2017/11/09

変わること変わらないこと

前に、辛島文雄さんにジャズピアノを習ったことがある。
小さい頃からのピアノのレッスン代をもったいなく思って、
今までいくら払ってもらっていたか計算して、
これはピアノで取り返すしかないと、思いこんでいた頃のこと。

辛島さんのピアノは、恐ろしいほど音がきれいだった。
音色ってこのことか、本当にこれがピアノか、と思うほど。
ライブにも何回も行った。
メンバーと息がぴったり合わないと、超越技巧になってしまうけど、
ピタッと合った時の音色は、雲の上に寝転んでいるようで、
あんなピアノがどうやったら弾けるんだろうと思った。

実際に習ってみたら、それはもう厳しくて、というより、
毎回毎回、怒鳴られまくる。
1年くらい続けた後、私が無理にピアノを弾かなくてもいいか、
と、ピアノは諦める結果となった。

辛島さんに一度だけ言われて、今でも覚えている言葉がある。

「ジャズピアノを弾くのに、人生で無駄なことは何一つない」

そうか、何も焦らなくても今でなくてもいいのか、
と思った記憶がある。


その後は、目標もなくなって、何をやってるんだかな、
と思いながら仕事だけしてた時に出会ったのがWRAP。
そして、IPS。
縁が切れるかなと思ったことは何度かあったけど、
不思議と今も縁が切れずにいる。

その代わり、今、縁が切れそうなのが、仕事。
ずっと探してきて、ここにはなかった…というショックから、
まだ抜けられない。

「何かをする」ために無駄なことは一つもない、
と、唱えてみたところで、やっぱり、
今は無駄なことをしてるんじゃないか、と思ってしまう。
具体的に、これです!というのはわからず、
こんな感じのこの辺を目指してます、となると、
ますます、この道でいいのか?と戸惑ってしまう。

しかしもう、今の仕事の先に、こういう感じは無い、
というのは、ほぼ明確になったのだから、
と言っても、やっぱりまだ、はいそうですか、
と言える気分にはなれない。


前に友人が、ボソッと言っていた言葉があった。
中心になってワークショップのファシリテートをしていた人が
病気でワークショップを出来なくなってしまって、
友人が代わりに中心となってワークショップをするようになって、
数年たった頃のことだった。

「病気で来てもらえなくなったから、今のようなワークショップができあがったのかもね。もしずっと来てもらっていたら、今のようなワークショップは出来上がらなかったかもしれない。」

その時の、淡々とした話しぶりは、いろんな人がこうでもないああでもないと関わりながら、出来上がってきたワークショップの形を喜びながらも、ちょっと寂しそうで苦しそうな、なんとも言えない表情だった。

何かを終えると何かがやってくることもある。
誰かがいなくなったから、出来上がってくることもある。
それは嬉しい事でもあるけど、やっぱり時々、寂しいことでもある。
これからも、こういう風に、いろんなことが繰り返されていくんだろうな。
変わらないようで変わっている。
でも変わってないこともある。
年を重ねるってこういう感じなのかな、と思った。

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