2017年11月4日~5日、秋のびわ湖に行ってきた。
びわ湖の水はちょっと冷たくて、風は気持ち良かった。
初日は、子どもが10人参加という、とても賑やかな集まりだった。
1歳~小6?くらいと様々な子どもが自由に遊ぶ中、
輪になって話をしていると、声が聞こえないので、
「もうちょっと近くに寄ってもらっていいですか?」
と声を掛け合いながら話もした。
「元気に役立つ道具箱」では、模造紙に自分の道具を書くということで、
入れ代わり立ち代わり、書いては遊んで書いては遊んで、
お互いのを、ちょっと紹介し合うというのも、おもしろかった。
5歳くらいの子が調子を出してくると、書くのも言うのも止まらない、
そのワクワク感が伝わってきた。
元気帳の説明もさせてもらった。
元気帳があることで子どもが怒られてしまうことがないように。
無くしたり、汚したり、大事にしたリ、捨てたり、
付け加えたり、手に取った方が自分のすきに使って、
誰にもそのことでとやかく言われないことを願ってる、
ということを言いたかったのだけど。
例のごとく、何を説明したかは覚えてない。
あ、そうそう、「子どもの頃好きだった遊びは?」
っていう話題で話したんだった。
外でボール遊びとか、野球(ほぼ球拾い)をしている時に、
あ、見て!と言われて、大きい二重の虹も見た。
アンダー6歳、数人とのドロケーは、カオスでおもしろかった。
「ドロボーは、こっちにきて、ここに座って」
「はい、今逃げて!捕まえるから」などの指示あり。
ドロボーの前で、ちびっこ警察官が、順番に
おもしろい踊りを披露して、ドロボーを笑わせるとか、
部屋にドロボーを招いてくれて、
「水分補給しないさい!」と、あったかいお茶を出してくれたり。
他の宿泊客がいるのに、廊下で「あ~~ドロボーだ~!」
と大声で叫ばれた時には、ほんとに慌てたけど。
2日目は人数が減って、畳に寝転がってマインドフルネスやら、
びわ湖に散歩に行ったりもした。
自分の感じていることを言葉にしたいけど、
言葉にすると薄っぺらくなる気がするというような話が。
先日の尹さんの「わかりあえなさ」の講座で体験した、
自己紹介をして習慣、価値観、課題を考えて、
更に聞いてみるというのも、みんなで試してみた。
(許可なくしましたが、事後報告しました。)
子どもがこんなに大勢の、WRAPやIPSの集まりは初めてだったけど、
割とみんな自由に動きつつ、参加しつつ、
近くに来た子と遊びつつ、出入りもありつつ、
のんびりとした時間を過ごすことが出来る、って、
ほんとに出来るんだ!と、ちょっと驚きだった。
こういうのって、ほんといいなと思った。
前に、辛島文雄さんにジャズピアノを習ったことがある。
小さい頃からのピアノのレッスン代をもったいなく思って、
今までいくら払ってもらっていたか計算して、
これはピアノで取り返すしかないと、思いこんでいた頃のこと。
辛島さんのピアノは、恐ろしいほど音がきれいだった。
音色ってこのことか、本当にこれがピアノか、と思うほど。
ライブにも何回も行った。
メンバーと息がぴったり合わないと、超越技巧になってしまうけど、
ピタッと合った時の音色は、雲の上に寝転んでいるようで、
あんなピアノがどうやったら弾けるんだろうと思った。
実際に習ってみたら、それはもう厳しくて、というより、
毎回毎回、怒鳴られまくる。
1年くらい続けた後、私が無理にピアノを弾かなくてもいいか、
と、ピアノは諦める結果となった。
辛島さんに一度だけ言われて、今でも覚えている言葉がある。
「ジャズピアノを弾くのに、人生で無駄なことは何一つない」
そうか、何も焦らなくても今でなくてもいいのか、
と思った記憶がある。
その後は、目標もなくなって、何をやってるんだかな、
と思いながら仕事だけしてた時に出会ったのがWRAP。
そして、IPS。
縁が切れるかなと思ったことは何度かあったけど、
不思議と今も縁が切れずにいる。
その代わり、今、縁が切れそうなのが、仕事。
ずっと探してきて、ここにはなかった…というショックから、
まだ抜けられない。
「何かをする」ために無駄なことは一つもない、
と、唱えてみたところで、やっぱり、
今は無駄なことをしてるんじゃないか、と思ってしまう。
具体的に、これです!というのはわからず、
こんな感じのこの辺を目指してます、となると、
ますます、この道でいいのか?と戸惑ってしまう。
しかしもう、今の仕事の先に、こういう感じは無い、
というのは、ほぼ明確になったのだから、
と言っても、やっぱりまだ、はいそうですか、
と言える気分にはなれない。
前に友人が、ボソッと言っていた言葉があった。
中心になってワークショップのファシリテートをしていた人が
病気でワークショップを出来なくなってしまって、
友人が代わりに中心となってワークショップをするようになって、
数年たった頃のことだった。
「病気で来てもらえなくなったから、今のようなワークショップができあがったのかもね。もしずっと来てもらっていたら、今のようなワークショップは出来上がらなかったかもしれない。」
その時の、淡々とした話しぶりは、いろんな人がこうでもないああでもないと関わりながら、出来上がってきたワークショップの形を喜びながらも、ちょっと寂しそうで苦しそうな、なんとも言えない表情だった。
何かを終えると何かがやってくることもある。
誰かがいなくなったから、出来上がってくることもある。
それは嬉しい事でもあるけど、やっぱり時々、寂しいことでもある。
これからも、こういう風に、いろんなことが繰り返されていくんだろうな。
変わらないようで変わっている。
でも変わってないこともある。
年を重ねるってこういう感じなのかな、と思った。
尹雄大さんのわかりあえなさに注目するインタビュー講座に参加しました。
8月に参加してから、人と会話がしやすくなって、
ただやっぱり、今回も自己紹介をするということで、
会場が変わって対面で座ることになった時は……
帰ろっかなと一瞬頭によぎったぐらい緊張した。
いくら会話しやすくなったからと言って、社交的にはなってない。
当たり前だけど。
しかし、おおざっぱに「趣味は?」などとは聞かず、
お互いのことを聞いていくという自己紹介だと、
あっという間に初対面の人と話すことに慣れるし、
しかも、どんどん相手の話に引き込まれていくのがおもしろい。
そして聞いた話をもとに、習慣、価値観、課題を考えてみて、
それをお互いに聞き合ってみるというのをした。
インタビューされてみると、自分が普段よく言っていることと行動が、
ずれていたことが分かってきた。
「本や活字を読むのは好きではない」と言ってたし本当にそう思っていた。
講座に行ったきっかけを聞かれて、ツイッターで知ったと話したり、
毎日必ずツイッターを見ていると話しながら、
あれ?おかしいぞと、だんだん思い始めた。
ちなみに一番最近読んだ本は?と聞かれて、
前日に衝動的に買った本をその日のうちに読み切ったと話ながら、
あれ?気がついてなかったけど、結構活字を見てるんだ!と驚いた。
絶対的に本を読む量が少ないのはコンプレックスで、
本を読むのが苦手で、どんな本でも読破できるようになりたい、
と思っていたので、全部読めた本は記憶に残らず、
読めなかった本があると、そのことが鮮明に記憶に残る、
というようなことが起こっていたのかな?と思った。
自分がインタビューする側になると、
「課題」だと自分が想像した内容を伝えるのが難しかった。
相手を指摘するような感覚があって、こんなこと言っていいのか?
と躊躇してしまいそうになる。
ただ、それを伝えてみたら、今までとは空気が変わった感じがしたというか、
今までの話の中では見えてこなかった話になったりして、
おもしろいなと思った。
そして、いつも通り、メモを取ったけど、これなんだっけな、
でも、とても気になるという言葉が残っていた。
「努力することではない、たとえばイラっとした時に、どうしてイラっとするの?と考えてみて、方向(目線)を変えるだけ」
これは、IPSで聞いた、「自分も相手も変わる必要はなく、ただ会話が変わるだけ」に通じるなと思った。
・『なんとなく』が羅針盤になるから、消さないで。
・こちらに待てる余裕があると、相手の出方も、自分の出方も待てる。
・環境が信念を作ることもある。
・出かたをうかがう、いつでも動ける。
・巻き込まれることで得られるものって何だろう?
いろいろ腑に落ちてないけど、気になる言葉がいっぱい。
心に留めて、またもうちょっと置いてみたい。