事があったこと。
はあ?もういい加減にして、という話ばかりだった。
全部燃えてしまえばいいのに、と思いながら退職したけど、
WRAPを知る人が増えたら、自然に病院は潰れるんじゃないか、と思った。
誰かに自分の行動を一生制限されるような、
そんな生活しかないわけがない。
ここを出たら、ここを利用しなければ地獄の生活が待っていますよ、
なんて、そんなのは、罪のない人に、罪の告白を強要するのと同じじゃないか。
浅草に行ったついでに、兄の家に遊びに行った。
4月から働き始めた姪っ子が、紅茶をいれてくれたのが、おいしかった。
昔は抱っこしただけで泣いたのに。
いつのまにか、一緒にいるとホッとする、とても話のしやすい人になってた。
年をとるってのは、若い人と会う楽しみが増えるもんなんだな。きっと。
昨日は濃い1日だったな
まだ、となりでネコが寝てる。
ネコがのんびりできるような暮しが続くといいなと思うので、
知ってしまったことは、少しずつでも発信していきたいなと思った。
ごはんをペロッと食べたネコたちは、横でグーグー寝てる。
ですよね。
私の方は、起きてみたら眠くなくなった。これはいつも不思議。
そして、ネコのごはんの缶詰の香りをかぐと、お腹が減る。
猫缶をたくさん買い置きして、緊急の時は分けてもらい、たくさん食べてやろう。
しかしまあ、昨日は充実した日だった。
~ココロの野遊び~というトークセッションに行ってみた。
案内文に惹かれて、ふらっと申込みをしたんだけど、やっぱりおもしろかった。
話題の一つ一つを本で読んだら、間違いなく私は熱を出すだろうな~
という話を、次から次からサラサラと話す2人は、見てて心地良かった。
「知ってしまったからやりたくなってやった」
とてもシンプルな話だった。
言葉はとても多かったのに、のどがカラッカラの時に井戸水を飲んだような
体にす~っと染み込むような感覚があった。
ちょっと思い出したことがあった。
小学校の卒業式で聞いた、父母から卒業生へ送る歌、私の子どもたちへ
思いがけない聞いたことのなかった歌だったけど、
1回しか聞いたことないのに、時々強烈によみがえってくる歌を、また思い出した。
この歌の続きで、じゃあ、実際に何をしたらいいのんだろう?
と、思うことがあって。
てのに「はいはい、知ってしまったことを一つ一つしてみてるだけです」てな感じというか。
そうそう。
もともと、WRAPもそう、IPSもそう。
知ってしまったことを発信するというのは、とても大切なことだったんだ。
誰でも、これをしてみようかな、と思ったらやってみることができる。
はずなのに、できないと思わされることが多すぎる。
というノリのまま、昔馴染みのようなIPSスカイプに、参加したら、
過去の爆発するような怒りを思い出した。
かつて精神科の病院で働いていたが、そこの先代の院長は、
パチンコ屋をするか、精神病院を作るか、どちらが儲かるだろう、
と考えて、精神科の病院を作った、という事実。
経営を安定させるために、ベットを満床にするには、と、
ホームレスの人々を「病気」と名付けて、次々に入院させていたこと。
私が働き始めたのは、病院が出来てすでに40年以上になっていた。
かなり前に連れてこられたまま、出られなくなっている人が、
「私は本当は病気じゃないんです。仕事がなかっただけ」と言っていたこと。
でも、どうすることもできなくて、すべてを諦めて生活していたこと。
そういう人がたくさん入院して経営の要になっていた事実。
医療費削減になったら、長期の入院患者が居ては経営が成り立たなくなって、
私が入った頃は、退院を一人一人に説得する仕事があったこと。
はあ?もういい加減にして、という話ばかりだった。
全部燃えてしまえばいいのに、と思いながら退職したけど、
WRAPを知る人が増えたら、自然に病院は潰れるんじゃないか、と思った。
誰かに自分の行動を一生制限されるような、
そんな生活しかないわけがない。
ここを出たら、ここを利用しなければ地獄の生活が待っていますよ、
なんて、そんなのは、罪のない人に、罪の告白を強要するのと同じじゃないか。
浅草に行ったついでに、兄の家に遊びに行った。
4月から働き始めた姪っ子が、紅茶をいれてくれたのが、おいしかった。
昔は抱っこしただけで泣いたのに。
いつのまにか、一緒にいるとホッとする、とても話のしやすい人になってた。
年をとるってのは、若い人と会う楽しみが増えるもんなんだな。きっと。
昨日は濃い1日だったな
まだ、となりでネコが寝てる。
ネコがのんびりできるような暮しが続くといいなと思うので、
知ってしまったことは、少しずつでも発信していきたいなと思った。
2015/04/16
自分が本当にしたいこと
自分が本当にしたいことを、じっくり自分に問い直すのは、
人のためでもあると思う。
今、自分がしていること、仕事やら何かは、
すごくしたいか、ちょっとしてみたいか、程度の差はあるにしても、
自分がしてもいいかな、と思って選んだことだと思う。
たとえば、あ、違うな、と思っても続けるとすると、
本当にこれが、自分のしたいことなのか、という感覚がにぶる気がする。
もし、働いている人10人が、みんな、あ、違うなと思いながら働いたとしたら。
100人がそうだったら。
10000人がそうだったら。
以前に、怖い実験の話を聞いた。
うる覚えだが、こんなような話。
まったく関係のない人2人がいる。
一人は電気椅子に座る係。
一人はモニターで電気椅子に座った人を見ながら、電気を入れる係。
ただ、指示された通りに2人は役割を演じる。
必ず言われた通りの役割をしなければならない、という設定。
電気を入れる係の人は、スイッチを定期的に入れなければならない。
最初は、座った人が痛がるので、躊躇しながら恐る恐る押す。
でも、数日経つと、だんだん慣れて、
モニターで痛がっている人を見ても、ためらいなく押すようになる。
1週間もすると、スイッチを押すのを楽しんでいるかのように見える。
電気椅子に座っている人が危ないということで、1週間で実験は中止になった。
実験の後で、インタビューをしていた。
スイッチを入れる役の人は、最初は怖かったけど、
だんだん楽しくなって、ためらいもなくなった、と話していた。
椅子に座った人は、もう頼まれてもしたくない、と言っていた。
これは実験で「もうやめましょう」という人が何人かいた。
もし、実験に参加している人が1000人ずついて、
やめましょう、と言う人が一人だったら、
実験を中止にできたのかな、と思うと、ぞっとした。
でも現実には、どこの国でも、過去にも、
今も、同じようなことが起こっている。
きっと、起こっている最中には、スイッチを押していた人みたいに、
気がつきにくいんだと思う。
でも、誰かがどこかの時点で、あれ?と思って、
大勢の人が、あれ?と思うようになると、変わるのかもしれない。
ちょっとおかしいな、という感覚は、とても大切だと思う。
「ちょっとおかしいと思うんです」と言える環境ができるかどうかは、
言う人に勇気がある、ということでもなく、
集まっている人みんなが「自分が本当にしたいこと」を、じっくり考えたり、
それを話できたり、行動できたりする時なのかも、と思う。
叔母は「病気」だと名づけられ40年入院し、老人ホームで亡くなった。
もし、「自分が本当にしたいこと」を、じっくり考える人たちの中にいたら、
一生病気だった、と言われることはなかったかもしれないし、
本当に自分のしたいことを、じっくり考えられたかもしれない。
「ちょっとおかしい」という感覚を磨くのと、
「おもしろいな、と感じて思わず戯れてみる」という感じ、
通じるものがあるように思う。
人のためでもあると思う。
今、自分がしていること、仕事やら何かは、
すごくしたいか、ちょっとしてみたいか、程度の差はあるにしても、
自分がしてもいいかな、と思って選んだことだと思う。
たとえば、あ、違うな、と思っても続けるとすると、
本当にこれが、自分のしたいことなのか、という感覚がにぶる気がする。
もし、働いている人10人が、みんな、あ、違うなと思いながら働いたとしたら。
100人がそうだったら。
10000人がそうだったら。
以前に、怖い実験の話を聞いた。
うる覚えだが、こんなような話。
まったく関係のない人2人がいる。
一人は電気椅子に座る係。
一人はモニターで電気椅子に座った人を見ながら、電気を入れる係。
ただ、指示された通りに2人は役割を演じる。
必ず言われた通りの役割をしなければならない、という設定。
電気を入れる係の人は、スイッチを定期的に入れなければならない。
最初は、座った人が痛がるので、躊躇しながら恐る恐る押す。
でも、数日経つと、だんだん慣れて、
モニターで痛がっている人を見ても、ためらいなく押すようになる。
1週間もすると、スイッチを押すのを楽しんでいるかのように見える。
電気椅子に座っている人が危ないということで、1週間で実験は中止になった。
実験の後で、インタビューをしていた。
スイッチを入れる役の人は、最初は怖かったけど、
だんだん楽しくなって、ためらいもなくなった、と話していた。
椅子に座った人は、もう頼まれてもしたくない、と言っていた。
これは実験で「もうやめましょう」という人が何人かいた。
もし、実験に参加している人が1000人ずついて、
やめましょう、と言う人が一人だったら、
実験を中止にできたのかな、と思うと、ぞっとした。
でも現実には、どこの国でも、過去にも、
今も、同じようなことが起こっている。
きっと、起こっている最中には、スイッチを押していた人みたいに、
気がつきにくいんだと思う。
でも、誰かがどこかの時点で、あれ?と思って、
大勢の人が、あれ?と思うようになると、変わるのかもしれない。
ちょっとおかしいな、という感覚は、とても大切だと思う。
「ちょっとおかしいと思うんです」と言える環境ができるかどうかは、
言う人に勇気がある、ということでもなく、
集まっている人みんなが「自分が本当にしたいこと」を、じっくり考えたり、
それを話できたり、行動できたりする時なのかも、と思う。
叔母は「病気」だと名づけられ40年入院し、老人ホームで亡くなった。
もし、「自分が本当にしたいこと」を、じっくり考える人たちの中にいたら、
一生病気だった、と言われることはなかったかもしれないし、
本当に自分のしたいことを、じっくり考えられたかもしれない。
「ちょっとおかしい」という感覚を磨くのと、
「おもしろいな、と感じて思わず戯れてみる」という感じ、
通じるものがあるように思う。
2015/04/15
ぎゃーてーぎゃーてー
4月に~IPS~IPS矢花~矢が花に変わる~の3日間に参加しました。
今回は、とってもうまく、こんな感じだったと説明できそうな気が。
まず、話がそれます。
仏教系の学校の寮に、1年間暮らしていたことがあった。
その時に、月・水・金の朝8時~勤行(ごんぎょう)の時間てのがあって、
仏壇の前で、般若心経をみんなで唱えることになっていた。
寮監が木魚を叩くのだけど、後に用事がある時は早め、
出かけない時は、ゆっくりになったりと、速度も臨機応変。
般若心経も、最初は本を見ながらなので、早い時はめくるのが大変。
でもま、だいたいみんな覚えてくると、最後の方に
「ぎゃーてーぎゃーてー」というのが出てきて、
ぎゃーてーっておもしろいよね、と話題になってきた。
今日、授業行く?
「ぎゃーてー!」
てな風に、普段からぎゃーてーと戯れるようになってきた。
みんな、何も見なくてもスラスラ言えるようになって、
ぎゃーてーの辺りになると、ニヤッとする人が増えて、
しかも、スピードが恐ろしく速い日は、最高に楽しくて、
木魚を叩く寮監の後ろで、ガッツポーズをする人とか。
笑わないように気をつけるのが大変な時もあったり、
みんなノリノリで、ぎゃーてーぎゃーてー、と唱えてたり。
こんな風に、おもしろいな、と思ったら一緒に戯れてみてもいいんじゃないですか?
てなことを、
もしかすると、きちんとしなければと考える人がいたら、
言いにくかったり、もしかすると怒られたりすることもあるかもしれない。
でも幸い、寮の勤行では怒られることもなく、諭されることもなく、
暗記の苦手だった私も、知らない間に、全部覚えていて、
私の中で、般若心経は、とても楽しかった思い出になっている。
今でも般若心経を聞くと、懐かしいな~てのと、ワクワクした感じがよみがえる。
研修で学ぶということも、こんな感じでできるんじゃないかと。
つらくて苦しい方が身になる研修、って前は思ってたけど、
なんで、そんな風に思うようになってたんだろうと、
今となっては不思議に思う。
仕事も、我慢して嫌なこと、をわざわざ選ばなくてもいいんだよな~なんて思ったり。
という話が、一番、今回の3日間を表現できそうな気がしたのですが。
あれ?何を言いたかったんだっけ?私。
う~ん。
今回も、3日間楽しかったです。
また、思いついたら、どんなだったか書くことにします。
今回は、とってもうまく、こんな感じだったと説明できそうな気が。
まず、話がそれます。
仏教系の学校の寮に、1年間暮らしていたことがあった。
その時に、月・水・金の朝8時~勤行(ごんぎょう)の時間てのがあって、
仏壇の前で、般若心経をみんなで唱えることになっていた。
寮監が木魚を叩くのだけど、後に用事がある時は早め、
出かけない時は、ゆっくりになったりと、速度も臨機応変。
般若心経も、最初は本を見ながらなので、早い時はめくるのが大変。
でもま、だいたいみんな覚えてくると、最後の方に
「ぎゃーてーぎゃーてー」というのが出てきて、
ぎゃーてーっておもしろいよね、と話題になってきた。
今日、授業行く?
「ぎゃーてー!」
てな風に、普段からぎゃーてーと戯れるようになってきた。
みんな、何も見なくてもスラスラ言えるようになって、
ぎゃーてーの辺りになると、ニヤッとする人が増えて、
しかも、スピードが恐ろしく速い日は、最高に楽しくて、
木魚を叩く寮監の後ろで、ガッツポーズをする人とか。
笑わないように気をつけるのが大変な時もあったり、
みんなノリノリで、ぎゃーてーぎゃーてー、と唱えてたり。
こんな風に、おもしろいな、と思ったら一緒に戯れてみてもいいんじゃないですか?
てなことを、
もしかすると、きちんとしなければと考える人がいたら、
言いにくかったり、もしかすると怒られたりすることもあるかもしれない。
でも幸い、寮の勤行では怒られることもなく、諭されることもなく、
暗記の苦手だった私も、知らない間に、全部覚えていて、
私の中で、般若心経は、とても楽しかった思い出になっている。
今でも般若心経を聞くと、懐かしいな~てのと、ワクワクした感じがよみがえる。
研修で学ぶということも、こんな感じでできるんじゃないかと。
つらくて苦しい方が身になる研修、って前は思ってたけど、
なんで、そんな風に思うようになってたんだろうと、
今となっては不思議に思う。
仕事も、我慢して嫌なこと、をわざわざ選ばなくてもいいんだよな~なんて思ったり。
という話が、一番、今回の3日間を表現できそうな気がしたのですが。
あれ?何を言いたかったんだっけ?私。
う~ん。
今回も、3日間楽しかったです。
また、思いついたら、どんなだったか書くことにします。
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