なんとかならないこと、は、多い。
昨日も、まさかなことで驚いたことがあった。
うまく説明できないので簡潔に言うと、解雇されるかもしれない。
「それはできない」と思ったことを伝えて行動したことが、
話をしてみたら、実は、まったく違っていた。
この状況が続けば仕事を続けていけない、と切羽詰まっていたのに、
実は、そんな切羽詰まった状況なんてもともと存在しなくて、
みんな、ちょっとずつ知らなかったこと、が、積み重なっていただけだった。
後に残ったのは、私が「しなかった」ということだけ。
責任を果たさなかったということで、処分されるかもしれないらしい。
昨日は、求人のサイトを見ながら、
ネコと人間のご飯を確保するだけなら、
仕事は選ばなければきっとある・・・「おこわの販売、時給900円」
やったことないけど、初心者歓迎ってあるから、採用してもらえるだろうか?
とか考えながら電車に乗って帰ってきた。
今までの慣れた仕事、に、こだわらなければ、きっと生きていける。
に、違いない。たぶん。
という話に、は~?と言っているように、走り回るネコたち。
時々、隣にきてゴロゴロゴロと言っていた。
朝、今日も起きるのか…となかなか起き上がれかったら、ネコが来て、
「ごは~ん」と言いながら(と言っているように聞こえる)体当たりしてきて、
まんまとネコに、いつも通りの時間に起こされた。
ふと、最近心にとまった言葉を思い出した。
「死は一人のものではない。」
誰が言ったことばだったかは、忘れてしまった。
ツイッターを読みとばしている時に見たんだと思う。
昨日のツイッターで、
「頭で身体をコントロールしたいと思う欲求や願望が、頭痛や肩こりとなっていて、その程度で済んでくれているのもありがたいこと」と見た。
韓氏意憲(かんしいけん)の光岡さんという人のツイートだった、と思う。
自分の体も思い通りになると思うことは思いあがり、なんだろうな。
思い通りになることもある、ってこと自体、思いこみだとしたら、
何も思い通りになることなんて、無いわけだろう。
ご飯を食べ終わったネコたち。
単なるヒモにじゃれて、ヒモはボロボロ。
そして今、2人で追いかけ合いっこをしているネコの横で、
ごちゃごちゃの頭をブログに預けながら、
ま、なるようにしかならないし、なるようになるか、と、思った。
今、ネコに聞きたいこと。
「ヒモ」ってそんなに楽しいですか?
2018年4月25日より、移行しました。 今までありがとうございました。 note(ノート) https://note.mu/kuronekokuroko/n/n446abf3d5597
2014/10/28
2014/10/05
食べるということ
雨が降っています。
明日は台風かも?
雨に濡れないで雨の音を聴いていられるって幸せだなと、
とある方に紹介してもらった、センスオブワンダーという本を読み返しつつ、
となりで、遊び疲れたネコが、うとうとしているのを見つつ、
こういう時間っていいな、としみじみ思いつつ、
パソコンに向かっています。
星野村で、ゆっくりご飯を味わった感覚がまだ体に残っていて、
ふと、2~3日前、急に「三角食べ」というのを思い出した。
なんとなく、その食べ方があたりまえに良いと思い込んでいたことに気づいた。
味わって食べたら、別に、どういう食べ方でもいいのではないか?
小学校の頃に習った記憶によると、
ごはん→おかず→お味噌汁など、まんべんなく食べるように!というもの。
小学校の給食は、時間に追われて、しかも、
全部残さずに食べられるかという恐怖といつも戦っていて、
味わう、ということはしてなかったように思う。
気になって、三角食べを調べてみたら、
口の中でいろんな食材を味わう、もともとは和食の作法らしい。
全く知らなかった!!!
ちっとも味わってなかったな~。
大人になってから、食べる瞑想というのに参加した時に、
今までにない、おにぎりの甘さというのを感じた。
とあるお店で買った、塩がきつめで、いつもしょっぱいと思いながらも、
時間がない時は手っ取り早いので買っていたおにぎりだったので、
すごく驚いたのを覚えている。
食べる前に、じっと目の前に置かれた食べ物に想いを馳せてみましょう。
と、少し、ナビゲートしてくれる人がいた。
このおにぎりが自分の目の前に来るまでを想像する。
お米が作られるまで、のりができるまで、梅干し、
それをおにぎりにしてくれた人、
たくさんの人の手を経て、自分の目の前に食べ物がある。
「口の中でトロトロにとろけるまで噛むと、胃にも優しいです」
そんな風に味わってみると、おにぎりだけ持ってきたのを、
おかずがなくて恥ずかしいとか、
質素で寂しいと思っていた気持ちもどっかに吹っ飛んでいて、
なんとも言えない幸せな気持ちになった。
それ以降、時間がある時は、じっくり噛んで食べたいと思うようになった。
いつもそういう風にじっくり食べられたらいいなと思いながらも、
なかなか毎回じっくり味わうというのは難しいのだけど。
星野村では、普段できない「じっくり」、を、いつもより多く持てた。
何かを頂かないと、生きていくのは難しい。
自分で全部用意しなければ食べる資格がないのか?
と思ったこともあった。
自分で作った野菜であっても、実は、前人の耕した畑だったり、
種があったり、知恵があったり、残してもらっている肥えた土があったり。
何をするにも誰かの力を借りない、なんてことは、あり得ない。
しかも、今すでに、食べることをお互いに助ける仕組みが世の中にある。
ありがたいことに、いつもいつも死なない程度に、
食べるものを自分の目の前に持ってくることができる。
何をするにも、いろんな人にお世話になっているので、
お返しをしたいけど、どうしたらいいかわからない。
出来る事って言ったら、ありがとうと言うくらいか、と思ったりする。
雨に濡れず、お腹が減ったら食べ物もあって、しかも、となりにネコ。
至福の時間だな~。
などと書きながら、ネコが頭を毛布にうずめて、
気持ちよさそうにまるまっているのを見て、
ありがとう、より、つい触りたくなってしまう。
起こしてしまうのもかわいそうなので、
ってのと、起きるとドタドタ走って騒がしいので、
起きるまで、ぐっと我慢してみるだけ、にしよう。
ううう、でも、触りたい。
感謝しながら触ったらいいか!
なーんて。
あと1000年くらい生きていたら、触りたい衝動を抑えられる出来た人になれるかな?
あ、そんなこんなしてる間に。
ネコが起きて走り出した。
おかげさまで、1000年待たなくても、出来た人になれました!
明日は台風かも?
雨に濡れないで雨の音を聴いていられるって幸せだなと、
とある方に紹介してもらった、センスオブワンダーという本を読み返しつつ、
となりで、遊び疲れたネコが、うとうとしているのを見つつ、
こういう時間っていいな、としみじみ思いつつ、
パソコンに向かっています。
星野村で、ゆっくりご飯を味わった感覚がまだ体に残っていて、
ふと、2~3日前、急に「三角食べ」というのを思い出した。
なんとなく、その食べ方があたりまえに良いと思い込んでいたことに気づいた。
味わって食べたら、別に、どういう食べ方でもいいのではないか?
小学校の頃に習った記憶によると、
ごはん→おかず→お味噌汁など、まんべんなく食べるように!というもの。
小学校の給食は、時間に追われて、しかも、
全部残さずに食べられるかという恐怖といつも戦っていて、
味わう、ということはしてなかったように思う。
気になって、三角食べを調べてみたら、
口の中でいろんな食材を味わう、もともとは和食の作法らしい。
全く知らなかった!!!
ちっとも味わってなかったな~。
大人になってから、食べる瞑想というのに参加した時に、
今までにない、おにぎりの甘さというのを感じた。
とあるお店で買った、塩がきつめで、いつもしょっぱいと思いながらも、
時間がない時は手っ取り早いので買っていたおにぎりだったので、
すごく驚いたのを覚えている。
食べる前に、じっと目の前に置かれた食べ物に想いを馳せてみましょう。
と、少し、ナビゲートしてくれる人がいた。
このおにぎりが自分の目の前に来るまでを想像する。
お米が作られるまで、のりができるまで、梅干し、
それをおにぎりにしてくれた人、
たくさんの人の手を経て、自分の目の前に食べ物がある。
「口の中でトロトロにとろけるまで噛むと、胃にも優しいです」
そんな風に味わってみると、おにぎりだけ持ってきたのを、
おかずがなくて恥ずかしいとか、
質素で寂しいと思っていた気持ちもどっかに吹っ飛んでいて、
なんとも言えない幸せな気持ちになった。
それ以降、時間がある時は、じっくり噛んで食べたいと思うようになった。
いつもそういう風にじっくり食べられたらいいなと思いながらも、
なかなか毎回じっくり味わうというのは難しいのだけど。
星野村では、普段できない「じっくり」、を、いつもより多く持てた。
何かを頂かないと、生きていくのは難しい。
自分で全部用意しなければ食べる資格がないのか?
と思ったこともあった。
自分で作った野菜であっても、実は、前人の耕した畑だったり、
種があったり、知恵があったり、残してもらっている肥えた土があったり。
何をするにも誰かの力を借りない、なんてことは、あり得ない。
しかも、今すでに、食べることをお互いに助ける仕組みが世の中にある。
ありがたいことに、いつもいつも死なない程度に、
食べるものを自分の目の前に持ってくることができる。
何をするにも、いろんな人にお世話になっているので、
お返しをしたいけど、どうしたらいいかわからない。
出来る事って言ったら、ありがとうと言うくらいか、と思ったりする。
雨に濡れず、お腹が減ったら食べ物もあって、しかも、となりにネコ。
至福の時間だな~。
などと書きながら、ネコが頭を毛布にうずめて、
気持ちよさそうにまるまっているのを見て、
ありがとう、より、つい触りたくなってしまう。
起こしてしまうのもかわいそうなので、
ってのと、起きるとドタドタ走って騒がしいので、
起きるまで、ぐっと我慢してみるだけ、にしよう。
ううう、でも、触りたい。
感謝しながら触ったらいいか!
なーんて。
あと1000年くらい生きていたら、触りたい衝動を抑えられる出来た人になれるかな?
あ、そんなこんなしてる間に。
ネコが起きて走り出した。
おかげさまで、1000年待たなくても、出来た人になれました!
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