送別会って、残る人のためにあるんだよな、と、
この時期になると思うことがある。
見送る側になった時、別れがたい人が去っていくことに、
しょうがないと気持ちの区切りをつけるのに時間がかかる。
そういうときに、送別会があると、ここまで、と
きっぱり別れやすい。
さらに、この人がいなくなって、この先どうしようか、
という次への話で、残った人の結束力が強くなったりもする。
もう、いち早く離れたいと思うような人を見送る時も、
双方別れるとなると、後腐れなく別れたいという気持ちが出るからか
送別会では不思議と、意外と今まで話さなかったようなことを、
話しできたりする。
今は、そういうことも考えるのだけど。
20代の終わり頃、最初の職場を退職する時は失敗した。
イヤなことがたまり過ぎての退職だったということもあって、
「送別会はしないでください、迷惑です」
と言いきって、飲み会にも一切出なかった。
腐った組織にいる人が、みんな腐った生活をしているように見えて、
早くそういう場所から抜け出したかった。
全く会っていなかった上司から、数年後に、
「なにも力になれなくて、今でもすまないと思っている」と、
年賀状か、メールをもらった時に、しまったと思った。
新卒で礼儀も何もわからない私に、電話の取り方から、
自分の判断で人のしたいことを決めない、ということまで、
一つ一つ教えてくれた上司だった。
人手が激減している中で、私が風当たりなく
気持ちよく辞められたのは、この上司のおかげだと思う。
その上司が、私に悪いことをしたと、ずっと思っていたとは。。。
そういう話をする機会も閉ざしていたとは、気が付かなかった。
送別会は、自分で企画してでも、お世話になった人に、
ありがとうございました、と言うべきだった・・・と思った。
見送られる側の送別会って、
花をもらったり、お礼を言われたり、こっぱずかしいし、
でも、残る人たちの次への会話には入れないという、
独特の疎外感を感じたりもするので、居心地は悪い。
それでも、送られる側になったら、
送別会は必ず出席したいと思う。