2014/06/14

生きる力

時々、ふいに、生きる力があるよね、と言われることがある。
15年くらい前に、年上の人から「雑草のようだね」と付け加えられた時は、
バカにされているのかと思ったけど、
もしかして、褒め言葉だった?と最近は思う。

生きる力を感じるって、なんだろう?

どう考えても、自分に生きる力があるとは思えないのだけど、
今の所、(たぶん)死んでないから、生きる力はあるのかもしれない。


この前、かないくん展というのに行った。
「死」ってなんだろう?というのがテーマだったんだと思う。
印象に残っているのは、入口すぐの大きいボードに、
「死」についてイメージすることを、
子どもや大人が書いた文字と、映像が流れていたこと。

なんて軽やかな、ふわふわした感じ、というのが意外だった。

そして、一番印象に残ったのは、受付の2人の女性が、とても仲が悪そうだったこと。
ちょっと緊張して入ったものの、お金を払う時点で、
なんともいえない不機嫌な空気が流れていて、
なんか、生きてるな、というか、なんかいいな、と思った。
肩の力が抜けた感じがした。

何事も、きれいごと、ではおもしろくないし、気持ち悪い。
入口の2つで、見事に「生きること」を感じた気がした。


生きる力ってもしかして、「一生懸命生きる」というより、
「一生懸命死なないようにする」ということなのかと思ったりもする。
したたかな生命力?
魚を奪うのを失敗しても、誰もいなくなった隙にもう1回魚を奪いにくるネコ、
のような感じかな?と思った。

2014/06/05

遠回り

学生の頃、こういうことを大切にしながら仕事できたらな、と思っていたことがあった。
今思うと、学生らしい単純さと、大切な人間くささが入っていた。
現場で働いている人は、すべてを忘れて悪にまみれて働いているように見えた。
働き始めても忘れてしまわないようにしたいね、と何人かで話した記憶がある。

けど、働き始めたら、見事に遠ざかって見失ってしまった。
10年。
「何か違う」という感覚と、
「どこに向かえばいいのかわからない」息苦しさ。

ここ4~5年、「何か違う」と思ったら、するのを止めて、
そういう息苦しさを感じたら離れるようにしていた。
学生の頃にしたかったことも見失って、
すべてから逃げて楽しいことだけしているような気がしてた。
このままでいいのだろうか?と思うこともあった。

だけど、実は。
学生の頃にしたかったことに近づいてきた。
ということを、近頃、実感するようになった。

遠回り、が、実は近道だったのかもしれない。

「何か違う」のまま続けていたら、
息苦しいのをずっと我慢して続けていたら、
今、は、こなかったかもしれない。

来たかもしれないですが。

自分の感覚で選ぶ、ことをしていたら、
おのずと近づく「何か」、が、あるのかもしれない。