2017/11/14

びわ湖「IPS子育てキッズラップ」に参加しました。

2017年11月4日~5日、秋のびわ湖に行ってきた。
びわ湖の水はちょっと冷たくて、風は気持ち良かった。

初日は、子どもが10人参加という、とても賑やかな集まりだった。
1歳~小6?くらいと様々な子どもが自由に遊ぶ中、
輪になって話をしていると、声が聞こえないので、
「もうちょっと近くに寄ってもらっていいですか?」
と声を掛け合いながら話もした。

「元気に役立つ道具箱」では、模造紙に自分の道具を書くということで、
入れ代わり立ち代わり、書いては遊んで書いては遊んで、
お互いのを、ちょっと紹介し合うというのも、おもしろかった。
5歳くらいの子が調子を出してくると、書くのも言うのも止まらない、
そのワクワク感が伝わってきた。

元気帳の説明もさせてもらった。
元気帳があることで子どもが怒られてしまうことがないように。
無くしたり、汚したり、大事にしたリ、捨てたり、
付け加えたり、手に取った方が自分のすきに使って、
誰にもそのことでとやかく言われないことを願ってる、
ということを言いたかったのだけど。
例のごとく、何を説明したかは覚えてない。

あ、そうそう、「子どもの頃好きだった遊びは?」
っていう話題で話したんだった。

外でボール遊びとか、野球(ほぼ球拾い)をしている時に、
あ、見て!と言われて、大きい二重の虹も見た。

アンダー6歳、数人とのドロケーは、カオスでおもしろかった。
「ドロボーは、こっちにきて、ここに座って」
「はい、今逃げて!捕まえるから」などの指示あり。
ドロボーの前で、ちびっこ警察官が、順番に
おもしろい踊りを披露して、ドロボーを笑わせるとか、
部屋にドロボーを招いてくれて、
「水分補給しないさい!」と、あったかいお茶を出してくれたり。

他の宿泊客がいるのに、廊下で「あ~~ドロボーだ~!」
と大声で叫ばれた時には、ほんとに慌てたけど。


2日目は人数が減って、畳に寝転がってマインドフルネスやら、
びわ湖に散歩に行ったりもした。

自分の感じていることを言葉にしたいけど、
言葉にすると薄っぺらくなる気がするというような話が。
先日の尹さんの「わかりあえなさ」の講座で体験した、
自己紹介をして習慣、価値観、課題を考えて、
更に聞いてみるというのも、みんなで試してみた。
許可なくしましたが、事後報告しました。)

子どもがこんなに大勢の、WRAPやIPSの集まりは初めてだったけど、
割とみんな自由に動きつつ、参加しつつ、
近くに来た子と遊びつつ、出入りもありつつ、
のんびりとした時間を過ごすことが出来る、って、
ほんとに出来るんだ!と、ちょっと驚きだった。
こういうのって、ほんといいなと思った。

2017/11/09

変わること変わらないこと

前に、辛島文雄さんにジャズピアノを習ったことがある。
小さい頃からのピアノのレッスン代をもったいなく思って、
今までいくら払ってもらっていたか計算して、
これはピアノで取り返すしかないと、思いこんでいた頃のこと。

辛島さんのピアノは、恐ろしいほど音がきれいだった。
音色ってこのことか、本当にこれがピアノか、と思うほど。
ライブにも何回も行った。
メンバーと息がぴったり合わないと、超越技巧になってしまうけど、
ピタッと合った時の音色は、雲の上に寝転んでいるようで、
あんなピアノがどうやったら弾けるんだろうと思った。

実際に習ってみたら、それはもう厳しくて、というより、
毎回毎回、怒鳴られまくる。
1年くらい続けた後、私が無理にピアノを弾かなくてもいいか、
と、ピアノは諦める結果となった。

辛島さんに一度だけ言われて、今でも覚えている言葉がある。

「ジャズピアノを弾くのに、人生で無駄なことは何一つない」

そうか、何も焦らなくても今でなくてもいいのか、
と思った記憶がある。


その後は、目標もなくなって、何をやってるんだかな、
と思いながら仕事だけしてた時に出会ったのがWRAP。
そして、IPS。
縁が切れるかなと思ったことは何度かあったけど、
不思議と今も縁が切れずにいる。

その代わり、今、縁が切れそうなのが、仕事。
ずっと探してきて、ここにはなかった…というショックから、
まだ抜けられない。

「何かをする」ために無駄なことは一つもない、
と、唱えてみたところで、やっぱり、
今は無駄なことをしてるんじゃないか、と思ってしまう。
具体的に、これです!というのはわからず、
こんな感じのこの辺を目指してます、となると、
ますます、この道でいいのか?と戸惑ってしまう。

しかしもう、今の仕事の先に、こういう感じは無い、
というのは、ほぼ明確になったのだから、
と言っても、やっぱりまだ、はいそうですか、
と言える気分にはなれない。


前に友人が、ボソッと言っていた言葉があった。
中心になってワークショップのファシリテートをしていた人が
病気でワークショップを出来なくなってしまって、
友人が代わりに中心となってワークショップをするようになって、
数年たった頃のことだった。

「病気で来てもらえなくなったから、今のようなワークショップができあがったのかもね。もしずっと来てもらっていたら、今のようなワークショップは出来上がらなかったかもしれない。」

その時の、淡々とした話しぶりは、いろんな人がこうでもないああでもないと関わりながら、出来上がってきたワークショップの形を喜びながらも、ちょっと寂しそうで苦しそうな、なんとも言えない表情だった。

何かを終えると何かがやってくることもある。
誰かがいなくなったから、出来上がってくることもある。
それは嬉しい事でもあるけど、やっぱり時々、寂しいことでもある。
これからも、こういう風に、いろんなことが繰り返されていくんだろうな。
変わらないようで変わっている。
でも変わってないこともある。
年を重ねるってこういう感じなのかな、と思った。

2017/11/01

わかりあえなさに注目するインタビュー講座に再び参加しました。

尹雄大さんのわかりあえなさに注目するインタビュー講座に参加しました。

8月に参加してから、人と会話がしやすくなって、
ただやっぱり、今回も自己紹介をするということで、
会場が変わって対面で座ることになった時は……
帰ろっかなと一瞬頭によぎったぐらい緊張した。
いくら会話しやすくなったからと言って、社交的にはなってない。
当たり前だけど。

しかし、おおざっぱに「趣味は?」などとは聞かず、
お互いのことを聞いていくという自己紹介だと、
あっという間に初対面の人と話すことに慣れるし、
しかも、どんどん相手の話に引き込まれていくのがおもしろい。

そして聞いた話をもとに、習慣、価値観、課題を考えてみて、
それをお互いに聞き合ってみるというのをした。
インタビューされてみると、自分が普段よく言っていることと行動が、
ずれていたことが分かってきた。
「本や活字を読むのは好きではない」と言ってたし本当にそう思っていた。
講座に行ったきっかけを聞かれて、ツイッターで知ったと話したり、
毎日必ずツイッターを見ていると話しながら、
あれ?おかしいぞと、だんだん思い始めた。
ちなみに一番最近読んだ本は?と聞かれて、
前日に衝動的に買った本をその日のうちに読み切ったと話ながら、
あれ?気がついてなかったけど、結構活字を見てるんだ!と驚いた。

絶対的に本を読む量が少ないのはコンプレックスで、
本を読むのが苦手で、どんな本でも読破できるようになりたい、
と思っていたので、全部読めた本は記憶に残らず、
読めなかった本があると、そのことが鮮明に記憶に残る、
というようなことが起こっていたのかな?と思った。

自分がインタビューする側になると、
「課題」だと自分が想像した内容を伝えるのが難しかった。
相手を指摘するような感覚があって、こんなこと言っていいのか?
と躊躇してしまいそうになる。
ただ、それを伝えてみたら、今までとは空気が変わった感じがしたというか、
今までの話の中では見えてこなかった話になったりして、
おもしろいなと思った。

そして、いつも通り、メモを取ったけど、これなんだっけな、
でも、とても気になるという言葉が残っていた。

「努力することではない、たとえばイラっとした時に、どうしてイラっとするの?と考えてみて、方向(目線)を変えるだけ」
これは、IPSで聞いた、「自分も相手も変わる必要はなく、ただ会話が変わるだけ」に通じるなと思った。
・『なんとなく』が羅針盤になるから、消さないで。
・こちらに待てる余裕があると、相手の出方も、自分の出方も待てる。
・環境が信念を作ることもある。
・出かたをうかがう、いつでも動ける。
・巻き込まれることで得られるものって何だろう?

いろいろ腑に落ちてないけど、気になる言葉がいっぱい。
心に留めて、またもうちょっと置いてみたい。