『いつか寄木細工の職人になりたいと思ってる』
と言うと、だいたい笑われる。
結構本気なのに。
大人になってから将来なりたいものを言うのは、「変」らしい。
23歳で初めて箱根に行って寄木細工の作品を見て驚いた。
何といっても模様がきれい。
しかもどうやって作ってるのかさっぱりわからない。
自分で寄木細工のからくり箱を作れたら。
はたして作れるものか?
機会があれば、本当に挑戦してみたい。
しかしまあ、こういう話をすると、笑われるようになったのは、
いったいいつからだろう。
幼稚園の時、一番困った課題があった。
今でもよく覚えている。
「将来なりたいものを書きましょう。」
・・・は?
当時は、その混乱を言葉にできなかったけど、
今、言葉にすると、
「すごくたくさんの仕事があるはずだけど、
どんな職業があるかあるか知らない。
知らない中から自分がしたいことを選ぶなんて、
できるわけないでしょう。
何を無理難題を言って…。」
という感じ。
しかも、家に帰って書いてくるのではなくて、帰るまでに出せと言う。
何を書けば、大きく外れないんだろう…。
焦った私は、隙をみては周りの子に片っ端から聞いて回った。
やきゅうせんしゅ、かんごふさん、およめさん、ケーキやさん。
とりあえず、何か書いとけばいいんじゃないか、
と、誰かが教えてくれたので、その中から選ぶことにした。
結構たくさんの子が、「わかんないから、およめさんでいいや」
と言って、さらさらと書いて出していたものの、
およめさんは、なんかちょっと違うなと思った。
野球は知らないし、生クリームは好きじゃないし、
で、「かんごふさん」と書いて出した。
後日それが冊子になって、○○ちゃんのなりたいもの、
を公表されることになってしまった。
「え、あんなにみんないい加減に書いたものを、
きれいに冊子にされて出されても、
おもしろくもなんともないのに…。」
幼稚園は、意味のわからないことが多かった。
家に帰って、「かんごふさん」を見た家人が
へ~と感心した後、質問してくる。
「かんごふさんって何するか知ってる?」
「血が流れてるのを見るやで。」
…適当に書いたんだから、そう言われても困る。
ちゃんと選ぶ準備もなく、時間もなく、
急に提出させられたものを、黙って公表されただけ、
と、今なら説明できるけど。
それ以降、将来なりたいものを急に聞かれた時のために、
その時に一番と言えるものを用意しておこうと思った。
とりあえず書いてしまった看護婦でしばらくは乗り切って、
その後は「宇宙飛行士」「秘書」
幼稚園以降も、時々聞かれたり、書かされることがあったので、
想定して用意しておいて、正解だった。
それなのに、だんだん将来なりたいものを聞かれることもなくなった。
でも、癖だけは抜けず、いろいろ知らない職業を知ると、
どんな仕事だろう、自分に出来るのか?と考えるようになっていた。
何か新しいことを始めるときは、
つい、これで食べていけるか?、と考えたりして。
でも、ちょっと最近、考えが変わってきた。
食べていけなくても、これしてみたいと思うことを、
してみてもいいんじゃないかな、と思い始めた。
プールに行ってパシャパシャ泳いでみたら楽しかったし、
全く知らない内容のワークショップもおもしろかった。
アラビア語も勉強してみたい。
今まで会う機会のなかった人々と出会って話したのもおもしろかった。
どんな毎日を送っていて、何が仕事になっていくのか。
職業を知る、だけではない話。
もしかすると、仕事は多くから選ぶのではなくて、
これはしたくない、というのを一つ一つはがしていくと、
最後に残るものなのかもしれない、という気もしてきた。
0 件のコメント:
コメントを投稿